なでしこジャパンについて、以前のブログで、僕は見るスポーツに昇華したと書いた。エンタメ性は客観的に見て上昇した。しかし、僕には相変わらず満足できないこともある。男子サッカーにできて、なでしこにはできないことと言えば分かりやすいかも知れない。

サッカーは議論するスポーツ、意見するスポーツ。地球上には自称監督、自称評論家が無数に溢れている。ワイワイガヤガヤ、サッカー話で盛り上がれるところ。お喋りという人間の本能と相性が良いところが、世界のナンバーワンスポーツたる所以だと、僕はこれまでに、再三述べてきた。世の中には、つまり称賛と批判が良い感じで渦巻いているわけだが、残念ながら、なでしこは例外だ。

理由は簡単だ。彼女たちが手にする報酬額があまりにも少ないからだ。身分は事実上、アマチュア。

僕には、一般人より明らかに高い報酬を得ている選手以外は、批判の対象にすべきではないという概念がある。もちろんアマチュアといっても、プロ以上の報酬を得ている選手もいるので、そのあたりの区分けは、慎重にならなければならないが、いずれにしてもなでしこが存在するエリアは十分、対象外になる。

対象内か対象内か。その境界線を、僕はだいたい年俸2500万円程度に据えている。年俸で1億を有に超える代表監督などは、積極的に意見してやらなければ失礼であるとさえ思う。

A代表、男子五輪チーム、なでしことも間もなく「予選」が始まる。で、なでしこは、男子の2チームより、数倍難しい組みに振り分けられている。アジア予選敗退も、ない話ではない。

なでしこの面々はいまでは有名人だ。商品価値の高い、いわば高視聴率タレントだ。好むと好まざるとに関わらず、そうなってしまったわけだが、万が一、予選落ちでもしようものなら、その代償として、彼女たちが批判の餌食になる恐れは十分ある。僕の概念ではあってはならない話が、起きかねない状況にある。

立場が脆弱なアマチュア選手が、高視聴率を集める怖さ、国民の関心を集める怖さを思わざるを得ない。いま僕は世界陸上を観戦するために大邱に来ているのだが、全体として不成績に終わった女子のマラソン選手を見ていると、そうした思いは一層強くなる。

大会前、女子マラソンはメダル候補と言われていた。放映権を持つ放送局も事前番組で、金メダルも十分狙えますと言っていた。すれっからしの僕には、煽っているだけのように見えたが、一般の人はそうは思わない。テレビや新聞に対して、基本的に少なからず信頼感を抱いている。ある程度、客観的なものだと位置づけている。

だからこそ、そこで予想通りの成績が出ないと、ガックリする。なーんだって話になる。日本では高視聴率を記録したであろう今回も、きっとそうだったに違いない。うっかりしていると選手に苦言を呈す人も現れるはずだ。金メダルも十分に狙えますと煽ったメディアに向けての苦言より。

陸上に限らず、僕はサッカー以外のスポーツにもかなり興味がある。サッカーライターではなくスポーツライターと名乗る理由だ。実際、これまで数多くの競技を取材してきたわけだが、五輪系の競技(アマチュアスポーツ系)を取材していて辛いのは大抵、なでしこや女子マラソンの例に当てはまることだ。

趣味の延長上でプレイしている(といっても言い過ぎではない)アマチュア選手に対してアーだコーだ言いたくても、つまり批判したくても、批判できない現実が日本にはある。自称監督、自称評論家になりにくい環境、少なくとも、美談しか書き記すことができない環境がある。不健全に思うのは僕だけではないはずだ。

低年俸のアマチュア選手が、高視聴率を稼ぐスポーツ番組を見ると、日本のスポーツ界の矛盾はより一層ハッキリする。

A代表、五輪チーム、なでしこ、そして世界陸上に出場している日本選手。それぞれの立場が違うことを、観戦に先立ち、いま一度確認しておきたい。

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