勝てる試合だった。もったいない。そう表現して構わない試合だろう。

 しかし、もしも結果が逆なら、それは相手の立場でも同じこと。客観的に試合内容から判断すれば、結果は妥当なものだったと認めざるをえない。

 U-20W杯の決勝トーナメント1回戦が行なわれ、ベネズエラと対戦した日本は、延長戦の末に0-1で敗れた。


強豪ベネズエラ相手に、あと一歩及ばなかった日本 3試合すべてで前半に失点していたグループリーグに比べれば、日本は多少の運も味方につけてうまく試合に入った。前半を終えて0-0は、まずは第一関門クリア。MF堂安律が「想定内。プランどおりに進められていた」と言えば、DF冨安健洋も「グループリーグ3試合よりは落ち着いてできた」と振り返る。

 拮抗した展開のなかで、相手の焦りを誘いながら勝機をうかがう。おそらく日本がベネズエラに勝つためには、それしか手がなかった。0-0のまま、63分にはFW久保建英が途中出場。久保が出場した過去2試合と比べても、時間といい、展開といい、これ以上ない理想的な状況での切り札投入で、試合はまさに日本が思い描いたどおりに進んでいるかに思われた。

 だが、相手はグループリーグ3試合で無失点のベネズエラ。その強固なディフェンスをいつか破らなければ、勝利を手にすることはできない。堂安が続ける。

「あとは攻撃陣の得点だけだった。自分の責任かな、と思う。やっぱりシュートが少なかったし、バイタルエリアに入っていく回数が少なかった。そこにいくまでにボールを失うことが多かった」

 この試合、日本は過去3試合に比べれば、ワンタッチパスもまじえながらのパスワークにリズムがあった。だが、裏を返せば、できたのはそこまで。確かに決定機と呼べるチャンスも2、3度あったが、それを決められなかったことを悔やむのではなく、チャンスの数を増やすことこそがゴールへの近道と考えるならば、日本に得点が生まれる可能性は低かった。

 しかも、後半なかばを過ぎると、日本はチャンスを作る以前に奪ったボールを敵陣へ運べなくなり、次第に攻める術(すべ)を失っていった。ベネズエラにしても決め手を欠いてはいたが、試合が日本陣内で進む時間が長くなっていたのは確かだ。

 そして、延長後半の108分。日本はCKからついにゴールを奪われ、勝負は決した。決勝ゴールの場面で、ヘディングシュートを決めたMFジャンヘル・エレーラにマークを外された冨安が、悔しさを噛み殺すように口を開く。

「自分たちがボールを持ち続けることができれば相手も疲れて、(こう着した展開のなかで)最後に1点を狙えたかもしれない。だが、相手にボールを持たれる時間が長く、押し込まれる時間帯も多く、最後に一発やられてしまった。ずっとゼロで抑えていたが、結局、耐え切れなかった。自分の甘さだと思う」

 個人能力で日本に勝るベネズエラは、グループリーグでの戦いぶり以上に、「オレが、オレが」のサッカーになっていた。まったくと言っていいほど、周りが見えておらず、ダイレクトプレーの意識は皆無。ボールを持ったらひと息入れて、自分の間合いで仕掛ける。その一辺倒だった。

 高い身体能力は脅威だったが、攻撃が単発では怖さも半減。つけ入るスキは十分にあった。それだけに、「自分たちの精度の低さが出た試合。ただただ無念というか、悔しさが残っている」(堂安)という結末だった。

 これで、日本は2005年、2007年大会に続き、3大会連続で決勝トーナメント1回戦敗退。なかなか破れずにいる壁に、またしても行く手を阻まれたことになる。

 とはいえ、グループリーグ3試合を含め、大会全体を通して見れば、よく戦った。そう評価していいのではないかと思う。

 最初の南アフリカ戦の前半を終えたときには、この先、どうなることかと不安ばかりを感じさせられたチームが、最大目標であったグループリーグ突破に成功。決勝トーナメントでも、どちらに転ぶかわからない接戦を演じた。選手たちは試合をこなすごとに、世界レベルとの差を痛感しつつも、それを教訓に対応力を身につけていった。つまりは、成長していったのである。

 その象徴的な存在と言えるのが、センターバックを務めた冨安だろう。

 初戦の前半こそ、バタバタした様子をうかがわせたが、1試合ごと、いや、1試合のなかでも時間ごとに、落ち着いたプレーを見せるようになっていった。

 例えば、ベネズエラ戦の49分のシーン。MFジェフェルソン・ソテルドが左サイドから中央へ横ばいのドリブルをし、タイミングをうかがいながらFWロナルド・ペーニャへスルーパスを狙ったが、これを冨安がペーニャの前で鮮やかにカットしている。

 キレのあるドリブルの進入を見張りつつ、横から縦への方向変化にも瞬時に反応。しかも、後追いで最終的にどうにか止めたのではなく、ラストパスを完璧に寸断したのである。

 冨安本人は、「自分は自信を持つより、課題を見つけて取り組んでいくタイプ」であり、「(今大会でも)また課題が出たので、それに取り組むだけ」と、ここで得た自信や手応えを口にはしない。

 それでも、今大会で得た経験については「Jリーグとは、サッカーの種類が違うというか……」と言い、こんな言葉で表現している。

「(0-2で敗れた)ウルグアイ戦でも、日本はしっかり組織的にプレッシャーをかけているつもりでも、相手はビクともしないで普通にプレーしていた。逆に自分たちは、Jリーグでもプレッシャーをかけてくるチームはあるが、それとは違うプレッシャー(のかけられ方)だったというか……、サッカーが違うのかなと感じた」

 冨安は世界大会という舞台で”種類の違うサッカー”と相対し、ときに戸惑いながらも、確実に失敗を糧にしていった。ベネズエラ戦がそうだったように、手痛いミスも決して少なくはなかったが、まだまだ粗削りな背番号5の成長ぶりを見ることは、今大会の日本の試合を見るうえでの楽しみでさえあった。それほどに、冨安はみるみる適応力を上げていった。

 これこそが、育成年代で世界大会を経験することの意義だろう。

 FW岩崎悠人にしても、ウルグアイ戦を終えて、「パススピードが全然違う。相手のビルドアップで全然ボールに追いつかなかった。こっちは(プレスをかけて)牽制しているつもりでも、逆に走らされている感じだった」と語り、彼我(ひが)のプレー精度の差に愕然とさせられていた。

 それでも、ただ守備に奔走するだけではなく、いかにゴールに直結するプレーができるか。背番号13はそれを必死で探りながらピッチ上を走り続けた。

「悔いが残る。チャレンジはしたが、結果が残らなかった」

 岩崎はそう語り、悔しさを露(あら)わにするが、同時に「はっきりと課題が出た。この差をできるだけ早く埋めて、また世界に挑みたい」と目を輝かせる。突きつけられた課題とは、この大会を経験しなければ、少なくとも肌感覚では知りえなかったことである。

 時計の針を大会前に巻き戻せば、正直に言って、このチームに大きな期待はしていなかった。アジア最終予選(アジアU-19選手権)でも、攻撃では相手の守備ブロックの外でパスを回すばかりで、ボールが前へ進まない。また、守備では相手のスピードに振り切られ、簡単に裏を突かれることが少なくなかった。アジア王者になったとはいえ、その称号にふさわしい強さは感じられなかったからだ。

 だが、そんなチームが、前線の大黒柱であるFW小川航基を負傷で欠くというアクシデントがありながらも、試合を重ねるごとに攻守にたくましさを増していった。期待値が低かった分、よく見えただけだと言われればそうかもしれないが、10年ぶりに本大会へ駒を進めたことも含め、及第点。よくやったというのが率直な印象である。

 現在、20歳以下の日本代表を構成するこの世代には、3年後に東京五輪という大目標が控えている。今後、おそらく彼らには途切れることのない継続的な強化策が施されるだろう。その意味で言えば、自身が望むと望まざるとにかかわらず、厚遇を受ける彼らは特別な世代として、将来の日本サッカーを支える存在にならなければならない。

 特別ゆえ、背負う責任は重い。だが、今大会の彼らは、その重責に耐えうるだけの資質があることを、自らのプレーで示したのではないかと思う。

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