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 世界最大のファストフードチェーン、マクドナルド・コーポレーション。そしてその「創業者」、レイ・クロック。ソフトバンクの孫正義やファーストリテーリングの柳井正の両氏も師と仰ぐ彼が、どのように成功の階段を上りつめていったのかを描いた映画、『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』が角川シネマ有楽町、角川シネマ新宿ほか全国にて公開されています。

 レイ・クロックは、1902年にアメリカのイリノイ州に生まれました。’54年、カリフォルニア州サンバーナーディーノで「マクドナルド」の店舗を開いていたマクドナルド兄弟と出会い、高度に効率化された調理システムに感動したクロック氏は、兄弟と交渉してフランチャイズ権を獲得し、’55年に最初のフランチャイズ店を出店します。

 そして、同年にはマクドナルド・システム会社を設立。’60年にマクドナルド・コーポレーションに社名変更し、さらに出店を拡大していきます。翌年にはマクドナルド兄弟から商権を買収し、’84年までに世界34か国で8300店舗を開くことになります。

 今回は、映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』より、彼の成功の秘訣を紐解いていきたいと思います。

◆成功の秘訣(1)何度も失敗しても挑戦し続ける

 この映画の中で彼が、あるレコードを聴くシーンがあります。そのレコードのタイトルは「The Power of the Positive Thinking」。邦題では「積極的考え方の力」と訳される、文字通り「ポジティブシンキング」という考え方を初めて広めた自己啓発書のオーディオ・ブック版です。

 実は彼がマクドナルド兄弟と出会ったのは実に50歳を過ぎてからで、それまでは実に様々な職業を転々としていたそうです。まず 17 歳で、リボン小物を売るセールスマンとなり、次にはペーパーカップのセールスマンになり、やがて当時発明されたばかりの「マルチミキサー」(ミルクセーキを作る機械)のセールスマンになります。マクドナルド兄弟に出会ったのはこの商品の販売で全国を飛び回っている最中です。

 それまでの経歴を見ると、若干「ヤマ師」的な印象を受けます。これが売れると思ったら手を出し、これが流行ると思ったらそちらに鞍替えし……、普通の人間だったらそのうちに心が折れてしまうか、結局鳴かず飛ばずのまま終わってしまうでしょう。

 ところが、レイ・クロックのスゴいところは、何度失敗しても諦めず、成功を掴むまで果敢に挑戦し続けたところです。そしてその不屈の闘志はとうとう、「マクドナルド」という金の鉱脈を掘り当てるのです。

 彼のこの不屈の闘志は、前述の自己啓発レコードを聴いたり、自分なりのストレス解消法(彼の自伝、『成功はゴミ箱の中に』には、黒板をイメージしてストレスになっているメッセージを黒板消しで消していくという独自の自己催眠法が紹介されています)を実践したりすることで培われたものだと思われます。

 後に、大学生に向けたスピーチの中で彼はこう述べています。「あきらめずに頑張り通せば、夢は必ず叶う!」

◆成功の秘訣(2)時には「見切り発車」で走り出す

 フランチャイズ契約を結んで、ともに事業を拡大させていくよう協力し合うレイ・クロックとマクドナルド兄弟とですが、この両者の関係が映画の中盤から少しずつ歪み始めます。

 規模拡大を優先し、そのために不必要なコストはカットしたいレイ・クロックと、品質を下げるくらいなら現状維持のままでいいマクドナルド兄弟。この考え方の違いが少しずつ表面化していきます。

 レイ・クロックはマクドナルド兄弟と結んだ契約に縛られ、やりたいことができずに苛立ち始めます。そしてとうとう彼は、兄弟には無断で、別会社「マクドナルド・システム」を立ち上げてそちらで自分流の経営に乗り出すともに、「マクドナルド」の「創業者」を名乗り始めるのです。当然ながらマクドナルド兄弟はこれに激怒し、両者の対立は決定的なものになります。ちなみに映画のタイトルである「ファウンダー(創業者)」は、こうした彼の行動を皮肉った意味が込められていることは言うまでもありません。