前回、前々回と続けて、俳句の話題とIoTやAIの可能性/課題について「フレーム問題」という共通のプラットホームで考えています。

 極めてシンプルに考えてみましょう。

 「火災報知機」は火災に関連するリスクを検知するシステムと思います。実際には煙の報知器であったりすることも多く、かつて私は換気扇を回さずにサンマなどを焼いて、「火事です! 火事です!」とアラームを作動させてしまったことがあります。

 あまりに当たり前のことを言うようですが、火災報知機は地震の予知には適さないし、津波にもカミナリにも反応しない。

 津波災害の結果、ダストが噴煙を上げたり、カミナリの2次災害で火災が発生するなどあれば、関連する「ケムリ」に特化してセンサーが作動し、アラームが発信させる可能性はあるでしょう。

 しかし「不測の事態」あるいは「想定外の現象」に対して、こうしたセンサーに万能の働きを期待することはできません。

 これをもう少し具体的に考えてみましょう。

[JBpressの今日の記事(トップページ)へ]

「見守りシステム」と有効なセンシング

 IoTという言葉が使われ始めた当初「職場にいながらにして、自宅でお留守番しているワンちゃん猫ちゃんの様子が分かる、的なトピックスが喧伝された時期がありました。端的に言えば「ペットの見守りシステム」です。

 以下では犬や猫などペットより、もう少しシビアな状況である病人や高齢者の「見守り」について考えてみましょう。

 私事で恐縮ながら、親が他界してすでに丸13年ほど経ちました。21世紀初頭段階で、要介護2の老人をケアしながら20キロほど離れた大学で仕事というのは、それなりに面倒が多かった記憶があります。

 例えば、ベッドからの転落といったリスクがあり、布団に変えたのですが、布団の場合今度は寝起きの負担がありました。

 最期も、日曜出勤で深夜帰宅してみると、自宅で亡くなっていたという生涯の閉じ方となり、要介護老人の見守りという問題には真剣な関心を持っています。

 「見守り」という言葉が端的に示すように、病室を見守る「コンピューター・ビジョン」は1つのリスク対策と思います。21世紀初頭の時点でも、例えば親が危篤となり入院していた病院では、ナースセンターで異常を把握する監視システムがあったように記憶しています。

 さて、尊敬する仲間である広島国際大学の石原茂和先生は高齢者向けの「ジェロンテクノロジー」(テクノロジーによって高齢者が自立した生活ができるようにする研究領域)の世界的なエキスパートで日欧で活躍しておられます。

 石原先生によると欧州、例えばドイツでは、こうした「私生活の監視」に強いアレルギーがあるとのことです。

 病室であってもプライバシーはプライバシー、危険は回避したいけれど、見られたくない個人の姿がすべてナースセンターに覗き見されている、といったことには、社会全体に抵抗感が強い。

 入院中の病室ですらそうですから、まして、独居している高齢両親の私生活が、常に息子や第三者の警備会社に覗き見され続けている、といった形での「高齢者見守り」は、社会的ビジネス的に成立しようがない。

 そういう中でドイツは独自のIoT戦略である「インダストリー4.0」を展開しています。それには日本や東アジアのマーケットとは大きく異なるイノベーション戦略が必須不可欠です。ここは興味深いポイントと思います。

 ちなみに私はかつて、ベルリンの「テーゲル監獄」をEU本部の招聘で訪れ、重罪を犯して長期にわたって収監されている独房などに立ち入って見学したことがありますが、個々の部屋の鍵を囚人自身が持っているのに驚かされました。

 理由は、「プライバシーを守るため」だと言います。

 刑が決定してから最初の5年間は、日本の独房同様に、鍵は看守が持ち、比較的重い監視体制が敷かれているそうですが、最大の理由は収監者の自殺防止だそうです。無用にプライバシーを侵害するというのは、囚人に対しても禁止されているそうです。

 日本の監獄はしばしば国連の人権委員会で問題とされますが、その背景にはこうした根本的な考え方の違いがあります。

日本の刑務所では、基本すべての自由がない

 翻って欧州、例えばドイツでは、極めて限られた数の自由を制限される以外、囚人は内心の自由を筆頭に大半の基本的人権を厳密に守られています。

 ドイツに関しては、ドイツ基本法(憲法に相当)がナチス体制が崩壊した直後に準備検討され1949年に成立しました。直前の強制収容所の事実があったことから、当初から基本方針が一貫継続して極めて厳密な方針が採られています。

 端的なポイントとして、ドイツ基本法には「国を守る」基本的な要件として「憲法忠誠義務」が設けられています。

 基本法が準拠する自由、民主主義を防衛する義務を国民に課し、表現の自由や結社の自由などを自由主義・民主主義に敵対・濫用した場合、これら基本的人権を失うことが明記されています

 日本では閣僚や議員が憲法に記された基本的人権を否定するような発言を平気で繰り返しますが、公職にある者にこうした言動があった場合、議席を失うなどはもとより、基本的人権を剥奪されて長期収監されかねないほど、根本が引き締まった法規となっている。

 一方、日本はあまりに低レベルで目も当てられません。

 私はかつて、亡くなられた刑法の團藤重光先生にご推薦いただいて、高齢の先生に代わって関連の催しに参加し、上記のテーゲル監獄視察後はマックス・プランク犯罪学研究所で予防拘禁に関する集中セミナーを受けました。

 社会全体の公益のため個々の人間の行動を監視することの可否を厳密に問う議論に圧倒された記憶があります。

 日本では犯罪予防のための「監視カメラ」が、とりわけ都市部ではすでに随所に設置されており、これらも念頭に置くIoTが技術的には様々に可能と思います。

 翻って欧州で、「技術的に可能だから」と野放図に何でもデータ化し、「遠隔でデータストレージできるか?」などと問われれば、およそそんなことはないと言わざるを得ません。

 そのような国情のドイツで、インダストリー4.0の焦点に自動運転システムが据えられている。日本国内と全く異なる議論に、多くの時間と技術課題が設置されています。

フレーム問題とIoT

 最もシンプルな例から考えましょう。自動運転では、自動車のすべての航跡が基本的にシステム上、記録が可能です。これは、個々の車の自由な移動の情報を、移動の主体と無関係な第三者が情報ストレージすることに相当します。

 日本でこの種の議論をほとんど見ませんが、欧州では当然、問題にする人が出てきます。すでにネットワーク上での「忘れられる権利」が確立されているEUで、この問題は決して軽視することができません。

 私自身が出席した会議でも、例えばミュンヘン工科大学、ドイツ工学会「Akatech」と日本側の学術セクターで構成する日独統合学会のワークショップで、この話題が「自動運転システム下での、自動車保険ビジネスの抜本的組み換え」に関連して議論されていました。

 センサー・テクノロジをネットワーク接続して情報知としてビジネス活用しましょう、というとき、何でもかんでも、とにかくデータは集めてしまえ、という乱暴な話が通用するのは、ある種の草創期米国、あるいは日本をはじめとする東アジアのように個人情報への社会リアクションが(欧州ほど)鋭敏でない地域であって、ヨーロッパ社会では全く異なる反応が避けられません。

 そこで「何に注目するか? To what?」という、センサーが探知すべき対象の特定が、まず問題にならざるを得ません。さらに「どう探知するか? How?」という観点が続きます。

 これは「2’ どの程度まで? How far?」というセンシングの実際、さらに、技術だけで考えれば「2’’」ですが、社会的には3と項目を分けねばならないポイントとして「3 どれほど安全に? How secure?」自分自身の関わる情報〜個人情報が取り扱われているか、さらには「3’ プライバシーは大丈夫? How private?」といったセンシングそのものの「枠組み」を厳密に判断、決定していかねばなりません。

 これは前回も触れた「フレーム問題」そのものにほなりません。この問題を端的に示すのが「俳句」です。

 松尾芭蕉は 「古池や 蛙飛び込む 水の音

 と詠みますが、これをどの古池を観ながら詠んだか定かではありません。というより、脳内で想像した古池のイメージである可能性が実際には高い。

 記憶をもとに構成された詩想と言うべきですが、ここではあえてIoTセンサ考察の例として、無骨な取り扱いをしてみましょう。

A まず、センサを設置する場所として「古池」を選ばなくてはなりません。「To what?」以前に「Where?」という問いがありました。

B 次に、対象とするのは「水の音」で、マイクロホンを設置するなど、振動のセンシングでなければ意味をなさない。監視カメラでは直接の役には立ちません。これが「To what?」ですね。さらに、

C 「蛙」が飛び込む「水の音」ですから、何デシベルくらいの精度で計る必要があるか、に制約がかかるでしょう。「How far?」ということになります。

 いま 蛙のセキュリティや、個人情報、もとい個蛙情報保護という観点に一切言及せずとも、これら「フレーム設定」の判断を、残念ながらIoT自体にも任せられませんし、最適化してくれるAIが勝手に存在しているわけでもない。

 そのような条件を与えたうえで「最適化を」という問いを計算させることは可能です。映画のHALコンピュータのようにAI様のご託宣が勝手に降ってくるのではなく、人間でなければ決定できない諸条件を、適切に選んでやる必要があるわけです。

 早い話、「芭蕉コンピュータービジョン」カメラで古い溜池などを写して「俳句の自動生成」などしてみても、たぶん1分間に何万と詠みはするでしょうが、およそ駄句ばかりで、着目するに値する作品が生まれるには、歩留まりが低すぎて話にならないことでしょう。

 前回ご紹介した東京大学の入試問題、

 「あなたがいま試験を受けているキャンパスに関して、気づいたことを一つ選び、それについて60-80語の英語で説明しなさい

 が、どのように「フレーム設定」の諸条件、つまり「To what?」「How??」「How far???」などを問う良問になっているか、を味わっていただければと思います。

 ここで「How far?」を規定しているのは、60〜80字の英語で説明せよ、という部分になります。

 これから、与えられた問題を解く、計算機の方が得意な能力ではなく、自ら問いを設定する能力がますます求められる時代になっていく。そこでの人材育成を、正面からきちんと考える問いの典型と言うべきでしょう。

 同様の方針が各社で人事考査に当たって応用可能なのも、言うまでもありません。ご参考に供すればと思います。

(つづく)

筆者:伊東 乾