観光客にせんべいをおねだりするシカたち。朝日新聞の「(奈良)県が駆除検討」という趣旨の記事が波紋を広げている

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“神の使い”として、1000年以上も人々から大切に保護されてきた奈良のシカ。国の天然記念物になったこともあって、今では奈良公園(奈良市)内だけで1000頭以上が生息する。

その奈良のシカをめぐって、地元でひと騒動が起こっている。

きっかけは朝日新聞が11月12日付で報じたこんな記事。

「奈良のシカ 県が駆除検討 公園外の食害絶えず」

シカが増えすぎて近辺の田畑を食い荒らすため、県が駆除を検討しているというのだ。

これに怒ったのが全国のシカファンたち。「つぶらな瞳のシカを殺すなんて、けしからん!」と、12日だけで100本以上の苦情電話が殺到してしまった。

だが、そもそも朝日新聞の記事には大きな間違いがあるとか。奈良公園を管理する奈良県奈良公園室の幹部職員がこう怒る。

「シカの駆除を前提にシカ対策を検討するなんて誰も言っていません。朝日新聞には訂正の記事を出すよう、抗議しました」

いったい、どういうこと?

「シカの食害が増えているのは事実。公園周辺の田畑から市中心部の家庭菜園にまで拡大しています。このままだと『シカを駆除しろ』との声が強まり、1000年続いてきた人とシカの共生ができなくなってしまう。それはまずいと有識者や市民から意見を聞き、奈良のシカの保護管理計画をつくろうとした矢先だったんです」

シカによる食害が増えすぎて「駆除しろ」という大合唱にならないよう、10年ぶりに保護管理計画の検討に乗り出していたというわけだ。それをいきなり「駆除検討」と書き立てられたのだから、奈良公園室の怒りはもっともだ。結局、苦情が殺到したことにより、保護管理計画の検討は当分の間の凍結が決まってしまった……。

ここで不思議なのは、これまで奈良のシカに保護管理計画がなかったってこと。繊維質のモノならなんでも食べてしまうシカは日本最大の“害獣”。国内の森林食害の6割はシカによるものとの報告もあるほどだ。だから、どこの自治体でも駆除を含む保護管理計画は持っている。なのに、シカの本場、奈良にそれがない。なぜだ? 前出の奈良公園室の幹部職員が説明する。

「10年ほど前、シカの保護管理計画をつくろうと、奈良県も市などと協力して作成にとりかかったんですが、途中でぽしゃってしまった。というのも、万が一、駆除なんて話が出たときに率先して担当せねばならず、結局、それだけはゴメンと、県も市もシカの管理者になることを嫌ったためです」

つまり、誰もシカの駆除の当事者になりたくないから、保護管理計画すらつくれなかったということらしい。奈良のシカはアンタッチャブルな存在のようだ。実際、食害を受けている農家からも「シカを駆除してくれ」という声は聞こえてこない。

「被害農家からシカの駆除を望む声は聞いてません。しかし、まず食害があることは知ってほしい。そして今回の検討は人間とシカが共生するための、そのアイデアを出し合う場と受け止めていました」(JAならけんの担当者)

それにしても、シカの食いっぷりはそんなに見事なのか?

「農作物以外に、庭先の花まで食べる。奈良公園近くにある奈良女子大の花壇もシカが押し寄せ、いつもグチャグチャです」(前出・奈良公園室の幹部職員)

ただ、それでも大学側から苦情は一切ないという。

「シカがそういう生き物だと、古くからの奈良の人はわかっているからです。とはいえ、奈良も開発が進み、シカとの共生の歴史を知らない新住民が増えた。苦情はそうした新住民が増えるにつれ、多くなっています」(幹部職員)

野生動物と人間の距離がこれだけ近い都市は世界でも珍しい。誤報でその景観を守るための検討がストップしたとなれば残念。シカも悲しんでいるはずだ。

(取材/ボールルーム)