「MP3が終わった」とはどういうことか?

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4月23日、ドイツの民間研究機関・フラウンフォーファー研究機構が、あるプレスリリースを発表した。それは「MP3」のライセンス特許提供を終了する……という内容である。これを受けて、「MP3は死んだ」「MP3、正式に終了のお知らせ」といったタイトルの記事が世間をにぎわせた。MP3が終わったとは、どういうことなのだろうか?

■データサイズを2桁削減、デジタル家電時代を拓いた功労者

MP3の名は、多くの人に「音楽データの名前」としてなじみがあるだろう。そのソフトウエアライセンス供与を、特許ライセンスの保持者であるフラウンフォーファーがやらなくなる、というのはどういうことなのか。そもそも、「特許ライセンスの提供が終了する」とはどういうことなのだろうか。

MP3、正確には「MPEG-1 オーディオレイヤー3」と呼ばれる技術は、1987年にフリードリヒ・アレクサンダー大学とフラウンフォーファーが共同で開発した、音声をデータ化するための技術である。特徴は、「音響心理学モデル」を用いて、人間の耳には感じづらい領域の音からカットしていくことにより、音のデータ量を劇的に削減しつつ、聴く人には違和感を抱かせないという手法にある。CD(すなわち非圧縮)では1分あたり50MB程度あった音楽データを、50分の1・100分の1にまで小さくしても、極端に劣化した音には聞こえなかった。

非圧縮で1分50MBという値は、いまでは特に“重い”ものではない。しかし、25年前にはあまりに巨大なデータだった。PCのメインメモリーは数「メガバイト」しかない。また、当時のインターネットは「ブロードバンド以前」だ。毎秒数十「キロ」bps(1秒あたりのビット数)で転送するのがやっとだった。今よりも2桁以上遅い機器しか存在しない時代、音楽データを扱うのは極めて困難だった。個人が扱うのは難しく、流通にも、CDという媒体を使うのがもっとも楽な方法だった。

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▼参考
・1MB(メガバイト)=1,000KB(キロバイト)=1,000,000 Byte(バイト)
・1バイト=8ビット

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しかし、データ容量を簡単に50分の1にできて、しかも音の劣化が少ないMP3が登場したことは、これらの困難さを一気に解消する力を持っていた。

その後の普及は、みなさんもご存じの通りである。「MP3プレーヤー」は世界を席巻し、アップルは「iPod」を作り、その成功がiPhoneにつながった。

実際には、同じような手法で音のデータを小さくする技術はMP3のほかにも同時に複数生まれており、そのひとつが、MDにも使われていた「ATRAC」である。しかし、多くの人がPCで気軽に使えたこと、製品バリエーションが多く自由度が高かったことなどもあり、結果的には、家電メーカーは「MP3の流れ」に敗北することになった。

現状、日本ではまだCDが売れているが、世界的にはすでに音楽は「デジタルデータでネット流通」するものになっている。その基礎を築いたのがMP3……ということになる。

■実は「自由」ではなかったMP3

MP3は著作権保護技術とセットで使われることが少なく、「自由な形式」というイメージを持つ人が多いかもしれない。しかし、こと「特許」の観点でいえば、MP3はいろいろと議論を巻き起こしてきた。

MP3は単独の技術でできているものではない。データ化し、圧縮する基本的な技術は同じであるものの、特に小さなデータ量で音の劣化を抑えるノウハウや処理技術には細かい特許が別途存在する。

冒頭で述べたように、MP3はフラウンフォーファーが主導的な立場をとってきた。彼らは初期から、MP3の利用について、仏トムソン(現テクニカラー)と共に、特許ライセンス料の支払いを主張してきた。大手家電メーカーやソフトメーカーは、紛争を避ける意味合いもあり、彼らと特許のクロスライセンス、もしくはライセンス料の支払い契約を交わしている。

一方、MP3が利用されていく過程では、フラウンフォーファー・トムソンの特許との関係があいまいなままにソフトウエアが開発され、特にPC上で広がっていった部分もある。どの規模での利用まで請求されるのか、どの部分が権利侵害とされるかの見通しが立ちづらかったのである。中には半ばわざと権利関係を無視して利用しているものもあるようだが、リスクを感じて立ち止まる人々もいた。

面倒なのは、MP3関連特許について、さまざまな企業が関係を主張したことにある。例えば、仏アルカテル・ルーセントは2003年、マイクロソフトに対し、Windowsを中心とした製品が、アルカテル・ルーセントの持つMP3関連特許を侵害した、として訴訟を起こしている。マイクロソフトはフラウンフォーファーとライセンス契約を交わしているにもかかわらず、2012年に両社が合意に至るまで(その内容は明かされていない)、9年にも渡る係争を続けることになった。

■代替技術の普及で使命を終えたMP3

このような事情もあり、特に2000年以降、各企業はMP3を使いつつも、代替技術へと手を伸ばす例が増えていった。

現在MP3に変わり、音楽データの配信に広く使われている「AAC」は、MP3より音質が良い上に、MP3に比べ特許ライセンス形態が明解で利用しやすい。「Vorbis」「FLAC」といった、仕様をオープンにし、特許使用料が発生しないファイル形式も普及している。ある意味、MP3はすでにその使命を終えているのだ。

そんな中、フラウンフォーファーはMP3のライセンス提供を「終了」した。今後、フラウンフォーファーが持つMP3関連特許に関わる技術を使っても、同社から請求されることはない。

MP3にはさまざまな関連特許があるが、開発から時間が経過し、特許による保護期間は続々と終了している。その最後のものが終わったのが「2017年2月」と言われている。そのため、フラウンフォーファーは正式にMP3の特許ライセンス事業を終了したのである。

これによる悪影響を受ける人は、おそらく誰もいない。かといって、非常に大きな利益を得る人がいるか、というとそれもいないだろう。すでに代替技術が多数存在するからだ。フラウンフォーファー以外の企業がMP3関連特許を主張する可能性はゼロではないが、その時は現在と同様、代替技術を使えばいいだけだ。おそらく問題が発生することはあるまい。

しかし、MP3という歴史的技術を使ったソフトウエア開発のリスクがさらに軽減されたことは間違いない。改めて「MP3圧縮ソフト」を作るところも出てくるかもしれない。過去のファイルを使える基本的な形式として、MP3はこれからも存在していくことだろう。

(ジャーナリスト 西田 宗千佳)