by zhouxuan12345678

「金よりも貴重」と言われ、画家・フェルメールの家族を借金の泥沼に陥れたという顔料「ウルトラマリン」など、歴史の中で「色」は人や世界に大きな影響を与えてきました。中でも白・緑・オレンジには人を死に至らしめてきた歴史があるとして、TED-Edがアニメーションでわかりやすく解説しています。

History’s deadliest colors - J. V. Maranto - YouTube

1898年、マリ&ピエール・キュリー夫婦によってラジウムが発見されました。



当時、ラジウムは体を修復すると言われていたため、ラジウムは歯磨き粉や薬、水、食べ物などに使用されました。



また、暗所で緑色に輝いていたころから、ジュエリーで使われることも。



しかしその後、ラジウムに含まれる放射能は有害であることが判明し、ジュエリーや食べ物に使用されなくなります。



一見すると無害なものとして使われていた「色」が実際には死を引き起こすほどに有害だったという例は、ラジウムだけに留まりません。



緑色だけでなく、白色やオレンジ色の色素もまた、長い歴史の中で使用され、人を死に至らしめてきました。



致死的な「白」の歴史は紀元前4世紀、古代ギリシャの時代にさかのぼります。当時、白色の顔料の材料として使われたのは「鉛」でした。



鉛からは非常に美しい白色が作られたのですが、鉛は人間の体に直接的に吸収されると、血液・軟組織・鉱化組織を破壊します。また、カルシウムの働きを阻害して学習障害から高血圧までさまざまな症状を引き起こすとのこと。



しかし、このような危険性があるにも関わらず、鉛から作られた白色は何世紀にもわたって使い続けられました。19世紀になるまで、鉛を原料とする白い顔料が油絵やテンペラ画において唯一の実用的な選択肢だったためです。



画家たちは、白い絵の具を作るためにまず、塊の状態の鉛を砕く必要がありますが、この時に生じる埃は非常に毒性が高いものでした。



そのため、白色を頻繁に使う画家は「画家疝痛(せんつう)」、現代でいう鉛中毒になることが多く、麻痺・憂うつ・咳・網膜の拡張・失明などが引き起こされることもありました。



しかし、鉛による白の持つ密度・不透明度・温かなトーンなどはフェルメールを初めとする多くの印象派画家たちを魅了し、1970年に法律で禁じられるまで使い続けられたのです。



一方で、ラジウム以外にも致死性を持つ緑は存在します。18世紀に登場したシェーレグリーンとパリスグリーンです。この2つは合成された人工顔料であり、自然の材料を使った緑色の顔料よりも鮮やかであると評判でした。



そのため、2つの緑は瞬く間に人気を得て、布や壁紙、石けん、塗料、ケーキのデコレーションとしても使用されるようになります。



これらの緑は酸性亜ヒ酸銅から構成されていますが……



人間の体細胞はヒ素にさらされるとダメージを受けてしまいます。高いレベルのヒ素はがんや心疾患を引き起こす原因にもなるとのこと。



そのため、18世紀における布の製造工場では従業員が中毒を起こし……



緑色に染められたドレスを着た人は、皮膚からヒ素を吸収して体を壊しました。



ナポレオンは緑色の壁紙の部屋で眠っていたため、ヒ素中毒で死んだのではないかとも言われています。



1822年に2つの緑がどのように作られているのかが公開されるまで、顔料の使用は続きました。



そして、日用品への使用が禁止されてから1世紀ほどたった後に、今度は農薬や殺虫剤として使用されるようになりました。



3つ目の人を死に至らしめる色は「オレンジ」



第二次世界大戦まで、ウラン酸化物を加えた釉薬を使って陶器を加工するという方法は一般的に使われていました。ウラン酸化物は放射能を含んでいましたが、美しい赤やオレンジを作り出したのです。



アメリカ政府は第二次世界大戦で使う爆弾を製造するために産業で使われていたウランを没収しましたが……



戦後、アメリカ原子力委員会が1959年に規制を緩めたため、劣化ウランがガラス工場やセラミック工場などで使われました。



アメリカのHomer Laughlinという会社が作った「フィエスタウェア」という食器などは高い放射能が検知されており、第二次世界大戦後10年間に作られた食器は、使用するのが危険なレベルである可能性があるとのこと。



ただし、アメリカ合衆国環境保護庁はこれらの陶器に食べ物を載せて使用することに対して警告していますが、棚にしまっておく分には危険レベルが低いと考えているとのことです。