バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した浅田真央さん【写真:Getty Images】

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「スポーツ界の名珍場面総集編」…4月にトリプルアクセルの女王が発表した現役引退

 2017年のスポーツ界を沸かせた名シーンを連日にわたって振り返る「名珍場面2017」。今回は4月にフィギュアスケートの浅田真央さんが発表した現役引退だ。バンクーバー五輪で銀メダルを獲得し、国民的ヒロインとして愛された名スケーターが26歳にして決断。トリプルアクセルの女王に対し、日本はもちろん、世界的に反響を呼ぶなど、当時は驚きと労いの声が広がった。

 突然の知らせに日本中が揺れた。4月10日、午後11時のことだった。浅田さんは自身のブログを更新し、「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました」と表明。驚きの一報をテレビ各局がテロップのニュース速報で報じ、NHKもニュース番組のトップで伝えるなど、世間を駆け巡った。

 日本のみならず、世界も驚いた。「引退表明」の報は発表から1時間あまりで世界各国で報じられ、米メディアは「アサダは日本の歴史上最も輝かしく、最も人気の高いスケーターだ」と伝えた。さらに、日本、海外のスケーターも反応した。

 アシュリー・ワグナー(米国)は「マオちゃん、あなたの才能が氷上を照らし、スケートの道を変えてくれた」、アレーヌ・シャルトラン(カナダ)は「マオは私のヒーローの一人!」、ラウラ・レピスト(フィンランド)は「私たちのスポーツを発展させたマオ・アサダに大きな尊敬と感謝を。究極で唯一無二のキャリアにおめでとう」とSNSに投稿し、感謝と惜別の声が続出した。

 浅田さんは15歳で出場した05年のGPファイナルでいきなり優勝。一躍、世界の脚光を浴びたが、翌年2月のトリノ五輪は年齢制限により、出場できないという悲運に泣いた。4年越しに初出場したバンクーバー五輪はSP、フリーで3度のトリプルアクセルを跳び、銀メダルを獲得。代名詞となった、その技で挑戦し続ける姿勢は、多くのスケーター、ファンの心を打っていた。

引退会見で最後に涙…引退後も変わらない「チャレンジ」の姿勢

 だからこそ、世界選手権3度制覇の実績はもちろん、人気も抜群だった。引退会見では「気持ちも体も自分の気力も全部出し切った。何も悔いはないです」「(フィギュアは)ひと言で言うと、人生かなと思います」などと語り、笑みを振りまきながら語った。しかし、最後にカメラを背を向け、涙をこらえるような仕草は日本中の感動を呼んだ。

 引退後も世界の注目は変わらなかった。9月25日に27歳の誕生日を迎えた際には、バンクーバー五輪でSP史上初のトリプルアクセルを成功させた「仮面舞踏会」の演技をオリンピックの公式ツイッターが動画付きで祝福。「伝説のSP」に脚光を当て、スケーター・浅田真央の足跡に改めて称賛を送っていた。

 浅田さん自身も現役時代と同様、「挑戦」の姿勢を貫いている。とりわけ、10月には初マラソンとなるホノルルマラソンに出場することを発表。地道にトレーニングを続け、4時間34分13秒で見事に完走したことが話題となった。新たなフィールドでもチャレンジをやめることがない。

 21日には浅田さんも6度制し、現役最後の大会となった全日本選手権が開幕。平昌五輪の出場権をかけて熱い戦いが繰り広げられる。浅田さんがフィギュア界に残したバトンを受け継ぎ、次代の日本を狙うヒロインの誕生を期待したい。(THE ANSWER編集部)