北京保利芸術博物館は24日、尖閣諸島(中国名:釣魚島)主権の動かぬ証拠として文献『記事珠』を展示した。同文献には、清の時代の嘉慶13年(西暦1808年)5月13日早朝、中国の文学者沈復氏らが釣魚島(尖閣諸島の中国側呼称)を発見したと記録されているという。中国国際放送局が報じた。

 同文献には「それから7日後、順調に海溝を渡り、5月14日の朝に姑米山(久米島)が見えてきた。やっと琉球国に入ったのだ」と書かれているが、記事は「この記述は、釣魚島が当時、中国海域内に属し、琉球国の国境まで1日の航行距離があったことを十分に説明するもの」と報じた。(編集担当:村山健二)