「高品質・低価格」は、究極的には労働者を酷使することでしか実現しない(写真:tunart/iStock)

日本でもようやく、「生産性」の大切さが認識され始めてきた。
「生産性向上」についてさまざまな議論が展開されているが、『新・観光立国論』(山本七平賞)で日本の観光政策に多大な影響を与えたデービッド・アトキンソン氏は、その多くが根本的に間違っているという。
34年間の集大成として「日本経済改革の本丸=生産性」に切り込んだ新刊『新・生産性立国論』を上梓したアトキンソン氏に、真の生産性革命に必要な改革を解説してもらう。

日本の「労働者1人あたりGDP」は世界第29位


前回の記事(「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ)では、日本の「最低賃金」が世界的に見て安すぎること、2020年のあるべき最低賃金は1313円だということをご説明しました。

この記事には大きな反響をいただきました。すべてに目を通すことはできませんが、多くの方が今の最低賃金は安すぎると感じており、「最低賃金を上げるべき」という私の主張に賛同してくださったようです。

実は最低賃金が安いことで、日本には「ある犯罪的な考え方」がはびこり、それが経営者の「横暴」を許しています。今回は安すぎる最低賃金が可能にする「高品質・低価格という犯罪」について、解説していきます。

日本の労働者1人あたりの生産性は先進国最低で、スペインやイタリア以下です。『新・生産性立国論』の中でも繰り返し述べましたが、これから人口が激減する日本では、この地を這うように低い生産性を大幅に改善していかなくては、明るい未来は望めません。


私が生産性の話を始めると、必ず同じ論旨の反論が返ってきます。「日本は技術大国だし、皆真面目に働いているから、生産性が低いのは何かがおかしい」。

それを正当化する人は、こんなことを言い出します。「日本の生産性は、低く見えるだけ。日本は品質の良いものを、安く売っている。つまり、日本は高品質・低価格の国で、カネカネとうるさく言わない。これが日本の美徳だ」と。

高品質・低価格は「こじつけ」にすぎない

この言い分には、それなりの説得力があるようにも感じられます。

たしかに日本には高い技術力があります。しかも、日本の労働者の質は高い上、真面目に働くので、作っているものもいい。しかし、一方で生産性が先進国最下位なのもまた事実で、何かがおかしいのは明白です。

そこで、先ほどの反論を考えた人は価格に目を付けました。なぜなら、生産性は金額で表されるからです。そこで、「日本は高品質・低価格ということにすれば、海外に見劣りする生産性を正当化することができる。しかも、それを美徳とすれば、精神論に持っていける」と考えたのでしょう。

素晴らしい「こじつけ」で、考えた人はなかなか頭がいいと思います。しかし、これは完全にデタラメな理屈です。

仮に日本の生産性が低い理由が、本当に「高品質・低価格という美徳」だとすると、全産業の生産性が低くなるはずです。しかし、日本の製造業の生産性は海外と比べてもさほど低くはありません。一方、サービス業の生産性は大きく水をあけられています。

もし本当に「高品質・低価格という美徳」が日本の生産性を低くしているという主張が正しいとすると、「サービスを消費する人と製造業の商品を消費する人が違う」という条件が必要になりますが、そんな事実はありません。

また、彼らがいう「高品質・低価格は日本の美徳だ」というのも、眉唾物です。仮に高品質・低価格が伝統的に日本に根付いた価値観だとしたら、時代を遡ってみても同じ現象が確認できるはずです。

しかし、今は先進国の中で第28位の日本の生産性(人口1人あたりGDP)は、1990年には第10位でした。「高品質・低価格という考え方は日本文化だ、日本の伝統だ」と主張する人たちは、1990年以前の状態をどう説明するのでしょうか

私には、高品質・低価格が日本の文化や、伝統的な日本的経営に起因しているとは到底思えません。

答えに窮した彼らからは、「デフレの結果、日本は高品質・低価格になった」というさらなる反論が返ってくることも予想されます。

しかし、この理屈も矛盾しています。先ほども説明したように、日本の製造業は他国と比較しても決して生産性は低くありません。この論のようにデフレが原因なら、製造業も同じように生産性が低くなってしかるべきです。理屈が通りません。

「高品質・低価格」は人口減少時代に合わない戦略

高品質・低価格の戦略は、1990年までは正しい戦略だったと思います。日本の人口が大きく増えている時代は、消費者が増え、世帯数も増加し、ものが売れやすい時代でした。テレビ、洗濯機、エアコンなどのさまざまなイノベーションもありました。

こういった時代では、規模の経済が働く「良いものを安く売る」戦略は、正解だったでしょう。低価格は需要の喚起につながり、利益も増えました。

しかし、特に若い人が減り、同じものをより良く作って安く売っても、需要を喚起することができなくなってきました。規模の経済は働かず、結果としてデフレを起こすだけでした。

この間、経営者が何をしたのか。人口の増加が止まり、減少に転じたため、供給が過剰になりました。本来であれば、ここで付加価値を高めて、生産性を上げる方向に舵を切るべきでした。

しかし、サービス業などの過剰分を輸出に回せない業界では、需要が減っていることの重大さを理解することなく、需要を喚起しようと価格を下げて、何とかなることを期待したのです。

これが、日本の多くの経営者がとった愚かな戦略で、日本をデフレに追い込み、せっかくの良いものを低い価格でしか売れない国にしてしまった最大の原因です。どう考えても、「高品質・低価格」という戦略がデフレの原因なのです。

「良いものが安く手に入るのなら結構なことじゃないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

たしかに一消費者の立場で考えるとそう思われるかもしれませんが、労働者の立場から見ると、高品質・低価格は地獄です。高い給料をもらえないのに、長時間、真面目に働くことを強制され、追い詰められるだけだからです。「犯罪的」と言っても、言いすぎではないと思います。

日本は最低賃金が極端に安いので、労働者を安い賃金でこき使って「高品質・低価格」を実現することが可能なのです。近年の非正規社員の増加は、経営者が最低賃金の低さを利用して「高品質・低価格」戦略を維持している結果としか思えません。

World Economic Forumによると、日本人労働者の質は世界第4位と、大変高く評価されています。しかしながら、高品質・低価格な状態が放置され、一生懸命働いても能力や働きにふさわしい給料がもらえていません。能力や働きにふさわしい所得を得るのは、海外では常識以前の話です。前回ご説明した通り、日本は人材の評価では世界第4位なのに、第32位の韓国より最低賃金が低いのです。どう考えても異常なことです。

諸外国でできることが、なぜ日本ではできないのでしょうか。労働者の質が世界第4位だというのは、何かの間違いなのでしょうか。技術もなければ、勤勉でもないとでもいうのでしょうか。そんなはずはありません。だとすれば、高品質・低価格がおかしいのは明らかです。

このままでは「両親を見殺しにする国」になる

社会保障システムを維持する観点からも、高品質・低価格は許容できません。

皆さんもご存じの通り、日本ではこれから長期間にわたって人口が減少します。国の経済規模、すなわちGDPは単純に書くと「人口×生産性」という式で表すことができますので、人口が減るのであれば、生産性を上げなければGDPはどんどん小さくなってしまいます。生産性を上げるためには商品・サービスの単価を上げる必要があるので、低価格を維持するのは不可能です。

日本では、これから生産年齢人口が大きく減ります。しかし、平均寿命が延びており、高齢者の数は減りません。その結果、社会保障の支出は減らないどころか、増えることが予想されます。


高齢者自身が負担する医療費の水準が今と同じだとすると、数が減らない上、今後高齢者1人にかかる医療費はおそらくさらに増えるので、GDPが減れば、GDPに占める医療費の割合が高くなります。

つまり、若い人の負担が今まで以上に重くなるのです。もちろん、若い人の負担には限界があるので、手をこまねいていると社会保障制度が破綻します。

高品質・低価格は美徳だという考えから抜け出さないと、将来、医療費をはじめとした社会保障費を捻出できない事態になるのは確実です。

ご両親が命にかかわる病気になった場面を想像してみてください。国におカネさえあれば、治療が受けられ、助かるかもしれない。しかし、国におカネがない。だから社会保障も縮小傾向で、庶民の高額医療費を補う余裕はない。それもこれもGDPが減ってしまったため。その結果……。

あえてシビアな場面を想像してもらいましたが、高品質・低価格などという考えを捨て改革に着手し、GDPを維持する方向に動き出さないということは、このように、ご両親を見殺しにするのと同じなのです。

さらに「国の借金」の問題もあります。

皆さんもご存じの通り、日本は1200兆円という膨大な借金を抱えています。国の借金の規模を見るときに重要なのは、借金の金額そのものではなく、GDPに対する比率です。日本の場合、GDPに対する借金の比率は2倍以上で、世界的に見てもっとも高い水準です。

政府の抱えている借金に関しては、過度に悲観視して、明日にも日本が経済破綻するような論調が見受けられる一方で、逆に心配いらないと主張する方もいます。「日本は貯金が多いから借金は問題ではない」「日本は債権国だから大丈夫」という主張なのですが、これは借金問題を勘違いしているとしか言いようがありません。


借金のGDP比率が高いのは、分子が大きいか、分母が小さいかのいずれかです。日本の場合、高品質・低価格という異常事態を長く放置した結果、生産性が低くなり、分母のGDPが異常に小さくなったために、借金のGDP比率が世界一高くなってしまったのです。

高品質・低価格から「高品質・相応価格」に転換できれば、事態は大きく変わります。人々の所得が増え、所得税が増えます。物価が上がれば、消費税収も増えます。株価が上がり、年金資産の含み益も増えます。さまざまな問題が、一気に解決するのです。

最低賃金は2060年に最低でも1752円

社会保障制度を維持するためには、最低でも今のGDPを維持する必要があります。では、GDPを維持するとして、最低賃金はいくらに設定すべきでしょうか。

前回ご説明したように、「1人・1時間あたりGDP」の50%を最低賃金のあるべき水準とすると、人口減少はかなり正確に予想できますので、あるべき最低賃金も計算することができます。前回の1313円は最終目標ではありません。最低賃金は、ずっと上げ続けなければなりません


人口の動きが変わらない限り、GDPが横ばいだとしても、2060年には1752円が適正な水準となります。いまの「高品質・低価格」を維持しながら、この水準の給与を払うことは不可能でしょう。

だからこそ、今後は「高品質・相応価格」の戦略への転換が求められているのです。端的に言うと、52円の味噌汁や500円以下のランチを提供するのは、自殺行為なのです。