下町を百景描いたイラストレーター


私がイラストレーター・つちもちしんじさんの絵を初めて目にしたのはTwitterのタイムライン上でのことだった。台東区谷中近くの風景を描いた絵で、懐かしさを感じると同時にどこか幻想的な雰囲気もあり、そのバランスに魅力を感じた。



それからほどなくして文京区根津にある喫茶店で行われた展示を見に行き、つちもちさんが「下町百景」と題して、東京に残る下町の風景を描き続けていることを知った。私がTwitterで目にしたのもそのシリーズの中の一作だったのだ。


展示後も「下町百景」シリーズは着々と描き続けられ、ついに2016年6月をもって全百景が描き終えられることになった。百景達成が近づくにつれてTwitterでのRT数も徐々に増していくのが目に見えて分かり、盛り上がりを感じた。また、特に海外の方からの人気の高さが印象的だった。


そして2016年11月、「下町百景」シリーズの第一景から第百景までの全作をまとめた「東京下町百景」という画集が出版されることになった。実を言えば私もその画集の制作に少しだけ関わらせてもらっており、手前味噌なところもあるのだが、やはり100点のイラストを一挙に見ていくと圧巻である。画風が少しずつ変化していくところも面白く、見終えると東京を舞台にした旅物語を見たような感覚が残った。


と、そんなつちもちさんなのだが、本人ついては謎な部分が多い。私も初めてお会いするまで、どれぐらいの年齢の方なのかもわからず、もしかしたらかなり年配の方かもしれないと思っていた。



そこで今回は、つちもちさんにインタビューを敢行し、本人のことや、「東京下町百景」の創作の裏側についてなど、色々聞いてみることにした。

ハッタリで“百景”と言ってしまった


取材当日、「東京下町百景」の出版記念原画展のために大阪に遠征してきていたつちもちさんとJR環状線・大阪城公園駅前で待ち合わせした。お濠の周りを散歩しつつ、インタビューを開始した。



――つちもちさんが下町を好きになったきっかけ、描き始めたきっかけはなんだったんですか?

「3年前の5月に(東京都荒川区の)東日暮里に引っ越したんです。近くを散歩していると谷中銀座の『夕焼けだんだん』とか、良い場所がたくさんあって、ちょうど写真を撮り始めていた頃だったので、そういう風景を写真に撮っていて、それを絵にしたいなと思って描き始めました。最初はまさかここまで続けるとは思っていなかったんですけど、その絵に名前をつけるにあたって、ハッタリで“百景”と言ってしまえと思って(笑)とりあえず“なんとか百景”だろうな、みたいな。下町の風景を描き始めたのはその頃からですね」


――谷中あたりの景色との出会いが大きかったんですね。

「本当にそうですね。良い場所がたくさんあるんです。それでそのシリーズを描くたびに『note(テキスト、画像、イラストなどをアップして公開できるサービス)』にアップしていくことにしたんです。それを『おとなの週末(講談社から発刊されている雑誌)』の編集を担当している戎さんという方が見てくださって、そこから『おとなの週末.com』に連載させてもらうことになって、もうこれは、シリーズとしてちゃんと続けていこうと」

つちもちさんと共に大阪城の天守閣展望台へ続く階段をハアハアいいながら登り、展望台から大阪の町を見晴らした後、道頓堀に移動。



あえてトレースはせずに描く


――下町百景シリーズを描き始める前はどんな活動をしていたんですか?

「大学では日本画を勉強していました。大学を出てしばらくデザイン事務所で働いていて、だんだんデザインよりも絵に関わる仕事の方に興味が出てきて、アニメーションの背景を描く下請け会社に入ったんです。でも、かなり給料が安くて(笑) これじゃあちょっと生活できないと思って、辞めることにしました。そこで絵に対してちょっと挫折したというか。その後もバイトで汎用的なイラストを描いたりしてはいて、もちろんそれはそれで勉強にはなったんですが、自分なりの表現ができてないことに劣等感を感じちゃって、しばらく、描けない時期がありました……」


――同じ世代のイラストレーターやマンガ家さんがデビューして活躍していくのを見て焦ったりとか。

「自分の世界観を持っている人がすごくうらやましかったですね。かといって自分が描きたいものもなかったんです。渋谷的なものとか、中央線カルチャーみたいなものを上手に表現の土台にしている人がとにかく輝いてみえていましたね。だからこそ、下町をテーマにして絵を描くっていうのが、あまり誰もやっていない場所というか、自分に合っていたと思います」

――東京の下町ではどのエリアが特にお好きなんですか?

「やっぱり『谷根千(谷中・根津・千駄木の略称)』あたりが好きですね。そこから上野とか色々なところに行けますし。場所で言えばやっぱり『夕焼けだんだん』と『谷中墓地』ですかね。土日は結構混んでいるので、平日がいいです。谷中もそうですけど、寺町が好きなんですよね。世田谷の松陰神社のあたりも好きです。寺町だと戦災を逃れて、昔の雰囲気が残っている場所が比較的多いんで好きなんですよ」

――下町百景シリーズのイラストはどんな手順で制作していたんですか?

「まず写真を撮ってきて、それをパソコンに取り込んで、それを見ながらひたすらデッサンする。トレースはしないんです。あくまで、見ながら描くようにしていて、トレースを否定するつもりはまったく無いんですけど、トレースしない方が、間違いとか自分の癖で変な線になったりするのが面白いと思って、ゆらぎがあるというか。その方が自分には合っていると思います。写真を見ながら、その風景にコラージュしたいイメージを足して描いていって、それを画用紙に清書したらスキャンして、色付けはパソコン上でやっています。色付けまではアナログというか、一応手作業という感じです」



――「東京下町百景」として一冊にまとまったものを見ていくと画風にかなり変遷がありますよね。第百景に近づくにしたがって絵がより緻密になっていくような印象でした。

「そもそも、可愛いタッチと細かい精密なタッチ、どっちが自分に合ってるのか分からないんです。結構揺れ動いてるんですよ。どっちがみんなに喜ばれるかというと、緻密に描いた方が『いいね』って言われるので、だんだんそうなって行きました。でもせっかく頑張って細かく描いたのに『トレースですか?』って言われるので悲しいです(笑)」



――つちもちさんの絵は、風景を割ときっちり描いていながら非日常感もあります。ダルマや狐が何食わぬ顔で歩いていたり。

「例えば良いなと思う風景でも、それだけを描くとパーツ的になってしまうというか。町の中にその風景があるっていう雰囲気全体としての良さを引き出すために、絵の中の時間帯を昼から夜にしてみるとか、浅草の『神谷バー』の絵だったら、昔の都電を飛ばしてみたり。ダルマもそうですが、色々要素を加えてみる。それを考えるのに結構時間がかかります。でもそれがうまくいったときが嬉しいです」



道頓堀から千日前方面へ歩き、法善寺の「水かけ不動」にお参りしていくことに。



部屋でラジオを聴きながら描くのが幸せ


――「東京下町百景」には、この法善寺の水かけ不動の絵も含む「大阪五景」というミニシリーズも収録されていますね。つちもちさんにとって大阪の町はどう見えますか?


「大阪の町は、東京よりも古い建物や味わいある風景が残っているように感じました。こういう場所を絵に描いてみたいというのは感じましたね。僕は出不精で、全然旅行しないんですよ。東京を全然離れない。なので今回は大阪を歩けて新鮮です。普段はもう散歩も、行って帰ってこれる範囲で。基本、家が好き(笑) 家で描くのが好きなんですよ。その場でデッサンするのが絵描きとしては本道と重々理解していますが、僕にとっては道楽でもあるので、僕は部屋でぬくぬくと、ラジオを聴きながら描くのが幸せなんです」

日本橋から地下鉄に乗り、平野駅付近を散策した後、天王寺方面へ。天王寺駅北口方面・阪和商店街の名酒場「種よし」で乾杯し、さらに新世界方面へ歩く。



モチーフは歌川広重の『名所江戸百景』


――つちもちさんが、影響を受けた画家やイラストレーターというと誰ですか?

「『下町百景』は、もともと歌川広重の『名所江戸百景』をモチーフにしているので広重には影響を受けていて、あとは、『のらくろ』シリーズの田河水泡も好きです。ああいう、カラーの版ズレのような味わいが好きなんです。あとは、メビウスのような『バンド・デシネ(フランス語圏で描かれたマンガの総称)』の作品も好きで、それと浮世絵をあわせるっていうのが僕のテーマでもあります。ゴッホも好きです。ゴッホも、浮世絵と油絵をミックスさせたり、ちょっと歪んでるというか、少し外れたところがあって、それが理想ですね。でも、僕はどちらかというと真面目にやってしまうから。未熟です」


――日本の新しいマンガも読みますか?

「『少年ジャンプ』も中学の頃とかずっと読んでいて好きでした。でも高校の頃につげ義春とか手塚マンガとかに出会ってそっちが好きになっていきました。佐々木マキとか、鴨沢祐仁も大好きです。マンガ、描いてみたいんです。連載マンガとは違った、絵本のような、一冊にまとまるようなものを描いてみたいです」

――下町百景シリーズが無事百景を達成して本にまとまったわけですが、今後は何を描いていくとか、今おっしゃったマンガを描くというのも含めて、イメージはありますか?

「『百景』と銘打って始めてしまったので当然ですけど、100作描かなきゃいけなくて、描くごとに反響も気になってしまうんで結構大変でした(笑)なので少し落ち着いたペースで、何かテーマを探したいですね。百景を描き終えてみて、もちろん反省点も多いんですけど、達成感もあって、かけてきた時間も長いので、それを超えるものを作るのがなかなか大変そうです。でも描いてみたいものはたくさんあるので頑張ります!」



落ち着いた口調でじっくりと質問に答えてくれるつちもちさんと一緒に散歩してみると、つちもちさんが派手なネオン街も静かな路地裏も分け隔てなく楽しみながら歩いているのがわかった。

新しいものも古いものも丸ごと飲み込んで変化していく町を歩きながら、ふと足を止めてしまうようなグッとくる風景。そういう風景がたくさん詰まったつちもちさんの作品集、ぜひ手に取ってみて欲しい。「東京下町百景」は版元の「シカク出版」のオンラインショップほか、全国の書店で取り寄せが可能。詳しくは「東京下町百景」特設サイトをチェックしてみて欲しい。

ちなみに、二人で散歩をしていて道に迷った末、平野の「武田」という串カツとどて焼きの屋台にたどり着いてビールを飲んだのだが、その場面をつちもちさんが絵にしてくださった。宝物にしたい。
(スズキナオ)



「東京下町百景」特設サイト
http://uguilab.com/publish/2016100views/

つちもちしんじ
公式サイト:http://tsuchimochishinji.com/
Twitterアカウント:https://twitter.com/wabisabipop