テレビ東京系バラエティ番組「ありえへん世界」(13日放送)では、「元プロ野球選手が引退後営む飲食店 戦力外通告・・・スターの光と影に密着」と題し、1986年に阪神タイガースのドラフト1位指名を受け、阿波野秀幸氏や西崎幸広氏ら同世代の人気選手とともに“トレンディエース”と呼ばれた猪俣隆氏の現在を伝えた。

最高年俸6千万円、一時期は阪神“左のエース”として活躍した猪俣氏だが、1997年に戦力外通告を受けると、翌年には中日に移るもケガに泣かされ、そのまま引退を余儀なくされた。

現在、49歳になった猪俣氏が滞在するのはアメリカだ。バージニア州フェアファックスのショッピングモールにある日本食のレストランで働く。同番組のカメラに「寿司握ってます。オーナーじゃないですよ。働かせて貰っています」と語る猪俣氏。オーナーではないものの、同番組曰くワシントンD.C.の地元紙でベストレストラン100にも選出されたという名店の看板料理人を務めている。

今年で12年目となったアメリカ生活では、実に6店舗を渡り歩き、1年前に同店に行きついたという。「ゲーム中に肩が吹っ飛んだんだよね。音がしたんだよ。投げてる最中に。腕が飛んでったのかと思って探した、本当に。腱の断裂ですね」と振り返った猪俣氏は、現役時代の貯金について訊かれると「まあ、してましたけど、車とか好きだったりとか、そういうのに使っちゃったり。服装も人から見られる仕事だからインポート物を買わなきゃいけない。そんなに言うほど貯めてなかった」と苦笑い。

渡米を決めた理由は、「日本に居たら、野球終わってプライベートな時間でも人から注目されてしまう。そういうところが好きじゃなかった」と話す。当時渡米を視野に入れた猪俣氏は、1999年三重県の寿司屋に弟子入り。「最初入った時は16歳の子たちと一緒の仕事をしてた。外の掃き掃除とか、トイレ掃除とか、そういうところから始めた。ジレンマもありましたよ。俺は何をしてんだろうっていう時もあったし、月給が9万円くらい。貰えるだけ有り難いと思わなきゃいけないんだけど結構キツイものがあった」と振り返る。

修行時代は、左利きながらも包丁を右手で扱わなければならず、苦労に苦労を重ねたが、2年の修行を経て2001年に渡米を実現。現在は「火山ロール」なる人気メニューを考案し、地元で愛されているという。