以前このコラムでも書いたことだが、現在日本代表にはゲームを組みたてられる中盤が不足している。それは今に始まったことではなく、最後の世代別代表となる五輪代表を見てみるとわかりやすい。小野伸二をオーバーエイジ枠で起用した2004年アテネ大会、そして北京大会にも司令塔と呼ぶにふさわしい選手がいなかった。それは現在のロンドン世代も同様だ。
 逆にシドニーを戦ったチームには、中田英、中村俊、怪我で出場は叶わなかったものの小野や遠藤、小笠原がおり、さらに中田浩や稲本、明神など中盤には様々なタイプの選手が名を連ねた。しかしチームを率いるトルシエ監督はオーバーエイジ枠で三浦淳宏を呼び、シドニーへ行ったものの遠藤は帯同メンバー。小笠原は代表候補のままだった。

 ゴールデンエイジと呼ばれる1979年生まれ選手たち。小野を中心に切磋琢磨する競争の構図があったことは容易に想像できる。それは高校を卒業し、プロへ入ってからも続いたはずだ。そして約10年のときが経ち、唯一代表に残っているのが、早生まれの遠藤保仁だ。現在発売中の雑誌『ゲーテ』1月号で、久しぶりにインタビューができた。その取材で印象に残ったのは、遠藤の成長に欠かせないライバルたちの話だった。

「伸二みたいな絶対的な存在でもないし、テクニックがあるわけでもなかったけど、パスには絶対的な自信を持っていた。止めて蹴るということ。だからその精度を他の選手よりかは上げることに没頭していた。敵の足のここに出したら絶対取れないだろうっていう場所を探したり。基本的に自分の土壌でやるってことですね。人の領域に行かない。自分の領域に人を来させるみたいなね」
 彼のいう“領域”とは、ゲーム中のことだけでなく、ライバルとの争いという意味でも同じことなのかもしれない。遠藤は自分の武器を探し、それを磨いたのだ。

 自身の成長に刺激を与えた選手について話をしていたとき、彼は同世代ではなく、上の世代の選手の名前を口にした。
「ヤマさん(山口素弘)、名波(浩)さん、そしてフクさん(福西崇史)。彼らを越えない限り、(未来は)ないなっていう存在が居たからさ。伸二とか同年代の選手は仲間目線のほうが強いから、その選手がいいプレーしたら、俺も嬉しいという感じだけど。年上の人には負けたくないという気持ちが強かった。彼らを越えないと自分は試合に出られないから」
 先輩たちのプレーを見ながら、どうすれば勝てるかを考える。遠藤の視線には“羨望”や“理想形”として、年上のライバルの姿が映っていたのかもしれない。
「一発で試合の状況をガラって変えられる選手になりたいと思っていた。当時はそういうタイプじゃなかったから、そういうのも身につけたいって。その選手が居る時と居ない時のとでは、チームが変わるくらいの存在感がある選手。居るだけでジュビロは強いみたいな、それぐらい絶大な選手になりたいなとは思っていましたけどね」
 自分の武器を磨く作業に、自身に足りない力を培う作業が加わった。そして今、さらりとこう言えるまでに進化した。
「ゲームを組み立てる、コントロールする、それは日本人なら誰にも負けない自信が今はありますけど。まあ、勝ち負けの話じゃないけど、そこは譲れないなって。当時はそこまで考えてなかった。とにかく目の前の敵を倒そうって。目の前の壁や今やるべきことに全力で向かう……その繰り返しですよ。いろんな寄り道や遠回りもして来たと思います。自分が強く上手くなるために、何をしなきゃいけないっていうのを、突き詰めていった結果かなぁ。まあ、カッコよく言えばね」

 同世代のゴールデンエイジが次々と欧州へと旅立つなか、遠藤はJリーグに留まった。チームの中心、軸としてガンバでプレーし続けたキャリアは、ムダではなかったし、その日々があったからこそ、現在の遠藤がいるのも事実だ。もちろん彼だって海外移籍したかっただろうし、欧州でもチームの中心になれた可能性だってある。そうなれば……。
 そんな、たらればの話をしても意味はない。現在、遠藤が日本で輝いている事実が重要なのだ。そして遠藤自身は、今もなお理想を追い求めている。
「理想は試合で目立たないこと。目立って結果を残すなんて、誰だって出来るから。試合が終わったとき、『あのゴールにも、このシーンにも遠藤が絡んでいたのか』と思い出してもらうくらいがいい。でもボールが集まっちゃうと、どうしても目立っちゃうからね(笑)」
 ゲームメイクだけでなく、自身が決勝点を決めることも多い。そんな遠藤の「目立たない選手」という理想を実現させるのは、難しそうだ。しかし、これから先、年齢をさらに重ねたら……遠藤の未来を考えると楽しくなった。

 なぜいい中盤の選手が減ったのか?
 その理由はいくつもあるだろう。いわゆるシドニー世代にいい選手が多く、その下の選手が試合出場経験を積む機会が奪われたこともそのひとつだ。絶大な力を持つ選手が若手の成長を妨げる場合もあるだろう。
 それでも、遠藤のように上の世代の選手をライバル視し、自身が向上するためのエネルギーに変える選手もいる。同じクラブでなくとも、代表でポジションを争っていなくとも、高い理想を追い求めて自分を磨いたからこそ、今の遠藤がいるのだから。

 そして遠藤に会って思ったことがある。
 ゴールデンエイジやその上の選手たちの中には、早くから海外へ移籍した選手も多い。若い選手の見本となるべき選手がJリーグに居なくなったことが、次世代の選手育成に及ぼしたのかもしれないという思いだ。Jリーグから有力選手が居なくなれば、若い選手にチャンスが生まれるはずだが、それを活かせなかったのだろうか。
 いろいろなことを考えたあげく、最終的にたどり着くのは、「結局、環境の問題ではなく、意識やパーソナリティが選手の成長を司っている」という答えだ。欧州へ行かずとも成長できることを遠藤が示している。
「ヤットさんを越えるために」
 そう考え、鍛錬に励んでいる若手の出現に期待するしかない。