5年間いた日本で、初めてヒロキ・クロダの投球を見たトレイ・ヒルマンは、もう二度と対戦したくないと思った。

ヒルマンは、日本ハムファイターズで監督をしていた。そして広島カープで投げていたクロダと、札幌ドームで対戦した。クロダは、接戦を自分のペースで戦い抜いた。ファイターズは2-1で勝ったが、それはポテンヒットとエラーによるものだったことを、ヒルマンは覚えている。9イニングを通してクロダはイラつくことはなく、どの投球でも1ミリでも誤差が出ることがないように絶えず調整をしていた。

翌日のバッティング練習の時、ヒルマンは通訳を通し対戦相手の監督にクロダに会えないかと尋ねた。

「彼の投球に、どれだけ感銘を受けたかを伝えたかった」ヒルマンは言った。「彼と戦ったその試合は、信じられないくらいハードだった。本当に信じられなかった。私たちが勝ったのが本当に信じられなくって、そして彼に会いたいと思った。私がそんな事をした、唯一のピッチャーだよ」

8年後、二人は再会した。昨シーズン、クロダはロスアンジェルス・ドジャースで投げ、ヒルマンはそこでドン・マッティングリーのベンチコーチをした。 関係は少し変わっていた。

「彼は、初めて日本で会った時と同じだった」ヒルマンは言った。「彼は今でも打者に向かっていくし、今でも素晴らしい能力を持っている。彼は今でもやってくれる。私はクロダの大ファンだ」

ヤンキースは昨冬もクロダの獲得に動いたが、成功しなかった。その後、7月後半、ヤンキースとレッドソックスはプレーオフで信頼できるベテランをローテーションに加えようとした。しかしクロダはトレード拒否条項を行使して、シーズンの残りをドジャースで過ごすことを決断した。

しかしヤンキースの継続性は、先月フリーエージェントのクロダと1年10百万ドルの契約を結んだことで報われた。彼らはついに長い間切望していた、意思が強く4種類の投球レパートリーをもつ投手を獲得した。

「過去2回の経験が、最終的に彼の獲得に役に立ったと思う」ヤンキースのブライアン・キャッシュマンGMは言った。「だって私たちが彼をどんなに望んでいたのかを、彼は解ってくれたから」

契約の数週間前、キャッシュマンは他の日本人投手、ユウ・ダルビッシュについて、他の国から来る選手が米国で成功できるのかという、いつも湧き上がる疑問について否定的な意見を強調していた。

ヤンキースは一人の日本人スター、ヒデキ・マツイで素晴らしい成功を収めている。しかし彼らの日本人投手の歴史は、一つも上手くいっていない。気まぐれなヒデキ・イラブは1997年から1999年にヤンキースで投げ、29勝20敗、防御率4.80、ポストシーズンでもリリーフで1回投げた。彼にされていた過大な前評判は、最終的にメジャーリーグでの彼の能力とは遥かに不釣り合いだった。

もっとひどいのは、ヤンキースが46百万ドルを費やし2007年に契約したケイ・イガワだ。彼は2シーズンでたったの13回しか先発せず、後の3年はマイナーリーグに追放された。キャッシュマンの長いGM人生でもっとも高額なミステイクだ。

しかし4年間メジャーリーグで過ごしたクロダにも、彼を取り巻くミステリーが少しだけあるように思われる。ドジャーズ時代のクロダは、ここに適応する能力を証明した。彼は慢性的な得点力不足に悩まされながら41勝46敗、防御率3.45を記録している。昨年は特にそうだった。7月に5回先発して防御率2.12なのに、記録は0勝4敗だった。

「彼は、ナショナルリーグで対応する能力を見せた」キャッシュマンは言った。「今度彼はアメリカンリーグに対応する姿を見せなければならない。我々は、そうしてくれるだろうと思っている」