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2017年の衆議院選挙で、山尾志桜里氏が再選し、豊田真由子氏が落選した。コラムニストの河崎環氏は「2人は劇的なコントラストをみせた」としたうえで、「山尾氏の再選は、家庭人としての誠実さより、政治家としての優秀さを評価する時代の到来だ」と指摘する。不倫も汚職も「みそぎ」も、男性だけのものではなくなったのだ――。

10月に行われた2017年の衆議院議員選挙。私にとって、見逃すことのできなかった候補者が山尾志桜里氏と豊田真由子氏だった。共に40代前半で東大法学部卒、選挙前にそれぞれ不倫疑惑と暴言問題で、メディアを大いに沸かせた女性政治家だ。だが私は、この文句なしに世代を代表する才媛二人のそれぞれの醜聞は、日本の「女性活躍推進」が進むために大きな意義のあるものだったと受け取っている。今回の脳内エア会議のお題は、「山尾氏の当選と豊田氏の落選という劇的なコントラストを、私たちはどう解釈すればいいのか」です。

■「野党分裂→ツギハギ共闘」の中で生まれたスターたち

小池百合子氏が「希望の党」結党を発表したときの、あの「百合子が国政へ動いた! 今度は何をやってくれるんだろう!?」とのハラハラドキドキが、排除カードが切られた瞬間に空中分解。野党分裂とツギハギの狂騒に突入したまま、タイムアップでなだれ込んだ感のあった衆院選だった。

衆院選直前、「各党の教育関連の公約を比較して」との原稿依頼に応じ、教育無償化トレンドに雑に乗っかった希望の党と立憲民主党の教育関連公約のスカスカさに「十分な議論の跡が見られない。政争のバタバタで公約を丁寧に編む時間がなかったとの印象」と私は書いた。この2党の内容の薄さは、与党や維新、社民・共産に比べ、致し方ないとはいえ著しく際立っていた。希望の党に至っては、経済政策でも、まさにその雑さや軸のブレ方から「露骨なポピュリズム」を指摘した論者もいたほどだ(参考:経済政策でみる「希望の党」のあまりに露骨なポピュリズム http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53259)。

だが立憲民主党は「保守とリベラルは対立概念ではない」と主張。改憲に慎重なリベラリズムとはむしろ保守である、改憲推進の安倍自民こそドラスティックな革新派ではないかという新解釈を生み、枝野幸男氏はリベラルのスターとなった(参考:「自民党は保守じゃないんですよ」 漫画家・小林よしのりが応援演説で語ったこと https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/kobayashi-yoshinori-speech)

■リベラルにもたらされた物語

確かに、「保守」の字義通りの意味を考えればそうだ。55年体制の中に生まれ育った世代にとっては、その生まれ育った環境の維持こそが「保守」主義なのであり、若い世代になればなるほど義務教育のプロセスで「平和憲法は尊く、不可侵なもの」とたたき込まれている。この「リベラルの方が当たり前だよね、心地いいよね」という(比較的)若い世代の感覚を「それは保守なのだ」と主流側に承認し、見事にすくい上げた立憲民主は、瞬く間に共感を集めて希望の党を凌駕し、希望の党は失速した。選挙前の全量ツイート分析では、各党名の単純なメンション数比較において「ツイッター上では自民、立憲民主と共産が分け合う3強体制」という、ツイッター民主主義らしいとも言える姿を見せていた。(参考:衆院選 全量ツイート分析 自民、選挙翌日も圧勝 3強変わらず https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/shuin2017-tweet/)

不思議なことに、事前から事後、予感から結果までを含めた自民党の圧勝ぶりは、自民それ自体よりも、苦戦を続けた分裂後の野党候補者たちのほうに物語を提供した。最終的に与えられたのが議席ではなく物語であるところが皮肉ではあるが、枝野氏の選挙活動は「東京大作戦」など、SNS時代らしい参加型のエンターテインメント性を備えた物語として秀逸だった。また、無所属で苦闘の末に当選を果たした野田佳彦氏が選挙戦を振り返り、自身と同じく元民進党から無所属へ降りて後ろ盾を失ったまま戦わざるを得なかった「仲間たち」をねぎらった様子には、サラリーマン世代の涙を誘う精神性があったように思う。

■不倫疑惑の山尾氏と、暴言問題・豊田真由子氏の明暗

そんな2017年衆院選において、特に私にとって見逃せなかった候補者が、山尾志桜里氏と豊田真由子氏だった。共に40代前半で東大法学部卒、選挙前にそれぞれ不倫疑惑と暴言問題で、メディアを大いに沸かせた二人だ。だが私は、この文句なしに世代を代表する才媛二人のそれぞれの醜聞は、「女性活躍推進」の時代にとって、大きな意義のあるものだったと受け取っている。

女性活躍とはすなわち、社会のあちこちの場面に男性の姿があると同様に、同じ重要性で……つまり、アシスタントや“華”ではないという意味で、社会のあちこちの場面に女性の姿があるのが当然の風景となることだ。これからの時代、本当に女性が活躍するようになれば、女が褒められるばかりであるわけはない。政治の世界に限らず、男性が中心の世界で女性がちやほやしてもらえるのは、その存在が希少だから(量的未達)、あるいは「男を脅かさないから」(質的未達)がゆえである。男性同様に遠慮なく嫉妬され、スキャンダルをお見舞いされ、プライバシーなど踏みにじる下衆な報道をされ、人々の口の端に上がりボコボコに批判されるようになって初めて、女性も男性と同じ重要性があると評価されたのだと思っていい。たとえ下世話な話題であろうとも、話題として成立するのは知名度やタレント性がある証拠。だから山尾氏も豊田氏も、こうして容赦なくたたかれたということは、男性政治家と同じ重要性で「いっぱしの政治家の仲間入りをした」ということだ。

ところが、まず豊田氏の落選が確定した。離党後、自公が新たに擁立した穂坂泰氏を向こうに回して戦った埼玉4区。穂坂氏はトップ当選し、豊田氏は得票率最低だったという結果に、あのような報道で人格を疑われ、政治家としての資質に徹底的に疑問を持たれるとはこういうことなのだと感じた。しかし私は思うのだ。もし、豊田氏が男性であっても同じ結果になっただろうか。単なる不人気ではなく「人格の不承認」となると、男性よりも女性において容赦のない結末が待っているものだ。

対して山尾氏の愛知7区は、山尾氏と自民候補・鈴木淳司氏との一騎打ち。アンチ自民票が元民進党の顔の一人であった山尾氏に流れ込むという好条件と、しかもスキャンダルが皮肉にも後押しした圧倒的な知名度とで、元経産副大臣である鈴木氏とたった734票差で辛くも競り勝った。

「保育園落ちた日本死ね!!!」の件など、ある意味で現代の「女子供のリベラル」を代表して安倍政権との明らかな対決イメージを持つ山尾氏には、不倫疑惑があっても、政治家としての活動に評価が与えられたということなのだろうか。政治家としての公人格とプライベートな人格とを分けて評価する、まるでフランスやイタリアのような感覚が、日本の政治家に対しても持ち込まれたのだとすれば、これは世間の想像以上に画期的なことだ。なぜなら、不倫問題が起きたときも、男性よりも女性のほうが激しいバッシングを受けるのが常なのだから。

政治家として優れていることが、個人として家庭人としての誠実さに疑問を持たれることよりも優先される時代が到来したのだとすれば、それはここ2年ほどの週刊誌が執念深く有名人の不倫問題をほじくり続けた結果、新たにすがすがしい価値観の地が拓かれたということかもしれない。

■フェアな政治なら、女性政治家にも醜聞と「みそぎ」があっていい

社会的な立場や社会貢献度、知名度が高い女性は、これまで希少ゆえにスキャンダルなどの対象にならない、「高潔な人」であると同時に「話題にしてもつまらない人」だった。その彼女たちにも下世話なスキャンダルがお見舞いされ、人々の関心をあおっていることに、ある意味で真の女性活躍推進が浸透する姿を見る。

そこそこ整った風貌でハイスペック高学歴な実力派の男性政治家が「どこかの手頃な女と不倫くらいする」のを聞いたって、そんなもの掃いて捨てるほどある話なのだから、誰も大して驚きやしない。考えてみてほしい。仮に、みんなが大好きな小泉進次郎にそんな話が浮上したとする(あくまでも「仮に」である)。実力派政治家の彼が、あの整ったフェイスで真剣におわびして回ったら、「ありがちだよね」「発散だって必要でしょうし」とわりと寛容に世間は槍やら鉾やらを下げると思うのだ。なぜなら、人々は男性のそんな話には慣れているからだ。

男性には当然ある「シモ」などの大人としてダメな話が、(その相手となる)女性にもまた当然あり、男性と同じように人間臭いリアリティーを備えつつ活躍しているというだけのことに、日本中挙げて「えっまさか」「あんな立派な人が」なんてカマトト……もとい、ピュアな反応を見せてきたあたり、ホント日本って女慣れしていないというか、成熟した大人の女を認めないカルチャーだったと思う。

そんな男子中高生のようにピュアな日本で、狸のようにくえない女性政治家があちこち跋扈するようになれば、むしろ「女性活躍推進完了」だ。今回の選挙で自民党の甘利明氏が返り咲いたように、金銭授受問題を刺されて失脚したとしても、本人のキャリアと実績・知名度の高さがあればシレッと返り咲けるような、そんな摩訶不思議な「みそぎ」事例が女性政治家の話題にもたくさん出てくればいい。性別に関わらず本当に政治家としての実力を問う世の中ならば、不倫も汚職も「みそぎ」も、男性政治家だけのものではなくなるのだ。

(フリーライター/コラムニスト 河崎 環 写真=時事通信フォト)