伊勢丹メンズ館

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入館者数350万人、売上高460億円――。伊勢丹メンズ館が1年間で叩き出す数字だ。正確に比較できるデータはないが、1店舗におけるメンズ洋品の売り上げ規模は世界一だといえる。しかも、メンズ館に足を運ぶ男性の数はまだ増え続けているという。その理由の1つとして挙げられるのが、伊勢丹メンズ館が取り組むオウンドメディアを中心としたO2O(Online to Offline)マーケティングの成功である。

■楽しい情報を伝えればもっと楽しんでくれるはず

オウンドメディアとは、「所有する」の意味がある「owned」のメディア、つまり自社のWebサイトやブログ、自社で発行するメールマガジンのことを言う。伊勢丹メンズ館は、パソコンとスマートフォン(スマホ)アプリで閲覧できる公式メディア「ISETAN MEN'S net」を運営している。

伊勢丹メンズ館がISETAN MEN'S netの運営を開始したのは2013年9月のこと。専任のスタッフを置かず、ショップスタッフが兼業する形で運用していた。

「まだ何も結果が出ていない状態で、組織をつくることはできませんでした」

三越伊勢丹 伊勢丹新宿本店紳士・スポーツ営業部計画担当長の近藤詔太氏はこう振り返る。また、ISETAN MEN'S netを運用するためのシステムの操作は複雑で、誰でも簡単に使いこなせるものではなかった。

こうしたことが理由となり、ISETAN MEN'S netが更新される頻度は徐々に少なくなっていき、クオリティも決して高いとは言えないものになっていった。また、スマホ向けに最適化された画面表示ができず、スマホユーザーにうまく情報を発信することもできなかった。その結果、さしたる効果も挙げられず、ISETAN MEN'S netの存在意義が見出せなくなっていた。

「当時、オウンドメディアを持つことがはやり出していたこともあり、お客様との結びつきを強くするためにISETAN MEN'S netを立ち上げたこと自体は間違いではなかった。ただ、ISETAN MEN'S netを立ち上げることが目的になってしまった感はありますね」(近藤氏)

そこで近藤氏らは、ISETAN MEN'S netを立ち上げた理由をもう一度振り返り、ひも解いていった。伊勢丹メンズ館にはファンと呼べる顧客がいる。その顧客にもっと楽しい情報を伝えることができれば、もっと楽しんでもらえるはず。顧客に楽しんでもらうものにすることが最重要なのだと。
伊勢丹メンズ館の価値は、顧客がわざわざ時間をつくって行きたい場所だということ。それは昔からずっと変わっていない。

近藤氏はこう話す。

「ISETAN MEN'S netを、お客様に必要な情報を隙間時間にきちんと届けられる、お客様と寄り添う関係になる存在にしたい。そのためにはスマホに最適化された画面表示ができ、気軽に見てもらえるメディアになる必要がある。しかし、単純にシステムを導入するのではなく、僕たちがお客さまとどううまくコミュニケーションを取れるかということが最も重要なのだと思い至った」

スマホに最適化されたオウンドメディアの運営を自分たちだけで行うことは難しいと考えた近藤氏は、O2Oクラウドサービス「RUNWAY」というソリューションを持つソルフレアにISETAN MEN'S net運営のサポートを依頼した。

■PV数はリニューアル前の10倍にまで増加

RUNWAYは、誰でも直感的に利用できるシステムだった。「メールを送るぐらいの感覚で使える」(近藤氏)という。

これで課題の一つは解消された。残る課題は組織づくりだ。メディアとしてのクオリティと更新頻度、つまり質と量を担保するには専任メンバーが必要だということが、これまでの経験で痛いほどよくわかっていた。そこでISETAN MEN'S net編集部を立ち上げ、5人のメンバーを配置した。

2015年2月にリニューアルしたISETAN MEN'S netをオープンさせた。編集部が毎日、新しいコンテンツをアップさせ、その数は徐々に増えていき、現在、多い月では200本もの新しい情報を提供している。

「弊社の経験でいうと、月に100本ぐらい新しいコンテンツを用意できるとページビュー(PV)数はコンスタントに伸びていく。しかもその伸び方がヘルシーで、検索エンジンで検索されたオーガニックな形での流入が多くなるので、広告投資をしなくても人が集まるようになる」

ソルフレア代表取締役CEOの藤縄智春氏はこう説明する。

ISETAN MEN'S netをリニューアルして約1年経ったが、PV数はリニューアル前の10倍にまで増えているという。それによる効果も現れてきた。例えば、ISETAN MEN'S netの人気コンテンツに、「SNAP」という各ショップの店員のコーディネイトを掲載したものがあるが、「全身、このスナップ写真と同じものを揃えて欲しい」という顧客が現れたり、伊勢丹メンズ館が以前から提供している「パーソナルカラー診断」サービスを受けたいという顧客が急増したりしているのだ。

「パーソナルカラー診断は10年ぐらい前から行っていたが、それほど認知されていなかった。それをISETAN MEN'S netで紹介したところ、1日に10人以上の希望者が現れるようになった。1日に対応できるのは4〜5人のため、今は順番待ちをしていただいているところです」と近藤氏は話し、笑みをみせる。

また、伊勢丹メンズ館はGPS(全地球測位システム)やBeacon(ビーコン)と呼ばれる電波を発信する装置を使ってISETAN MEN'S netのスマホアプリに情報を送る取り組みも始めている。具体的には、顧客が伊勢丹メンズ館の最寄り駅に着いたときや、伊勢丹メンズ館の各フロアに入ったときなどのタイミングで、伊勢丹メンズ館で行っているイベントや、フロアで行っている催し物などをリアルタイムで配信するといったことだ。

「個人情報は取得していないが、Beaconを使うことでお客様がどういう同線で動いているのかがわかる。そういったデータが集まれば今後の店舗戦略にも生かせるはずです」と藤縄氏は説明する。

■売り上げや利益を狙うと必ず失敗する

ISETAN MEN'S netの成功の理由として近藤氏は、「お客様にどうすることで楽しんでいただけるかのみを考えて取り組んでいる。売り上げや利益を上げようとすることが先に来ると必ず失敗する」と話す。

「おそらくディズニーランドへ行く人の多くは、数日前からわくわくした気持ちを抱いている。それと同じことを提供できれば、もっともっとお客様に楽しんでいただけるはずだし、そうでないと百貨店は生き残っていくことができないと思っている。いつでもどこでも情報を入手することができるのは現代ならではのこと。最新のテクノロジーを使い、伊勢丹メンズ館の価値を向上させることができるはずだと考えている」(近藤氏)

スタッフ全員の意識が変わったことも成功の理由の一つに挙げる。伊勢丹メンズ館には1000人近くのスタッフが働いているが、そのスタッフたちに館内でどんなことが行われているのかなどといった情報共有が行き渡っていたわけではない。それがISETAN MEN'S netを見ることによって、ビジュアル化された情報を得ることができるようになり、一体感が高まったのだ。

「ISETAN MEN'S netをリニューアルして1年経ち、スタッフたちからの認知度も上がって必要なツールだと思われるようになった。そのため、編集部のメンバーが店頭へ取材に行くと、とても好意的に迎えてくれる」(近藤氏)

現在では、編集部のスタッフが企画を持ち込まなくても、ショップ側から「こんなネタがあるから、ぜひ取り上げてほしい」といった依頼が入ってくるという。好循環が起きているのだ。

近藤氏は編集部のスタッフに対し、ISETAN MEN'S netの軸をブラさないことを徹底して話している。PVを上げることを目的にしてしまうと、伊勢丹メンズ館にそれほど興味がない人にまで手を広げる必要があるが、それは当初の目的と異なる。

「伊勢丹メンズ館のお客様とのつながりを強めたり、お客様の利便性を向上させたりするのが真の目的。そう考えるとやらなければならないことが見えてくるし、コンテンツの内容もそういうものに集約されていく」(近藤氏)

藤縄氏は近藤氏と違った視線から成功の要因を分析する。

「システムだけではうまくいかない。ISETAN MEN'S netのPV数が伸びているのは、専任チームをつくって、自分たちで日々、コンテンツを更新していることが成功の大きなポイントです。システムとツール、人材、これがすべて組み合わさって初めてO2Oが実現される。一番失敗しやすいのは、専任チームを持たず、1〜2人のスタッフが仕事の片手間に行うケース。伊勢丹さんのように自前でしっかりとしたチームをつくるか、さもなければ100%当社に任せていただいた方が成功する確率はグンと高くなる」(藤縄氏)

今後、取り組んでみたいこととして近藤氏は次のように話す。

「伊勢丹メンズ館が行うEコマース(EC)として、店頭で行われているような体験がEC上でも感じられるような、おもてなしを同期化するようなことができればいい。そのためにまず、ISETAN MEN'S netの情報発信を双方向で行えるチャット機能を追加したり、お客様に商品のレビューをしていただいたりといったような拡充を行っていきたい。その先にはお客様の声をモノづくりに反映するといった商品化の過程まで見据えていきたい」

伊勢丹メンズ館には足を運ぶ人が増えているのは、専任スタッフによるオウンドメディアの運営と優れたシステムという両輪があって初めて実現できているのだ。同店の取り組みに興味を持ったら、まずはISETAN MEN'S netアプリをチェック!である。

(ジャーナリスト 百瀬崇=文 澁谷高晴=撮影 三越伊勢丹=写真提供)