勤労統計の不正問題で謝罪する根本匠厚生労働相(写真:時事通信フォト)

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 厚生労働省の「毎月勤労統計調査」の調査手法に不正があったことが判明し、大きな波紋を広げている。組織的な隠ぺい工作が行われていたとの疑惑もあり、このまま“幕引き”では済まされない事態といえる。そもそも「公務員の働き方に“やる気の空洞化”が起きている」と厳しく指摘するのは、同志社大学政策学部教授の太田肇氏だ。

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 勤労統計の不正問題をめぐり、厚労省内で不正を容認するマニュアルまで作られていたというから驚きだ。厚労省は昨年、労働時間に関するデータの誤りが次々と発覚して問題になったばかりだし、財務省や文部科学省の不祥事も記憶に新しい。また各地の自治体や警察などでも、職員のミスや怠慢によるとみられる不祥事が続発している。「仕事に対する意欲が足りない」「責任感に欠ける」と批判されてもしかたがないだろう。

 その一方で国・地方を問わず近年の公務員は表面上、勤勉に働いているように見える。不祥事を起こした厚労省は、まるで不夜城のように連日、長時間労働が続いているし、自治体でも深夜までの残業が常態化しているところは珍しくない。それをもって、いちばんブラックな職場は役所と学校だといわれているくらいである。

 問題は、その勤勉さが必ずしも本物のやる気、仕事の質を伴っていないところにある。それどころか、「見かけ上の勤勉」と「本物のやる気」とのギャップはむしろ広がっているのではないか。

 もっとも、それは公務員に限った話ではなく、日本人全体の働き方がそうなっているといってもよい。

 統計を見ると、わが国における一般労働者(正社員)の年間総労働時間は2026時間(2017年)で、主要国のなかでは突出して長い。また年次有給休暇の取得率は49%(2017年)と、半分も取得されていない状態が続いている。与えられた休暇はほぼ100%取得する欧米などとは対照的だ。

◆「やる気の空洞化」はなぜ起きたのか?

 ところが、それと裏腹に仕事に対するエンゲージメント(熱意)は、どの調査結果を見ても日本人が最も低い。出世したいとか、管理職に就きたいという人も減少する一方である。また国民一人あたりのGDP(国内総生産)や国際競争力は1990年代半ばからの低下傾向に歯止めがかからないし、時間あたりの労働生産性はアメリカ、フランス、ドイツのほぼ3分の2の水準にすぎない。いわば「やる気の空洞化」が起きているのである。

 それが最も顕著な形であらわれているのが公務員ではないだろうか。では、なぜ公務員に「やる気の空洞化」が起きているのか? 考えられる理由が2つある。

 1つは人事管理、人事評価の変化である。公務員には「職務に専念する義務」が法律で定められている。ただ、何をもって職務に専念しているか否かを判断するのは解釈に委ねられる部分が大きい。

 近年はそれを厳格に運用し、勤務時間や勤務態度などを厳しくチェックする傾向にある。また国・地方とも人事考課制度の導入が義務づけられ、働きぶりが賞与や昇給などに反映されやすくなった。つまり勤務態度や勤勉さが、これまで以上に問われるようになったのである。

 もう1つはマスコミや世間の目である。公務員の仕事ぶりや言動に対してマスコミや国民・市民から厳しい目を向けられるようになり、勤務中の喫煙や短時間の離席といった細かい「ルール違反」まで大きく取りあげられる。

 また問題行動がSNSで拡散されるケースも増えている。しかし仕事の成果があがっていないとか、貢献度が低いといった問題が批判を浴びるケースはめったにない。公務員が仕事の中身より「見かけ」をよくしようと考えるのは当然だろう。

◆仕事をこなしていたら目くじらを立てない欧米

 それは世界共通の現象なのか? 疑問を解くため、私は数年前にアメリカやフランス、オーストラリアなどの役所を訪ね、公務員のマネジメントについて調査をした。

 アメリカでは5つか6つの市役所でシティマネジャー(市の最高経営責任者)に、「勤務時間中、職員が喫茶店に入ることは許されないか?」という質問をぶつけてみた。すると、どこでも「仕事をこなしている限り問題ない」という答えが返ってきた。

 消防や警察も同じだ。アメリカでは消防士がはしご車で堂々とレストランへ食事に行っているし、ヨーロッパでは警察官が制服のままパブでビールを飲んでいる。それが非難されないばかりか、店や市民からは治安によいとむしろ歓迎されているそうだ。

 彼らの働き方は、日本人の感覚からするとたるんでいるように見えるが、メリハリがはっきりしていて、いざというときには頼りになる。

 たまたま私がアメリカのボストンで買い物をしていたとき、若い男が店のガラス戸を拳でたたき割った。すると素早く一人の警官が駆けつけ、猛然と男に飛びかかり組み伏せた。凶悪犯にも単独でひるまず立ち向かう勇敢な姿は、テレビニュースなどでもしばしば映し出される。いざというとき、この勇敢さと行動力を日本の警察官に期待できるだろうか、とついつい考えてしまう。

 もちろん、これらは一つの断面に過ぎず、日本の公務員と欧米の公務員のどちらが優れているかは一概にいえない。ただ「仕事さえしっかりこなしていればよい」という欧米の考え方は、態度や勤勉さを重視する日本と好対照だ。そして国民・市民にとって仕事内容と態度や勤勉さのどちらが大切かといえば当然、前者だろう。

◆日本ではなぜ仕事より態度を監視するのか

 にもかかわらず、なぜ日本では人事評価や人事管理、それに世間の目も「仕事」にフォーカスできないのか?

 その理由は、突き詰めると仕事の分担が明確に決められていないところにある。分担が曖昧なので、一人ひとりがどれだけの貢献をしているか、役割を果たしているかを正しく把握できない。そのため見かけの勤勉さで評価するしかないのだ。

 一方、欧米のように一人ひとりの職務が明確に決められていると、仕事の出来不出来や役割を果たしているかどうかが明確になる。不祥事が起きたときも、だれの責任かはっきりする。従って、職員の態度や行動を常に監視したり、細かくチェックしたりする必要はない。仮に国民や市民から「サボっているのではないか」とクレームがきても、仕事をしっかりこなしていれば弁明できるわけである。

 今後IT化、AI化が進めば公務員の世界でも頭脳労働がさらに増えることは間違いない。頭脳労働は仕事の重要な部分が頭のなかで行われるので、外見から仕事のプロセスを評価することも、管理することも難しくなる。

 にもかかわらず、これまでのように態度や仕事ぶりばかりに目を向けていると、「やる気の空洞化」がいっそう進み、ミスや怠慢、あるいは外見だけを取り繕った不祥事も増える恐れがある。

 組織的な不祥事を繰り返さないためには、熱意や責任感の不足を嘆くだけでなく、それをもたらしている根本の部分にメスを入れることが必要だ。