十年一昔という言葉がある。

 しかし彼を見ていると、ひと昔は10年ではなく1年だな、もはや"一年一昔"だな、と思わざるを得なくなってくる。何しろ、ちょうど1年前の今ごろ、大谷翔平は自分のボールさえも信じることができなかったのだ。

 覚えているだろうか――。

 去年の10月10日、札幌ドームで行なわれたクライマックスシリーズ(CS)のファーストステージ第1戦。リーグ3位のマリーンズを相手に先発のマウンドを託された大谷は、3回途中までに5点を失い、わずか8つのアウトを取っただけで、まさかのノックアウトを喰らった。立ち上がりから変化球でカウントを取ることができず、他に頼るボールがなくなって投げ込んだストレートをことごとく狙い打たれる。あの試合、大谷がマリーンズに打たれた6本のヒットは、すべてストレートを弾き返されたものだった。大谷は試合後、こんなふうに言っていた。

「これで行ける、というイメージを持てませんでした。自分自身、信じ切れずに投げ込むボールがすごく多かった。ホントに申し訳ないマウンドだったと思います」

 そしてその2日後、リーグ2位のファイターズはファーストステージを勝ち抜くことができず、同時に大谷のプロ3年目のシーズンも終わってしまった。バッターの大谷はこの試合、1点ビハインドの8回裏、ワンアウト1、3塁のチャンスに代打で登場する。外野フライでも同点という場面で、大谷はマリーンズの内竜也が投じたワンバウンドの縦スラを2度も空振りして、三振――去年、彼はこの打席をこう振り返っていた。

「今年は低めのああいう変化球の見送りができてなかったんですけど、最終戦でもそこが出てしまいました」

 これが1年前のことだ。

 去年のいま頃の大谷は、ピッチャーとしての実力が際立ち、バッターとしての大谷の存在感が薄くなって、『二刀流は失敗じゃないか』とまで言われていた。そのピッチャーにしても、最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得しながら、ここ一番では勝ち切れないピッチャーだと言われた。高校最後の夏は岩手大会の決勝で敗れて甲子園出場を果たせなかった。去年は優勝したホークスだけに分が悪く、CSではマリーンズに打たれて、日本一の頂からの景色を確かめることはできなかった。大舞台で勝てない......それが1年前の大谷を包む空気だった。

 ところが、である。

 わずか1年で、大谷はそんなトラウマを払拭し、大事な試合でことごとく結果を残してきた。昨秋、プレミア12の韓国戦で2度までも圧巻のピッチングを見せたことを入り口に、今シーズンも優勝の行方を左右する天王山のホークス戦でチームを勝利に導く気迫あふれるピッチングを見せ、リーグ優勝を決めたライオンズ戦では完封劇を演じ、胴上げ投手を務めた。

 バッターとしても覚醒し、ピッチャーとして先発する試合でも打順の中に入ることが珍しくなくなった。オールスターではホームラン競争で優勝し、シーズンを通して22本のホームランを放った。もはや1年前の空気を思い出すのは容易なことではない。この1年で、大谷のバージョンアップは凄まじい速度で繰り返された。

 今年の10月12日、ホークスとのクライマックスシリーズ、ファイナルステージ初戦。大谷は"8番、ピッチャー"としてスタメンにその名を連ねた。そして、ピッチャーとしては最速162キロのストレートと、キレキレのスライダーを駆使して、7回を1安打無失点に抑えた。バッターとしても0−0の5回に、ホークスの先発、武田翔太からセンター前へヒットを放って、先制点へのつなぎ役となった。

 この試合の中だけでも、大谷のバージョンアップはいくつも見て取れる。

 たとえば去年、つるべ打ちを喰らったストレートは今年、1本のヒットさえも許さなかった。大谷はこの日のホークス戦で102球のうち、ストレートを55球投げているのだが、前に飛ばされたのはわずか7球。4回表、先頭で迎えた3番の柳田悠岐に対しては、161キロのストレートで空振り三振に斬って取った。大谷はこの場面についてこう言った。

「あそこは三振取りに行きましたし、真っすぐで三振を取りに行くのが、流れをグッと手繰り寄せられる場面でした。どの球種がいちばん三振を取れるのかなということは考えてますし、あそこは真っすぐがいちばん抑えられるという自信もありました」

 そう言いながら、この日、奪った三振は6個。試合後の大谷は、「ムキになって」という言葉を何度も使った。

「あのとき(優勝を決めたライオンズ戦)はツーストライクまで追い込んだら三振を取りに行ってました。でも今日は追い込んでも"ムキになって"取りにいかないことが、いちばん確率高くゲームを進められるかなと思ったので......ホークスには粘るバッターも多いので、"ムキになって"三振を取りにいかないように、打たせて取る感じでいきました。三振を狙いに行って取れる打席もありますけど、"ムキになって"(ボールが)抜けて打たれるよりは、確実に取りにいくほうがよかったんじゃないかなと思います」

 ムキにならず、適当に力を抜きながら、ここ一番では決めに行く。そのメリハリは今年、体を強く、大きくしたからこそ可能になった。大谷はその意図をこう説明している。

「力がつくと豪快な感じになると思うかもしれませんけど、僕は逆の発想なんです。今までなら、ブレながらでも反動をつけて120%をフルに出して160キロだったのに、力がつけば、コンパクトに投げても160キロが投げられる。精度も高くなるんです」

 めいっぱいアクセルを踏んで出した160キロと、軽くアクセルを踏んでも出る160キロとでは、精度がまったく違ってくる。力感なく、ムキにならなくとも、前に飛ばないストレートを投げられるようになったのは、排気量の違いがもたらしてくれた。今年のその底上げが、大谷のストレートをこれほどまでに変貌させたのだ。

 投げて、打って、走って、勝つことさえも当たり前だという空気――大谷はこの1年で周囲の見る目をガラッと変えた。1年前にはあり得なかったDHを外しての「〇番、ピッチャー、大谷」も、誰もが当たり前のこととして受け入れるようになった。栗山英樹監督が試合前の報道陣の問いかけに対して「今日は投げることに集中してもらう形を考えた」と言えば、「ああ、今日は誰かにDHを託して大谷はピッチャーに専念するんだな」と報道陣の誰もが思い込んでいたのだが、今では「投げることに集中するっていうのは、ピッチャー専念ではなくて打線の中に入るってことなのかな」とイメージするまでになっている。そして大谷は、ピッチャーとして打線の中に入ることについて、こう言ってのけた。

「打席に立つことで、マウンドで打たれる確率が高くなるってことは、僕はないかなと思ってます。今日も全力で一塁まで走ったあともしっかり抑えられたので、全然、それ(DH解除)によって左右されることはないかなと思ってます」

 先入観は可能を不可能にする――高校時代から大谷が口にしている言葉だ。それにしても、先入観を取り払うと、こんなにいろんなことが可能になるなんて......初戦でピッチャーとして大仕事を果たした大谷は、第2戦以降はバッターとしてホークスの前に立ちはだかる。その先には日本シリーズがあり、シーズンが終わればMVPの発表がある。先発として規定投球回数にも、DHとして規定打席にも達しない選手がMVPを獲れば、もちろん日米通じて史上初の快挙となる。

 野球界の常識は、22歳の大谷翔平によって、次から次へと覆されていく――。

石田雄太●文 text by Ishida Yuta