リラックスして腕を下ろし、自然な状態で曲げたヒジを後方へ軽く振るように近藤秀一(東京大3年)は走っていた。11月25日に行なわれた関東学連1万m記録挑戦会は、箱根駅伝の関東学生連合チーム最終選考でもあった。3回目の箱根路への挑戦となる近藤は、全体を俯瞰(ふかん)するかのように先頭集団の最後方について淡々と周回を重ねていた。

 最終選考の前日、近藤は東大陸上運動部OBの松本翔氏と昼食をともにした。松本は大学1年時に箱根8区を走った東大陸上運動部のレジェンドだ。話題は自然と最終選考のことになる。


箱根駅伝の予選会で力走する東京大3年の近藤秀一

 近藤は1年、2年と学生連合チームに登録されながらも本選メンバーからは漏れた。しかし今年の予選会は、20kmを59分54秒で走破。全体20位、学生連合チーム選抜対象者1位の記録を叩き出した。松本は「普段通りに走れば大丈夫」と近藤の背中を押した。近藤自身も自分の力を出せば問題ないと思っていたが、松本の言葉を聞いて気楽にいこうとあらためて胸に刻んだ。

 レースは残り3周となった。集団が目に見えて加速していく。長谷川柊(はせがわ・しゅう/専修大2年)、中島大就(なかしま・たいじゅ/明治大2年)といった最終選考メンバーに加えて帝京大学のランナーたちが激しくトップを争うなか、近藤も先頭から離れない位置で順位を押し上げていく。

 調子のよさそうな長谷川を追いかけるというアイデアも頭をかすめたかもしれない。しかし近藤は深追いせずに自分の走りを続けた。結果、長谷川には届かなかったものの、中島はきっちり退けて最終選考2位(全体6位)でクリア。タイムは29分13秒71の自己ベストだった。

「もうちょっと前の位置での展開を考えていたんですが、うしろになってしまいましたね。タイムや順位を気にせず自分の走りをすることだけを心掛けました。それにしても5000mや1万mは忙しいです。20 kmくらいはないと」

 無事に箱根路への切符をゲットした近藤は、レースを振り返って笑顔を見せた。

 近藤は3回目の登録で初めて本大会を走る。以前の「登録2回を超えない選手」という規定のままだったら、1年、2年で登録されていた近藤にチャンスはなかった。しかし今回から「本大会で走っていない選手」という規定に変わったため近藤は走れることになった。どれだけ喜んでいるかと思いきや、意外なほど冷静だった。

「実は、今までのように『箱根、箱根』という衝動はありません。一昨年、昨年と2年連続で走れなかった。そこで僕の箱根駅伝への挑戦は一度終わったんです。箱根がかなわなくなり、これから何のために陸上を続けようかという思いと、箱根だけが陸上ではないという思いが混じり合い、何をやるにしても重苦しかった。そんな僕を仲間が気遣ってくれた。『今こそ自分が変わらないと……』と思うようになりました」

 近藤は競技者としてのステータスを高めるためにフルマラソンへの出場を決意する。狙いは東京マラソン。中学・高校時代から大会を通してお互いを高めあってきた下田裕太(青山学院大4年)が前年に2時間11分34秒を出したレースだ。急仕上げではあったが目標を2時間15分切りに設定した。

 近藤は2時間14分13秒で走り切った。楽しみにしていた下田との走りは下田の負傷欠場でかなわなかったが、新たな目標ができて燃えずにはいられなかった。

「箱根駅伝に出られなかったこと、東京マラソンを走ったこと、そういう経験が新しい視点をもたらしてくれました。陸上は箱根だけではないのに、今までは箱根ばかり考えて、恥ずかしいくらい視野が狭かったなと。だから学生連合チームの資格が復活したという話を聞いたときも『ああ、そうなのか』という感じでしたね」

 しかし、近藤の冷静な思いとは別に周囲は盛り上がった。

「こんなに喜ばなくてもいいですよ、と思うくらいみんな本当に喜んでくれて。その姿を見て、もう一度挑戦しよう、この人たちのために今度こそ箱根を走ってみせようと思いました。自分のためではなく、みんなの気持ちと一緒に走る。どの競技でもよくアスリートが言う周囲への感謝って、こういう気持ちなんだと納得しました」

 近藤は箱根駅伝5区のゴールの先、駿河湾側へ降りたところにある静岡県函南(かんなみ)町で育った。小学3年で陸上を始めて函南中学、韮山(にらやま)高校と進学しても走り続けた。東海大会への出場経験はあるが、全国大会には届かなかった。とはいえ、3年の全国高校駅伝静岡県予選では下田(加藤学園)を振り切り、区間賞を獲得するなど有力選手でもあった。実際に大学駅伝の強豪校から誘いもあった。しかし断った。

「大学で陸上を究(きわ)めて箱根路を走る、というのはひとつの目標。でも僕は勉強も究めたかった。その両方を達成するチャンスがあるのは東大だと思いました。だから浪人覚悟で東大を目指しました」

 近藤は一浪して東大理科二類に進学した。浪人時代も両方を究めるという目標を見失わずに受験勉強を続けながら陸上のトレーニングも続け、5000mの自己ベストも更新したという。そのためか入学後も受験勉強の影響はほぼなく着実に記録を伸ばせた。

 しかし近藤は理系の学生。研究に費やす時間は学年を重ねるごとに長くなる。さらにひとり暮らしなので自炊、生活費を稼ぐために家庭教師のアルバイトもする。両立は難しくなる。

「限られた時間だからこそ、優先するものを間違わないようにしています。例えば、僕は自炊をしていますが、食事についてあまり深く考えていません。食事にこだわって時間を使って得る成果よりも、失うものの方が多そうですから。陸上に使える時間が少ないなかで強豪校の選手と同じことをやろうと思っても、その縮小版になるだけ。それでは追いつけない」

 環境は変えられない。今いる環境の中で最善を尽くすにはどうすればいいか。近藤はいつも考え、思い切って取捨選択をしてきた。そして近藤は箱根路の舞台にたどり着いた。

 任される区間は熱望してきた1区が濃厚だ。大手町のスタートラインに並ぶエリートランナーたち。そのなかで胸にスカイブルーのラインに「東京大学」と白く染め抜いたランナーが堂々と立つ。多くの東大OB、ファンが待ち望んだ光景だ。そのひとりである松本氏は自身の箱根駅伝の経験も思い出しながら近藤の走りに思いをめぐらす。

「箱根駅伝の応援は本当にすごいです。声援で自分の足音が聞こえなくなり、飛んでいるのではと錯覚してしまうほどです。でも近藤君なら大丈夫でしょう。20 kmの実力は他校のエースクラスと遜色ありません。選ばれた者として走り、チャンスが来た時に勝負に出る。その時は恐れずに区間賞に挑戦してほしい」

 想像通りにいかないのがレース、しかも箱根駅伝だ。近藤はどのようなプランを考えているのだろうか。

「1区を走る他校のランナーたちと僕の5000mや1万mのタイムは胸を借りるくらいの差はあるでしょう。でも21.3 kmは違う。鶴見中継所にどう入るか、目標はそこです。自分の心と体を見極めて、我慢すべきときは我慢して、いくべきときはいく。力を出し切る準備はできています」

 最後に近藤は、昨年までなら感じなかったかもしれない思いをつけ加えた。

「当日は家庭教師先の生徒も大切なこの時期に応援に来てくれます。今年は本当に多くの人に気にかけてもらっていると実感しました。応援してくれるすべての人に感謝を込めて、勇気の湧き出る走りを見せます」

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