U-18日本代表の選考も兼ねた、96年のU-17ナショナルトレセン。初々しさが残る小笠原も猛アピールを続けた。(C)SOCCER DIGEST

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【週刊サッカーダイジェスト 1999年5月19日号にて掲載。以下、加筆・修正】

 最近では、始動間もないユース代表には“史上最強”という呼称がつきまとう。

 それは日本サッカーが着実に成長しているという証であり、トレセン制度などの整備により育成システムが確立されてきたことを象徴している。
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 このU-20日本代表も例に漏れず、タレント軍団としてつねに注目を浴びてきた。だがワールドユースという最後の大一番、クライマックスを迎えるまで彼らは“最強”たりえた。

 いかに励まし合い、互いを伸ばし、葛藤を繰り返してきたのか。96年のナショナルトレセンで骨格をなし、翌春に産声を上げ、灼熱のナイジェリアで大きく羽ばたいたU-20日本代表。その3年に渡る日々を、いま振り返る。

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 静岡のつま恋にあるトレーニングセンターには、宿舎とグラウンドをつなぐ巡回バスがある。
 
 いまから3年前の秋、そこではU-17ナショナルトレセンが開催されていた。中3から高2までの原石たちが全国から一堂に会し、技を磨き合いながら寝食をともにする。翌春に始動を控えたU-18日本代表の選考も、兼ねているとのことだった。
 
 バスに乗り込むと、マッシュルームカットの青年がひとり、ポツンと座っていた。胸には“東北トレセン”と英字で刻まれている。
 
――ケガでもしてるの? みんなもう練習してるんでしょ。
 
「ちょっとヒザを壊しているんですけど、大事をとってるだけです。それより取材ですか? ボクらの記事、どこに載るんですか?」
 
――サッカーダイジェストなんだけど、いつも読んだりするの?
 
「もちろんですよ! でも高校サッカーの記事少ないからなぁ。ここに集まっているみんな、本当にスゴイですよ。ボクがユース代表に入れるかどうかは自信ないけど、もっと注目してほしいな」
 
――ううう…。ごめん、キミの名前を聞いてもいいかな?
 
「はい、大船渡の小笠原です」

 小笠原満男の何気ない言葉が、現実味を帯びたのは翌日のことだった。
 ナショナルトレセン恒例の東西対抗戦。小野伸二や高原直泰など、当時すでにユース年代で有名だった選手は欠場していたが、稲本潤一、本山雅志、小笠原らの個人技、戦術眼の高さに、唸らされるシーンの連続となった。17歳にして彼らは“魅せるプレー”を心得ていたのだ。
 
「高い能力を持つ素材が、かつてこれほど集まったことはないんじゃないかな。なんかこう、期待で身震いがしてくるよね」
 
 トレセンのチーフを担当していた上田栄治氏も、どうやら同じ心境だったようだ。
 
 ゲームは西軍の勝利に終わり、稲本がMVPに選出された。
 
「こんな賞をもらってエエんかな。でもオイシイ(笑)。大きく取り上げてくださいね。ただでさえボクなんか、クラブユースでやってるから地味な存在やし」
 
 自己アピールだけは大人顔負けである。誰よりも目立ちたい。そして、誰よりも巧くなりたい。強烈な個性派集団は、すでにそのスタートを切っていた。
 
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 年が明け、彼らはU-18トレセン選抜としてニュー・イヤー・ユースを戦う。惜しくもひとつ歳上の日本高校選抜に優勝はさらわれたが(PK戦で敗れ準優勝)、チーム戦術などまったくない状況でもしっかりとサッカーをやっていた。高校選抜との一戦でPKを外した小野は、
 
「イカンですねぇ。もうボクは選ばれないかもしれない」
 
 と笑っていた。そんなことは九分九厘ないだろうが、すでに“20世紀最高の逸材”と謳われていた選手のコメントには、どこか真実味があった。彼らでさえプレッシャーを感じるほど、個々のプレーの質が高かったのである。
 
 ニュー・イヤー・ユースから2か月後の97年3月、栃木県の黒磯高原にて、初のトレーニングキャンプが開催される。監督は、以前ジェフ市原を指揮し、かの“ドーハの悲劇”ではオフト監督の参謀を務めた清雲栄純氏だ。
 
「ベーシックな部分での能力は非常に高い。基本となる動きを徹底的に植えつけて、個人の戦術理解度をもっと高めたいと思う。チーム戦術をどうのこうのと言うのは、もっと先になるでしょう」
 
 これが、第1回セレクションの監督総括だった。構成は2年前にU-17世界選手権を戦ったメンバーを軸に、前年に96U-16日本代表として戦った市川大祐、飯尾和也らを迎えた混成チーム。やや温和すぎる監督のもと、年代の違いを感じさせない明るいムードが、すでにでき上がっていた。
 
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 5月の茨城国際ユースでは、ドルトムント(ドイツ)、PSV(オランダ)といった強豪を向こうに回し、互角以上のパフォーマンスを披露し準優勝を飾る。

 さらに夏のSBSカップでは、他を寄せつけない圧倒的な強さを見せつけて、全勝優勝を成し遂げた。同時期に稲本と酒井友之は17歳にしてJデビューを果たし、より高いレベルで刺激を受けている。まさに順風満帆の滑り出しだ。
 
 だがそのSBSカップで、静岡県選抜として出場し、大量6ゴールを奪われたGK南雄太は、客観的にユース代表を分析していた。
 
「たしかにみんなスゴイ。ひとりで状況を打開できる選手が揃っているし、このレベルの大会じゃ勝って当然でしょう。でもチームで戦っているという印象がないですね。どういう練習をしてるのか分からないけど、世界じゃ通じない」
 
 負け惜しみではない。南は彼らと同い歳で、本当ならともにトレーニングを積んでいるはずだったが、急きょ抜擢され、2か月前にワールドユースを経験していた。柳沢敦や中村俊輔らとともに、世界8強入りを果たした直後だったのである。

文:川原崇(サッカーダイジェスト)