『デート〜恋とはどんなものかしら〜』ノベライズ 扶桑社より3月25日発売

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3月2日に放送された月9「デート〜恋とはどんなものかしら〜」(月曜夜9時〜フジテレビ)、第7話の視聴率が10.4%(関東地区 ビデオリサーチ調べ)とややピンチ? 第1話の14.8%が最高であとは徐々に下がってきております。
恋愛不適合者の男女がよりよい社会生活を送るために契約的な結婚をするという設定が、いくら結婚や恋愛をする人が昔よりも減っているといっても、やや先鋭的だったのでしょうか。

先月、一般社団法人日本家族計画協会がまとめた「男女の生活と意識に関する調査」をもとに若者の性の絶食化を毎日新聞が大々的に報道したら、あとで協会の発表が間違いで、そこまで絶望的な状況ではなかったことがわかるなんてこともあって、せっかく、性体験のない29歳と35歳の男女の恋と結婚への道という内容に追い風と思ったものの、風が止まってしまった感じで惜しかったですね。

7話は、巧(長谷川博己)の母・留美(風吹ジュン)に末期がんの疑いが持ち上がり、巧と依子(杏)は結婚を急ぎます。
が、母が死ぬかもしれないと心穏やかならざる巧に対して、依子は相変わらず妙に事務的に事を進めようとするものだから、進みかけた結婚計画がまたまた暗礁に乗り上げます。
さらに、死んだかと思っていた巧の父・努(平田満)が現れて、巧の心はさらに揺れ動いて……。

世捨て人の父対高等遊民の息子の、どっちもどっちなやりとりは非常に楽しめました。
特に、世捨て人ごっこをしているお父さんの描写が皮肉めいています。
貧乏アパートに、エアコンがあるのにあえての石油ストーブ、ケーキも買えるのにあえての落花生。しかも、ぼろいアパートに若い女性を連れ込んでいるらしい。
そして、道路整理の仕事をしながら、自分のブログで映画や文化の評論をアップしている。巧が忌々しく思うのもわかります。まあ、同族嫌悪なんでしょうけど。
7話の最後は、困ったお父さんと、余命いくばくしかないかものお母さんが、意外な展開を見せます。お母さんの病気に関しては、先が読めましたが、お父さんとお母さんに関しては、参りました。
とはいえ、正直、この父母のありようは、巧が可哀想過ぎる気もしますし、末期がんということをこんなふうに茶化して描いていいのかと戸惑いも覚えなくもありません。

脚本の古沢良太は、恋愛だけでなく、余命ものと親子の確執ものというテッパンな感動モチーフを笑いにしてしまうという、一歩間違えたら不謹慎なところを攻めていて、ものすごく冷徹な人なのかなあとちょっとこわくもなるのですが、それは、依子を描くためのストロークなのです。
依子は「心がない」と言われてしまうほど、ロボットのように事務的に物事に対処する人物。でも、彼女も、お母さん・小夜子(和久井映見)の死を充分悲しんでいるし、他者に感情を出す術を知らないだけなのだと思わせます。
それが、巧と出会って、巧が感情を文学的にぶつけてくるものだから、徐々に自分の感情を言語化できるようになる。

留美が末期がんであることを伏せるのは、母の死の体験から「あなたのためではありませんよ。嘘をついていた方が留美さんご自身が楽だからです。人の気持ちは複雑です……特に病人はナーバスになります。本人にとって一番楽な精神状態を維持してあげるよう努めるべきです」などと言って、「……君に人の気持ちの複雑さを教わるとは思わなかったよ……」と巧を驚かせたかと思うと、父・俊雄(松重豊)には、巧の言葉をまんま引用して、「頭が真っ白になって、やるべきことも出来なくて、ただただ茫然とするばかり。人は大切な人の死に直面にすると得てしてそうなるものよ」と気持ちに寄り添います。
巧は全然変わらないけど、依子は成長しています。
本当に巧は全然変わらないし、母思いの優しい息子というよりマザコンという感じで(母のことになると子供に戻ったかのようになる長谷川博己の喋り方が絶妙)、その妙な正直さこそが、依子の感情表出に役立っているのかもしれない。
文科系の巧と理数系の依子という、違う感覚をもった者同士、補い合えるいい相性ですし。巧が働かず、依子が働くという金銭的なこともお互いの合意の上で問題ないので、もう、さっさと結婚しろ! って感じですね。
恋愛しなくても結婚しようっていう話だから、悩まず結婚してしまえば済むとこを、無理矢理引き延ばしてる感じもしないではなく。そこが従来のスクリューボールコメディのもどかしさの快楽からややずれているんですね。従来のものをひねっていることに意義があるとはいえ、視聴者は、恋愛相談されたから親切にアドバイスしたのに、結局他者の話なんか聞かない人を相手にしているような気持ちになるんじゃないでしょうか。
でも、3月9日放送の8話は、いよいよ結納!? 
(木俣冬)