森理世 <br>(撮影:野原誠治)
 森理世は、2007年5月28日、2007 ミス・ユニバースの世界大会で、日本人としては48年ぶりとなる1位に輝き、“世界一の美女”になった。一般人だった彼女の周辺は、一夜にして激変。その環境の変化や素顔の自分とミス・ユニバースとしての自分とのギャップに苦しみ、悩んだ時期もあったという。2007 ミス・ユニバースとしての任期を終え、ティアラを外した今、素顔の森を直撃。理想の男性像を聞くと、照れながらもアツくEXILEについて語りだした。

2009 ミス・ユニバース・ジャパンの応募締め切りは10月17日(金)! - 公式サイト
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――まず、ミス・ユニバースに応募されたきっかけは?

森理世(以降、森):きっかけは祖母の一言でした。ちょうど応募した時期が19歳で、「10代最後の思い出に何か大きなことをやってみたらどう?」っていう一言だったんですけれど。大っきいことってどういうことだろうって考えて、ちょうどその時にミス・ユニバースが、知花(くらら)さんが世界2位になり、ニュースになっていて、日本人が世界に出て行っても、対等に戦えるんだなと思っていたり、色々なことが重なって、じゃあ応募してみようかと思ったのが始まりでした。

――おばあさんは何か芸能関係のお仕事を?

:全くそういうのは無かったんですけれど、人一倍「美」に敏感な祖母で、80歳になっても「最近シワが出てきた」とか、そんなことを言う様な祖母だったので、自分がやりたかったことを孫に託すっていう感じではなかったんでしょうかね。

――おばあちゃんっ子?

:おばあちゃんっ子ですね。生まれた時からずっと一緒でした。私にとって「おばあちゃん」っていう感じではないですね。自分がおばあちゃんって呼ばれることも嫌な性格でしたので。

――では、何て呼ぶんですか?

:おばあちゃんなんですけど(笑)。「ちょっと私のこと、おばあちゃんって呼ばないよ」っていう、いつまでも少女の様な、個性的な祖母でした。

――実家はダンススクールを経営しているんですよね?

:はい、そうです。もう25周年になります。4歳からダンスを習っていて、小さい頃から「理世はこのスタジオの後継ぎになるんだからね」と言われて育ってきたので、ダンス一筋でした。私はこのスタジオを継ぐんだといつも思っていたので。

――今、その思いはありますか?

:今もまだあります。実は、自分のダンススタジオをもうすぐ開く予定です。ミス・ユニバースに優勝して、やりたかったことから反れている様な感じもするんですけれど、実際には近道だったのかもしれないです。そのおかげで、たくさんの経験を得られたし、ダンスに対する思いもより強くなりました。協力して下さる方や興味を持ってくださる方も一気に増えたので、自分がユニバースをやってなかったら、もうちょっとこの夢は後になってしまったかなと思います。

――もうすぐ夢が実現するわけですね?

:そうですね。昔はダンス、ダンスと思っていたんですけれど、実際はダンスだけじゃなくて、この1年間ミス・ユニバースとして得たもの。例えば、きれいになる秘訣だとか、自信を持つ方法だとか、人との接し方、チャリティへの関わり方等、本当にたくさん学んだので、やっぱりそれを自分の中に納めるだけではもったいないし、自分が1年間やってきた使命を果たせないと思いますので、トータル・ビューティ・スクールみたいなものを作っていきたいと思ってます。

――では後ほど、美ぼうを保つ秘訣について具体的にお伺いするとして、ちょっと話を戻しますと、おばあさんの一言をきっかけにミス・ユニバースに応募されて、世界一に輝きました。そこに至るまで、どんな努力をしましたか?

:国によってはミス・ユニバースになるために育てられた人がいます。まず、私はそれは違いました。やっぱり、一番難しいのは外見がきれいになることではなくて、その意識の持ち方なんですよね。その国の人たちは小さい時から、「ミス・ユニバースになりたい」っていうのが身近な言葉なんですよね。我々日本人はミス・ユニバースというものが、今では、おかげさまで大分広まりましたけど、私はそれが一体何なのか実際分からず応募してしまいました。トレーニングの中で、例えば髪型を変える、爪を伸ばす、服装を変えるっていうことは、ディレクターの指示に従えば、みんなきれいになるんです。だけど、心の持ち様ですよね。自分は世界大会に行って、ミス・ユニバースの王冠を獲りに行くんだっていう気持ちは、10年間言われ続けてきた人と、半年間でそれをやろうとする私だと、差がものすごく大きいので、やっぱりギュっと凝縮させて、その気持ちに負けない気迫を作る。そのトレーニングは大変でしたね。

――具体的には?

:ナショナル・ディレクターと話をしました。ミス・ユニバース・ジャパンのイネス・リグロンは、10年間ディレクターをやっているプロですから、ノウハウも知っているし、ひたすらそれを私にたたき込む、「こういうものだ、こういうものだ、こういうものだ」ってほとんどマインドコントロール状態なんですけど。そう言われていくうちに、実感が沸いてきて、それが夢ではなく目標になりました。それから、ひたすらビデオを見ましたね。1999年から2006年までの大会のビデオを、毎日毎日テープ切れるぐらい見て、どういう人が優勝するのかを自分なりに分析しました。その振る舞いとかオーラとか。優勝する人にはきっと共通点があると思って見ているんですけど、毎年個性が違うし、違う国の方が優勝しているし、何なんだろうって自分に問いかけ続けました。外見をきれいにすることよりも、そっちの方が大変でしたね、私にとっては。