歩きスマホ」によるぶつかり事故は頻発している(写真:EKAKI / PIXTA)

スマートフォン(以下、スマホ)を閲覧または操作しながら歩く人が多い。「歩きスマホ」という造語はすでに定着した。英語では、スマホゾンビ(smartphone zombies)というが、その前屈姿勢をイメージすると、言いえて妙と思える。


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さて、愛知工科大学の小塚一宏教授の研究によると、スマホの画面を見ながら歩いている人の視野は、通常の5%という(NTTdocomo作成の動画「もしも渋谷スクランブル交差点を横断する人が、全員歩きスマホだったら?」)。ならば、歩きスマホによる事故は頻発していそうに思える。

東京消防庁の救急搬送のデータを見てみよう。2016年度の日常生活による事故救急搬送は13万1925件である。うち主要な事故形態は、「ころぶ」7万3510件、「落ちる」1万6300件、「ぶつかる」7756件などだ。このうち、「歩きスマホ等に係る事故」とされるものは58件で、0.05%に満たない。

しかし、この数値をもって、歩きスマホの事故頻度は低いと考えるのは、妥当でない。上記統計は、救急車で搬送されるほどのケースであり、歩いている人がぶつかっても、ほとんどの場合、救急車を呼ぶ事態にならないからだ。軽微な事故が多発している可能性がある。

ぶつかり事故は頻発、ときに重篤な事故も

MMD研究所「2016年歩きスマホに関する実態調査」によると、「歩きスマホをしている人が原因でぶつかったり、ケガをした経験がありますか?」という問いに対し、実に18.8%が「ある」と答えている。アンケート調査の正確性は、議論の余地があるとしても、2割弱という数値は、これが国民的な問題となる可能性を示唆している。

また、軽微な事故が多いといっても、すべて軽微なわけではない。「ぶつかる」事故類型の場合、相対的に軽微ですむ確率は高いといえようが、「落ちる」場合は、階段から転げ落ちる、駅のホームから転落するなどの事例が生じている。この場合、被害は軽微とは言いがたい。

まとめると、重篤な事故は相対的には少ないが一定頻度で生じており、また、軽微な衝突は頻発していると見てよかろう。

さて、次に、利用者の意識はどうか。アンケート(電気通信事業者協会)によると、歩きスマホは「危ないと思う」人が96%に上る。その一方、自ら「することがある」と答える人が49%と約半数いる。危ないと思っているが、自らやっている。この、一見矛盾する意識が、この問題の1つの本質である。なぜ、このようなことになるのだろうか。

江戸時代の偉人・二宮金治郎はまきを背負って歩きながら読書をしたと伝えられる。真偽は不明であるが、実話であれば、時間を惜しんで勉学したのであろう。現代人は、偉人でなくともたいてい時間を惜しむが、本や雑誌を読んで歩く者は少ない。時間が惜しいだけならば、歩きながらひげをそる者、化粧をする者など、さまざまな行動がありそうだが、そのような者はまずいない。そうすると、時間を惜しむことが原因ではなく、スマホ自体に何か、歩行中の利用を誘引する性質がありそうだ。

上記MMD研の報告に、歩きスマホの利用者が何をしているかのアンケートがある(重複回答あり)。上位は、1)メール39.7% 、2)通話29.2%、 3)乗り換え案内情報検索28.8% 、4)レストラン、ショップ等目的地の地図23.5% 、5)SNS/ブログの閲覧・投稿19.1%、6)ゲーム18.3%、7)チャット16.6%、8)ニュース/天気サイト閲覧14.9%、9)動画視聴5.0%、10)ネットショッピングサイト閲覧4.8%――などである。

スマホの機能は多様である。上記を大別すれば、1、2は特定者とのコミュニケーション、3、4は移動情報であるが、そのほか、娯楽、情報収集、不特定者とのコミュニケーションなどがある。

比率を見ると、特定者とのコミュニケーションと、移動情報が大きい。メール、通話については、これらを急いで処理したくなる人間心理があるだろう。歩行中にも操作したくなる原因と考えられる。また、地図ソフトを歩きながら利用したくなる事情は容易に理解できる。こう見ていくと、確かに、読書やひげそりに比べて、スマホを歩行中に利用したくなるのは自然なことと思えてくる。

小塚教授の視線計測が明らかにした危険性

物理的な利便性と面白いアプリの両面で、現代のスマホは魅力的だ。時間に追われて、やむをえず歩行中に操作するというより、魅力が大きいので、歩いている間も我慢できずに使ってしまうケースのほうが多いのであろう。位置情報を利用したゲームの大ヒットが、交通事故の原因として問題になった例もある。危ないと認識しつつもやってしまう特性は、スマホの強い「魅力」から生じる。いわゆる「スマホ中毒」を生むゆえんだ。

しかし、このことの危険度はどうだろうか。前述の小塚教授のスマホ利用者の視線の動きの研究がユニークだ。

その中の1つで、駅構内で旅行パンフレットを見ながら歩く場合と、スマホを見ながら歩く場合との、被験者の視線の動きを比較している。パンフレットの場合、電車の入り口や時刻表など、周囲にも目を配っているのに対し、スマホでは、視線が「くぎ付け」となり、周囲をほとんど見ていないことが判明した。前述の動画の渋谷の交差点の歩行実験では、視線が前方にもほとんど配られていない、危険な状況が明らかにされている。

多くの動物の感覚は、刺激の変化に鋭敏になるように進化している。カエルは、ゆっくり近づく蛇に気づかず、視界に飛び込む虫には強く反応する。人間も、生物としての特性上、動かぬ紙面より変化する画面により強く注意を引かれるのは、自然といえる。

スマホの利用者は、ぼーっとして注意が散漫になっているのではなく、スマホに集中してほかのことに意識を振り向ける余力がないように見受けられる。通話であれば、視野そのものに影響はないはずであるが、やはり視線が固定され周囲に配られなくなるということは、問題は視界だけでなく、意識そのものにあることを示唆している。

このような状態で歩行することが危険なのは明らかである。

ゾンビと当たり屋の不毛な戦い

さらに、現代では、偶発事故だけでなく、他人の意図によって生じるリスクもある。歩きスマホを行う者に、わざとぶつかる「当たり屋」が出現して話題になった。これには2類型がある。

1つは、歩きスマホを見ると、怒りが生じるため、膺懲(ようちょう)したくなって体当たりする者である。歩きスマホの女性を、ホームから線路に突き落とし重傷を負わせた疑いで、60代の男が逮捕されたとの報道があった。高齢男性を刺激するのは危険だ(筆者記事「『キレる60代の男たち』を減らしていく方法」)。これは、いわば暴力型の類型である。

いまひとつは、歩きスマホの人にぶつかり、自らが転んでケガしたり、携帯などを取り落としたりして、傷害や物損を被ったとして、賠償を要求する。これは詐欺型と言えよう。

「当たり屋」の存在は困った問題であるが、そもそも歩きスマホをしなければ防げることは明らかである。歩きスマホの自粛によって、根本的な解決が図られるのが望ましい。

さて、冒頭述べたとおり、この問題は英語では「ゾンビ」と呼ばれる。周囲の状況にお構いなく、ぶつかっても気にしないのでは、確かにゾンビ感が高い。国際的な問題なので、他国の対策を見ておくことも有益である。

1つは、禁止である。ルールを設け、罰則によって徹底を図る。ホノルルでは、道路横断中の歩行者がスマホを見ていた場合、初回なら35ドル、複数回違反すれば99ドルの罰金を科すことができるという(USA Todayの記事による)。罰金を科して禁止するのは、歩きたばこなどにも例があり、有効と思える。

しかし、別の方向に解決を求める都市もある。アントワープや重慶では、歩きスマホのために一般歩行者と分離した、一方通行の専用レーンを設けて、衝突を避けるという。

アウグスブルクやケルンでは、舗装道路に信号を埋め込み、下を向いていても見やすくしている例がある。ソウルでは、交差点の路面に危険を表す標識があるという。さらに、スマホのカメラ機能を利用して、画面の背景を半透明にし、カメラに映る前方の景色がある程度見えるようにするソフトもある。

大勢の人がやりたがることは、禁止するのではなく可能にするという発想は、一般的には奨励すべきである。しかし、こと本件については、ゾンビが住みやすい世界を求めるのが本当によいのか、疑問がある。目指すべきは、皆がスマホを操作しながら歩ける社会なのか、そういう者がいない社会なのか。

わが国においては、歩きスマホはやめよう、という方向で政府や企業の啓発活動も多く行われている。以下、本稿ではこの立場を取る。

技術的な防止策やルールを決めるべきだ

現在、啓発ポスターなどの注意喚起を除けば、歩きスマホの対策は、さほど多くない。その1つは、画面に注意喚起を表示するアプリである。ただ、歩きスマホをする者の多くは、気づかずにするのではなく、わかったうえで行っていると考えられるので、注意喚起という方法は有効性が限られる。

より強制的な技術的抑止として、走行中にTV画面が消えるカーナビが1つの参考になる。スマホには、歩行の有無を検知するセンサーがついていることが多いので、歩行中は画面を消してしまうことが考えられる。地図ソフトを歩きながら使う必要がある場合には、不便であろうが、立ち止まればすぐ見えるようにするか、あるいは地図に限って一定時間表示可能にするなどで、問題の回避は可能であろう。

もう少し緩やかな案としては、スマホの画面をつけながら15秒以上歩くと、警告音が鳴るという仕組みも考えられる。盗撮防止にシャッター音を鳴らすことが、わが国では行われているが、衝突防止に警報を鳴らすというのもあるかもしれない。本来、警告すべき対象は周囲ではなく本人であるが。

歩きスマホ以上に危険なのは、自転車に乗って画面を見ているケースである。これは、危険の度合いが甚だしいので、自転車の動作を検知し、問答無用に画面を消す機能を可能にできればたいへん望ましい。

これらの機能的な制限は、キャリアすなわち通信事業者が導入を牽引することが不可欠である。事業者の社会的な責任の一環として、利用者の安全を確保する技術への取り組みが望まれる。

最期に、技術的な方策のほか、ルールおよび罰則の整備が当然考えられる。数十年前、歩きたばこは珍しくなく、ぶつかった子供がやけどさせられるといった事故も多くあった。ルール化により、こうした問題は解決できる。歩行中の操作禁止のルールは十分考慮に値しよう。

こうした対策が広く論議され、早く国民的合意が形成されることを期待したい。