[写真]=FOTO SINO
 選手会のストライキによる開幕節の延期もプラスに作用したと言えるのかもしれない。7月末のセルティックとのプレシーズンマッチで右肩を負傷した長友佑都にとって、けがを癒すためのの時間は長ければ長いほど望ましかったからだ。

 3冠王者から一転、スクデットとチャンピオンズリーグというメジャータイトルを失ったインテル。特にセリエAでは、ミランにタイトルを奪われるという形で連覇が途切れた。迎える新シーズン、ここでタイトルを奪還できなければ、インテルは王者としての面目を完全に失うことになる。

 イタリアで迎える2年目のシーズン。インテルは「長友佑都」というクラブ初の日本人プレーヤーをどう見ているのか。インテルのコミュニケーション・ディレクターとしてチームに帯同するパオロ・ヴィガノ氏が語ってくれた。

少し異様だが、つい笑ってしまう光景

 長友佑都についての話を最初にしてくれたのは、チェゼーナのGK、フランチェスコ・アントニオーリだった。20年来の友人である彼は、長友の印象を正直に語ってくれた。「素晴らしい若者だ。信じられないくらいのプロフェッショナル意識を持っている。ピッチ外ではすごくフレンドリーだけど、ピッチ上では決してあきらめない精神力を見せつける。本当にすごいヤツだ」

 アントニオーリは長友を最大限に称賛した。その数週間後、“アジアのカンピオーネ”は、アントニオーリの言葉が単なるお世辞ではなかったことを、インテルのピッチで見事に立証してくれた。

 インテルに入団した彼は、数日間でチームの“全員”と仲良くなった。インテルほどのビッグクラブになれば、多くの選手が新参者に対して辛く当たるものだが、長友だけは別だった。彼はすぐに全員に快く受け入れられたのだ。もちろん、彼がイタリア語を流暢に話すわけではない。だが、彼の進取の気性に富んだ性格に、ネラッズーリの全員が好感を抱いたのである。

 2011年の1月から今日に至るまで、長友はごく自然にインテルの一員、ネラッズーリに不可欠な存在になっていった。彼が微笑みを欠かすことはない。実にタイミングよく、何か面白いことを言う。そして何より、彼自身がインテルでのプレーを楽しんでいる。彼はネラッズーリの一員として日々成長しているのだ。

 日本を大地震と津波が襲った時、我々インテルの全員が彼と痛みを分け合ったと思う。彼は遠い祖国の地で起こっている悲劇に本当に心を痛めていた。マッシモ・モラッティ会長から慰めの言葉と抱擁を受けた時、彼は感動の涙を流していた。インテリスタからの激励に、真摯なプレーで感謝の気持ちを表した。

 いまだ、多くの日本国民が大地震の後遺症に悩んでいるだろうと思う。だが、ひとまずは大きな悲劇のショックを通り過ぎたとも言える。そして、長友の表情に笑みが戻った。悲劇のどん底にあった彼の口から再びジョークが飛び出るようになった。チームメート全員、特にマルコ・マテラッツィ、ウェスレイ・スネイデル、サミュエル・エトオとふざけ合う姿が見られるようになったのだ。

 彼はインテルのキャプテン、ハビエル・サネッティに大きな尊敬を抱いている。彼はピッチの内外でサネッティに深く頭を下げる。我々はこれが一般的な日本式の挨拶であることを知ってはいたが、実際にやったことはなかった。だが、いつしか全員が長友に対して深く頭を下げて挨拶している。少し異様だが、つい笑ってしまうこの光景は、長友がインテ持ち込んだ日本文化の最たるものと言えるだろう。

長友ほどプロ意識が強い選手はそう多くない

 長友は決断力に富み、勇気のある男である。同時に、非常に思慮深い男であることも確かだ。彼はいつも人を笑わせ、自分も笑っているが、単におちゃらけているのではない。彼は自分の感情を注意深く律することができるのだ。彼は私の目には教養のある男として映っている。毎日、ピネティーナに姿を現す長友は、全員に挨拶をする。監督やチームメートだけでなく、ここで働く者みんなに声を掛ける。カルチョのエリートの世界に彼を招き入れたインテルというクラブ全体に大きな尊敬の念を抱いているということが、彼の言動の一つひとつから感じられるのだ。

 我々イタリア人は、日本文化に尊敬の念を抱いている。長友はその伝統的日本文化を体現しており、そのことでマッシモ・モラッティ会長を始めとするインテルの人々の心をつかんだ。ジャン・ピエロ・ガスペリーニ監督もその例外ではない。ダブリンでのセルティック戦で肩を痛めた長友が、担架でピッチから運び出される時のガスペリーニの悲痛な表情を私は見ている。その数日後に迫っていた北京でのイタリア・スーパーカップのミラン戦で、彼は長友をスタメン出場させるつもりだったのだ。

 セリエA開幕を前にした長友にとって、セルティック戦でのケガは不運なアクシデントであった。同時に、初めてビッグクラブを指揮することで大きなモチベーションを抱いているガスペリーニ監督、そして長友のプレーを楽しみにしていたインテリスタにとってもショックな出来事だった。

 しかし、彼は予定よりずっと早くピッチに戻って来た。私はこれまで多くの偉大なカンピオーネを見て、ともに仕事をしてきたが、長友ほどプロ意識が強い選手はそう多くなかった。不可能を可能にするための精神力を、彼は持っている。

 長友の強い精神力は、インテルの一員として初めてサン・シーロのピッチに上がった日に証明されている。普通、イタリアサッカーの“スカラ座”と評されるジュゼッペ・メアッツァのピッチに初めて立つと、その雰囲気に圧倒されてしまうものである。しかし、長友は恐怖心を抱くことなく、ごく自然に自分のプレーを見せた。

■パオロ・ヴィガノ
1965年ミラノ生まれ。91年から『トゥットスポルト』紙の記者を務め、著書に『インテルの世紀』がある。2004年にマッシモ・モラッティの要請によりインテルの広報となり、広報部長を経て昨年にフロント入り。コミュニケーション・ディレクターとしてチームに帯同する。ページタイトルのピネティーナは、インテルの練習施設の名称。
【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men's JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING(twitterアカウントはSoccerKingJP)』の編集長に就任。『SOCCER GAME KING』ではグラビアページを担当。