ATLANTA, GA - JULY 19:  Koji Uehara #19 of the Chicago Cubs reacts after pitching in the eighth inning against the Atlanta Braves at SunTrust Park on July 19, 2017 in Atlanta, Georgia.  (Photo by Kevin C. Cox/Getty Images)

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申し分ない実績、上原が与えるプラス効果


 今年で43歳を迎える最強のベテランリリーバーが古巣に帰って来た。シカゴ・カブスからフリーエージェント(FA)となり、実に10年ぶりに巨人復帰を果たした上原浩治投手だ。
 
 メジャーリーグで9シーズンに渡り、第一線で活躍。2009年のボルチモア・オリオールズへ移籍当初は先発としてマウンドに立っていたものの、翌2010年のシーズン途中以降はリリーバーとして新境地を見い出し、大成功を収めた。2013年のボストン・レッドソックス時代、シーズン途中からクローザーとして定着し、ワールドシリーズで日本人初の胴上げ投手に輝いたシーンは今でも語り草だ。
 
 実績は申し分なし。昨季のカブス時代もシーズン終盤で故障に泣かされたが、おおむねブルペンの主力として役回りをこなした。メジャーの強打者たちを牛耳った投球術に錆び付く気配は見られず、久々となるNPBのマウンドでも相手を次々と手玉にとって翻弄する勇姿が見られそうだ。そんなバリバリのメジャーリーガーが古巣の巨人の面々に与えるプラス効果は計り知れない。
 
 ところで上原は一体なぜ、巨人への復帰を決意したのだろうか。当初は各メディアを通じて今季、MLB球団からメジャー契約のオファーがなければ引退するとの意思を明かしていた。だが、メジャーリーグのFA市場が空前の冷え込みによって、各球団の選手獲得の動きも鈍化。その影響をモロに受けた上原も辛抱強く待ったものの、結局MLB球団からのオファーは届かなかった。
 
 しかしどうしても「野球がしたい」との思いから批判も覚悟の上で前言を撤回し、巨人へのUターンを決めた。かなり勇気が必要な決断だったと思う。

誤解から生じた古巣との“ミゾ”


 今から10年前の巨人ラストイヤーとなった2008年シーズン。思い起こせば、この頃の首脳陣とは折り合いが決して良くない時期もあった。前年に一時的なストッパーへの転向を命じられ、チームをリーグ優勝へ導く活躍を見せるも、その翌年は自身の強い希望で先発へ復帰を果たした。
 
 だが開幕直後から不調が続き、当時チームを率いた原辰徳監督に精神面での弱さを暗に指摘され、早々と4月末に2軍降格。同年はFA資格を有し、待ち焦がれた念願のメジャーリーグ移籍が同年のシーズンオフに可能となることから、上原に対して一部で「もう心ここにあらずではないのか」とのうがった見方が向けられていたのも残念ながら事実だった。
 
 今振り返ってみると、当時の首脳陣やチーム内の関係者も同年のシーズン終了後にメジャーリーグ球団へのFA移籍が規定路線となっていた上原には、どこか疑心暗鬼となっていたところがあったのかもしれない。仮にそうだったとすれば、上原にとっては全くもって大きな誤解であり、迷惑千万な話だったであろう。しかし、起用する側の首脳陣、そしてチーム内の関係者にも言い分はもちろんあった。
 
 いずれにしても双方の間に深まったミゾはそう簡単に埋まらず、上原が1軍復帰を果たした同年の夏場以降も何となくギクシャクしたまま最後は埼玉西武ライオンズとの日本シリーズを迎え“和解”に至らずにチームも日本一を逃してしまった。そして上原は同年のシーズンオフ、FA宣言でオリオールズの一員となり、海を渡った。
 
 この当時の古巣に対するうやむやな気持ちは、おそらくずっと上原の心の中に残っていたのではないだろうか。だからこそ勇気ある決断に踏み切ったのだと確信している。
 
 あれから10年近い月日が流れ、帰ってくる上原も、そして迎え入れる古巣の巨人側もすべての面で大きく変わった。上原が2008年シーズンのラストイヤーでやり遂げられなかった日本一奪回、そして自身の遺伝子を他の選手に植え付け、イザコザもなく全員一丸となってフォア・ザ・チームの精神を最後まで貫き続けられる体制は今の巨人に整っている。
 
 何より、かつてメジャー移籍を熱望する気持ちを必死に抑え込みながら巨人のエースとしてマウンドに立ち続けていた背番号19の上原はもういない。この1年はジャイアンツの復帰ロードにすべてを捧げる覚悟を固めた背番号11の奮闘に期待が集まる。