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第二次大戦に敗れたからこそ、戦後の日本人は世界的にも珍しいほどの自由を手に入れることができた。日本は戦争に負けてよかった。橋下徹氏が、政治家時代には決して公にすることができなかった本心を今明かす。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(8月14日配信)より、抜粋記事をお届けします――。

■戦前社会は、とてもじゃないが我慢できない!

広島、長崎の原爆死没者慰霊祭が終わり、来る8月15日は、終戦・敗戦の日を迎え、全国戦没者追悼式が行われる。

僕はひねくれた性格なのか、世間で当たり前のように言われることに関し、逆の視点からも考えてしまう。

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僕も知事、市長の時には大阪の戦没者追悼式に毎年参加し、追悼の辞を述べ献花をしてきた。

一時、安倍晋三首相の追悼の辞の類が毎年同じ文章だと批判されたけど、追悼の辞の類は毎年変えるものではない。そもそも安倍さん自身が全て考えて作成するものではない。僕も追悼の辞や挨拶の類は、担当部局に作成を任せていた。通常の記念式典では、事前に用意された紙は読まずに、その場で自分の言葉で挨拶を述べていたが、追悼式の類では、事前に用意された紙をしっかり読み上げていた。そして、もちろん毎年同じ文章である。

追悼の辞では、戦没者の皆様に感謝を述べる。今の世で僕たちがこのように生きていけるのも戦没者の犠牲があってのことだ。そして二度と同じ悲劇が起きないよう平和に向けてしっかりと活動していくことを決意する。これは全くその通りで、当然何の疑問も湧かない。

僕が深く考えてしまうのは、では、先の大戦である太平洋戦争がなかった方がよかったのかどうかである。

これは戦没者の皆さんや、特にご遺族の方々には大変不謹慎な物言いにもなるので、言い方を慎重にしなければならないことは十分承知している。ゆえに政治家時代には発言しなかった。でも社会人になって問題意識を持ってから、ずっと自分なりに考えてきたのだが、やはりあの大戦で日本が負けたことは、戦没者の皆さんやご遺族の皆さんに大変感謝し、大変申し訳ないと思いつつも、全体として僕にとってはよかった、という結論に達している。実は、このような考えを戦没者追悼式の追悼の辞に入れようかとも考えたのだが、それはやはり止めた。

こう言うと、自虐史観! 弱腰! 売国奴! と猛烈な非難を浴びるだろう。特定の思想団体からは、激烈な抗議を受けるだろう。先の大戦で日本は勝つことができたはずだ! と主張する人から、先の大戦は避けるべきだったと主張する人まで、あの大戦で負けた方がよかったという人はいないだろう。

僕が自分なりに調べたところでは、どう考えても、戦前の日本社会は嫌だ。特に軍部が歯止めなく増長してきた昭和初期から大戦突入に至るまで、もちろん戦時中の軍部のあの態度振る舞いも含めて全てにおいて、とてもじゃないが我慢できない。

■アメリカにもあるプライバシー監視などの政府からの圧迫

誤解がないようにしないといけないのは、日本の国を守るために命をかけて戦って下さった個々の兵士の皆さんには本当に感謝している。だけど自分たちの保身を第一にし、組織の権益を守るために汲々とし、いかに自分が責任を負わないようにするにはどうすればいいかだけを考えていた軍指導部に対しては腸が煮えくりかえる。そう言えば、森友学園問題での財務省の公文書改ざんや国会での虚偽答弁の組織行為はこの軍指導部の行動様式に通じるところがあるね。さらに軍指導部だけでなく現場においても、特に唯一の本土決戦となった沖縄戦では、軍が沖縄県民を犠牲にしていた事例が山ほど判明している。

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だいたい戦前の日本が良かった! と言っている自称インテリたちは、文句言いが多い。今の日本政府や地方自治体に対して、それこそ野党政治家に対してもボロカスに文句を言っている。あんたら、戦前の日本だったら、監獄にぶち込まれているよ!

政府や軍(自衛隊)に遠慮することのないこの日本がどれだけ素晴らしいか。

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先進国のアメリカやイギリスだって、政府には怖さがある。諜報機関を持ち、国民のプライバシーはかなり監視されているのが現実だろう。

しかし日本には諜報機関がなく、盗聴を許す法律の範囲で厳格なルールに従って盗聴が行われるくらいだ。しかも盗聴の年間件数は微々たるもの。もちろん日本政府も色々と情報収集しているのであろうが、日本国民は日本政府にビクビクせずに暮らしている。

僕も戦前に暮らしていたらどうなっていたか。いまと同じ調子でやっていたら監獄にぶち込まれていただろう。でもそんな軍の強い社会においては、ビビッておとなしくしていたかもしれない。

たぶん、今、威勢のイイことを言って、戦前の社会を肯定する人たちは、戦前の社会体制の下ではおとなしくいい子ちゃんになっているパターンが多いと思う。

こんな今の日本と戦前の日本を比べて、戦前の方がいいというのは僕には理解できない。戦前の日本の方がいい、という人たちは、紙一枚で軍に入らされ、上官からは暴力を受け、戦地に送り込まれても、また何か政府批判をすればすぐに監獄に入れられて拷問を受けてでも戦前の日本の方がいいと言うのかね。

■民間人になったから言える戦没者への「御礼」

太平洋戦争が避けられていたら、軍は残っていただろう。ましてや戦争に勝っていたらどうなっていたか。当然、明治憲法下の政治行政がそのまま残る。もちろん、その後の時代の変化に伴って、日本の政治行政の仕組みも徐々に変わり、最終的には今と同じほどの自由を国民が享受することになるだろうが、それにはもっともっと長い年月がかかるだろう。敗戦を経験することで、我々は猛スピードで、今の自由を享受することができた。このスピードのために300万人以上の犠牲が必要だったと言い切れるのか、ここが悩みだ。

確かに300万人以上とも言われる犠牲者が出たことを、簡単に肯定するわけにはいかない。しかし、あの太平洋戦争に負けたことが、今のように国民が世界でも珍しいくらい広く大きな自由を享受することができるようになった決定的要因なのではないか。

こういうことをいうと、「橋下お前は、GHQのWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)に洗脳されて自虐史観に陥っている。お前はアメリカなどの戦勝国に感謝し続けるのか、原爆投下を肯定し続けるのか」と批判されるだろう。

だから悩み考え続けてきた。まだ多くの人を説得できるだけのものを持ち合わせていない。戦勝国に感謝はしたくないし、原爆の投下も肯定したくない。戦没者に対して、皆さんが亡くなられてよかったです、とも言いにくい。だけどあの大戦があったからこそ、敗戦があったからこそ、戦後このスピードで今の自由があるとも感じている。あのまま戦争を避けていたり、戦争に勝っていたりしたら、日本の政治行政は、せいぜいトルコ程度の民主主義にしかなっていなかったのではないか。

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僕は今は民間人の立場で、戦没者の皆さんに感謝と哀悼の意を表したい。そして「戦争があり敗戦があり、戦前の政治行政システムがぶち壊されたからこそ今の自由を享受できています。戦前の政治行政システムを命をかけてぶち壊して下さり、ありがとうございました」と知事・市長のときに追悼の辞に加筆しようとした言葉を、民間人となった今、述べさせてもらいます。やっぱり、どのように考えることも、何を言っても、政府をどのように批判しても自由な今の日本社会は、戦前の社会に比べてはるかに素晴らしい!

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(ここまでリード文を除き約2900字、メールマガジン全文は約8900字です)

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.115(8月14日配信)を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【今考える敗戦の意義〈1〉】戦争がなかったら、勝っていたら今の「自由」を享受できたか!?》特集です!

(前大阪市長・元大阪府知事 橋下 徹 写真=iStock.com)