没後40年以上が経過した今でも、ロベルト・クレメンテの功績は讃えられている(写真はイメージ)

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 熊本における地震被害を受け、このゴールデンウイーク中はプロ野球開催の各球場において募金を中心とした義援活動が行われるはずだ。

 また、海外においても、岩隈久志(マリナーズ)が熊本県に2千万円を寄付し、前田健太(ドジャース)は熊本地震とエクアドル地震の被災者支援のために本拠地ドジャースタジアムでチャリティーサイン会を実施している。

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■プレーでも、慈善活動でも偉大だったロベルト・クレメンテ

 岩隈、前田の両名に限らず、メジャーリーガーにとってこうしたチャリティー活動は一般的なものだ。それは、高給取りである、という理由ももちろんあるが、それ以上にロールモデル(社会の模範)としての振る舞いがアスリートに求められているからだ。

 その象徴的な人物として知られているのがロベルト・クレメンテ。この機会にぜひ、その名を覚えておきたい

 ロベルト・クレメンテはプエルトリコ出身。1955年から1972年まで、MLBのピッツバーグ・パイレーツ一筋でプレーした。首位打者4回、“史上最強”と誉れ高い強肩を武器にゴールドグラブ賞に輝くこと12回。さらにはリーグMVPだけでなくワールドシリーズMVPにも輝いたことがある、MLB史においてもひと際輝く偉大なプレーヤーだ。

 ただ、その活躍以上に彼の名を知らしめたのがチャリティー活動だった。

■MLBのルールをも変えたロベルト・クレメンテ

 1972年シーズン、最終戦で通算3000本安打を達成したロベルト・クレメンテ。それが、彼にとって生涯最後の安打となった。

 かねてから奉仕活動に積極的だったクレメンテは、そのシーズン終了後、中米・ニカラグアで起きた大地震の被災者支援のため、救援物資を集めていた。ところが、その物資が途中で横流しされているとの情報をキャッチ。埒が明かない、と自ら現地に飛ぶことを決意した。

 1972年12月31日、救援物資とともに空に飛び立ったクレメンテ。だが、その飛行機はカリブ海に墜落。こうしてクレメンテはまだまだ絶頂期だった38歳の若さで帰らぬ人となってしまった。

 英雄、ロベルト・クレメンテの突然の死。その衝撃は、MLBのルールをも変えてしまった。通常、最短でも引退後5年を経過しなければ選ばれない野球殿堂に翌1973年の投票で選ばれたのだ。

 さらにMLBは、慈善活動を行った選手に贈られる「コミッショナー賞」という名の功労賞を、「ロベルト・クレメンテ賞」と改称。以降、この「ロベルト・クレメンテ賞」はMVPに匹敵する名誉ある賞として、受賞者の誇りとなっている。

 かつて、自らの命を賭して慈善活動に取り組んだ野球人がいた……被災者支援に注目が集まる今だからこそ、改めてそのことを胸に刻んでおきたい。今後、イチローがメジャー通算3000本安打に近づけば近づくほど、改めて彼の名は注目を集めるはずだ。

文=オグマナオト(おぐま・なおと)

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