吉田和充・オランダ在住のクリエイティブ・ディレクター/ブランディング・デザイナー/保育士。

写真拡大

人生100年時代、人工知能(AI)の発展、働き方改革、経済のグローバル化など、多様な文脈で「働き方・生き方が過渡期にある」といわれる昨今、“子育て”で頭を悩ます人は少なくない。19年勤めた博報堂を辞め、オランダに移住した吉田和充氏はその1人だ。「良い大学を出て、大手に就職すれば安泰という従来の考えに違和感がある」と語る同氏は、なぜオランダを選んだのか。著書『18時に帰る』で同国の働き方・生き方を紹介した、公益財団法人1moreBaby応援団の秋山開氏が聞いた──。

■小学生の留年が普通のこと!? 日本と異なるオランダの教育

【秋山】ちょうど今から1年半前、働き方やライフスタイルなど日本の出産・子育て環境の改善に向けたヒントを求め、私たちは「世界一子供が幸せ」といわれるオランダを訪れ、50名以上にインタビューをしました。オランダが約30年間かけて作り上げた多様な働き方を実現する制度や風土にも驚きましたが、最も衝撃を受けた話のひとつが「小学生でも留年がある」というものでした。実際のところはどうなんですか?

【吉田】うちは子供が2人いて、次男はまだ小学校入学前ですが、長男が昨年秋から小学校に通い始めました。詳細はブログに書きましたけど、オランダの小学校では、本当に留年や進学が特別なことではありませんでした。もちろんオランダの全ての学校を把握しているわけではないので、あくまでうちの子供が通うイエナプラン教育を採用する学校で、ということですが。

【秋山】確か、カリキュラム(教育課程)が子供たち1人ひとりで異なるんですよね?

【吉田】そうです。だから長男がオランダで小学校に通いはじめるとき、「8歳だから小学3年生」みたいに杓子定規的に決めるのではなく、個人の能力や性格を見た上で、先生と親、子供の三者で相談して、どの学年のクラスに入るのかを決めました。

でも、そのことより驚いた出来事が起きました。入学1ヵ月で、進級したんです。学習の進度はもちろん、「休み時間は誰と遊んでいるのか」「普段、1人で何をしているのか?」などを先生が全て詳細に把握していて、総合的に判断すると進級したほうがいいのではないか、という提案でした。

長男と相談の上、「Ja(はい)」と答えましたが、先生に話を聞くと、進級させずに同じ学年をもう一年やり直すこと(留年)も普通にあるのだそうです。

■日本のビジネスエリートたちに危機感を覚え、移住を決断

【秋山】『18時に帰る』という本の取材の中で、私たちは、オランダの社会にはそうした臨機応変さが至る所にあると感じました。変革期を迎えている今の日本社会にとって、それは大きなヒントになると思っています。吉田さんも、今の日本に危機感を持っているから海外移住を決めたとお聞きしました。

【吉田】はい。もっと具体的に言うと、子供の将来のことを考えると、日本よりも良い教育環境、子育て環境が海外にあるんじゃないかなって思ったんです。

少しずつ変わってきたとはいえ、まだまだ今の日本は良い大学を出て、大手に就職すれば安泰という考え方があります。そして、日本の教育はその前提のもとにある。その結果、僕も含めてですが、組織としての日本の企業の弱さが露呈してきているように感じたんです。前職時代、一流と呼ばれる企業の方々と仕事をしてきたからこそ、余計にこれは危機的だなって。

一例をあげると、決裁のシステムが複雑すぎて、優秀であるはずの社員1人ひとりが思考停止状態になっていると感じています。決裁のために10以上の段階があって、その中で最初に掲げていたはずの方向性を捻じ曲げたり、持っていたはずの信念や意見を見失ったり、「持ち帰って検討します」と言ったまま何もしなかったり……。経済のグローバル化が進む中、このままでは日本企業は危ういんじゃないかって思ったんです。

【秋山】なるほど。実は、私たち団体では、毎年「夫婦の出産意識調査」というものを行っています。同調査では、「子育てと移住について情報収集をしたことがあるか?」という問いに、18.4%がYESと答えているのですが、興味深いのがそのYESと答えた人のうち、52%もの人が「実際に移住した」と答えていることです。

もちろん国をまたがない近距離の移住もあるのでしょうけど、それでも意外なほど多いという印象を持ちました。吉田さんのような危機意識を持っている人は、案外多いのかもしれません。

【吉田】そうですね。今の40〜50代の親世代は、あと10〜20年働けば無事に定年を迎えられるかもしれない。でも、子供たちはそうじゃないですから、子供のためを思ったら行動しないとダメだということでしょう。

僕自身、自分に2人の子供ができ、彼らが成長する過程で、「世界で活躍できる教育を受けさせるには?」ということを考えたのは当然だと思っています。そして、実際にいくつかの国を視察したうえで、オランダ移住を決断したんです。

■オランダは「自分の意見を述べる」を重視する

【秋山】でも、どうしてオランダを選択したんでしょうか? 先ほどの留年や進級の話以外に、オランダの教育と日本の教育での違いはどこにあると感じていますか?

【吉田】海外移住については、ビザ(査証)や生活費の問題もあったのですが、それらはいったん横においておきますね(笑)。教育に限って話を進めると、根本的なところで、日本の学校教育は「正しい答えを教える」ことに関してはすごく優れているけれど、「自分の意見を述べる」とか「どういうふうに考えるか」とか「なぜそうなっているのか」ということを教える教育にはなってないな、ということ。一方で、オランダは「自分の意見を述べる」「自分で考える」というところに重きを置いていると感じます。

学校全体で「こうしなさい」というものがほとんどないのは、その良い例です。実際、長男が通う学校の先生にハッキリとこう言われました。「先生は勉強を教える人ではありません」と。では、先生とは何か。「あくまで子供が好きなこと、やりたいと思えることを見つけるお手伝いをする人」だそうです。これはイエナプランに限らず、オランダで見学させてもらったモンテッソーリやダルトンなどの学校でも方向性としては同じだと感じました。

僕は今後、そういう「自分の意見を述べる」といったことが必要な社会になると思っています。だから、全員が黒板を向いて、お行儀よく先生の話を聞くというのが基本になっている日本の教育ではなく、オランダを選んだということです。

【秋山】なるほど。実際、私たちがオランダで学校を訪問したときも、子供たちは伸び伸びと自由に学習していましたね。そして、なによりも楽しそうな姿が印象的でした。

たとえば小学校低学年の子供たちは、「今日、自分はどういった勉強をしたいのか」を自分で選んでいました。つまり、小さな男の子や女の子が、自分自身でカリキュラムを決めていたのですが、当然、彼らは「楽しさ」を重視しますよね。

それから勉強する場所についても、楽しむことを重視している様子が窺えました。たとえば椅子ではなく、バランスボールに座って授業を受けていたり、課題に取り組むときは自分が集中しやすい場所に主体的に移動したり。廊下に机と椅子を並べて課題に取り組む子どもたちも普通にいましたよね。日本だと廊下は立たされる場所でしたが(笑)、オランダでは集中できる場所の一つになっていたんですね。これにもすごく驚かされました。

【吉田】そこ、本当にその「楽しい」ってところは、大きなポイントなんだと思います。オランダの学校で子供たちを見ていると、本当に楽しそうなんです。

■「もう少し子供を中心にした社会になってもいい」

【吉田】もちろんオランダは学校によって方針がいろいろなので、すべての学校がそうだとは言えないのですが、長男が通っている学校や、あるいは友人・知人から話を聞く限り、オランダの学校の先生たちは、とにかく「生徒が楽しい」ということを重視しています。これはもう本当にはっきりしています。

特にオランダの場合、学校の運営は別の機関(学校運営会社)が担っているんですね。ですので、先生は事務的な作業をする必要がないんです。だから常に生徒たちに向き合うことができる。ここは大きな特徴だと思いますし、良いところだと僕は感じています。

【秋山】最近よく日本でも言われていることですよね。日本の先生はやることが多すぎる、と。そこはオランダを見習って、特に事務的なところでの負担を減らしてあげられたら、よりよい教育につながるのかもしれません。

最後の質問をさせてください。これは、『18時に帰る』を書くきっかけになったことですが、オランダはユニセフ・イノチェンティ研究所によって「世界一子供が幸せ」だとされた国です。実際に住んでみて、それを肌で感じることはありますか?

【吉田】すごく感じますね。先ほどから話している教育もそうですけど、オランダではあらゆる面で、子どもが社会の真ん中にいるということを実感します。物理的に公園が多いとか、子どもNGなお店が少ない、というかほぼないこととか、子どもがスーパーマーケットで騒いでいても、だれも嫌がらないこととか。注意をしないということではなく、嫌がっている雰囲気は微塵も感じません。

【秋山】公園は日本だといろいろなルールがありますよね。「ボール遊び禁止」とか「大きな声で騒がない」とか。

【吉田】はい。オランダではあり得ないことです。で、何が言いたいかというと、それらは結果的に子育てをしやすい環境になっているということ。たとえばベビーカーを電車に乗せるかどうかが、日本では議題にあがったりしますけど、そんな問題は絶対に起きない。乗せてOKがあたりまえだし、みんなが乗せるのを手伝ってくれる。それが普通の光景。それ以上でもそれ以下でもない。

そして、子育てがしやすいというのは、「結果的に親が幸せ」ってところにつながっている。やっぱり親が幸せな国は、子供も幸せですよね。

今、オランダに住んでいて、そこから日本を見ていると、やっぱりきちっとしすぎているなと感じることが多々あります。もちろんそれが日本の良さでもあったりするので、一概に否定するわけではないのですが、やっぱりもう少し子供を中心にした社会でもいいと思うんです。それは仕事にしてもそうですし、子育てや家事にしてもそうです。

【秋山】おっしゃる通り、親が仕事や子育てでストレスを強く感じて笑顔になれなくなると、必然と子供も笑顔じゃなくなりますよね。そうするとさらに子育てが辛くなる。そういう負の連鎖に入りがちです。子育てもそれぞれで、絶対という正解もありませんよね。日本全体が子育てや働き方など、多様性を受け入れられる柔軟な社会になる必要があると考えています。

【吉田】そうですね。僕としては、オランダの教育や子育て環境が、その参考例のひとつとなればいいなと思っています。

公益財団法人1more Baby応援団
理想の数だけ子どもを産める社会を実現するため、結婚・妊娠・出産・子育て支援に関するさまざまなシンポジウムや調査活動、情報提供を行っている。編著書に『こども大国ニッポンのつくりかた』(木楽舎)、『なぜ、あの家族は二人目の壁を乗り越えられたのか?』(プレジデント社)がある。http://www.1morebaby.jp/

----------

秋山開
公益財団法人1more Baby応援団専務理事。二男の父。日本の少子化問題の解消に向け、子育て環境や働き方等について調査、啓蒙活動を推進。執筆、セミナー等を積極的に行う。近著の『18時に帰る−世界一「子どもが幸せな国」オランダの家族から学ぶ幸せになる働き方』(プレジデント社)は、第6回オフィス関連書籍審査で優秀賞に選ばれている。
吉田和充
東京都出身、オランダ在住のクリエイティブ・ディレクター/ブランディング・デザイナー/保育士。経営戦略、広報広告戦略の立案・実施、プロデュース、商品開発、新規事業立ち上げ、海外進出プロデュースなどに携わっている。http://otoyon.com/

----------

(秋山 開、吉田 和充)