『キャプテンサンダーボルト』阿部 和重、伊坂 幸太郎/文藝春秋

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それはまったくの寝耳に水!
今、生まれて初めてこの慣用句を使ったような気がするが、こういうときのためにある言葉だろう。阿部和重と伊坂幸太郎が合作で小説を書いたという話を聞いたときの素直な自分の感想である。まさにそのくらいの藪から棒であった。
びっくりしたぜ、『キャプテンサンダーボルト』!

いや、予兆はあった。伊坂幸太郎ファンの方ならきっと買っているはずの『文藝別冊 伊坂幸太郎 デビュー10年新たなる決意』というファンブックがある。2010年11月末の刊行だ。そこに阿部和重がエッセイを寄稿している。詳しくは現物を読んでもらいたいが、要するに「最近伊坂さんと初めて会って意気投合した」という内容である。喩えて言うならば東京の大学に行った兄がひさしぶりに帰省してクラスメイトの話をしているが賢い妹ならば「ははん、お兄ちゃんはその人に気があるね」と感づきそうな調子で、その会合がいかに楽しいものだったかが書かれている。残念ながら賢くも、妹でもないから私は気づかなかったのだけど。

『キャプテンサンダーボルト』の企画はその会合の席で誕生したと言ってもいい。翌年3月に2人の作家は再会し、合作の約束を取り交わす。直後に東日本大震災が発生し、仙台市在住の伊坂は大きな衝撃を受ける。一時は作家を廃業することまで考えたが、「『キャプテンサンダーボルト』だけはやりたかった」と心が残ったという(すでにタイトルまで決まっていた)。作家にとって、そこまで魅力を感じる企画だったのだ。
その後、合作が開始されて完成に至るまでの経緯は文藝春秋特設サイトに掲載されたインタビューに書いてしまったのですべて省略。紙媒体で続々とインタビューが出てくると思うので詳しくはそっちを読んでもらいたい。

というわけで『キャプテンサンダーボルト』の話だ。
一口で言えばこれは、男2人が得体の知れない敵を相手にお宝争奪戦に臨む小説である。
主人公は相葉時之と井之原悠、かつては少年野球のチームメイトであり、他の誰も立ち入れない世界を築いた2人だった。しかし成長するに従って行く道は別れ、高校時代の一夜に起きた出来事によって、決定的に関係が壊れてしまった。以来まったく交わることがなく12年が過ぎ、気づいたときには両人共にしょぼくれた大人になっていたのである。

相葉は後輩の女子が怪しい芸能事務所に騙されかけたのを救おうとして、なぜか自分が巨額の借金を背負うことになっていた。

井之原は、四歳になる息子が原因不明のアレルギーに悩まされているのを治そうとして、莫大な医療費の工面に追われていた。

つまり2人とも緊急に、かつ切実に金が必要だったのだ。事態を動かすのは相葉だ。彼はインチキ健康水を使った詐欺の話を聞きつけ、その首謀者を強請ろうと考えた。そして相手を呼び出すのだが、会合の場所となったホテルで手違いが起きる。その結果、ケチな小悪党どころか、目的のためならば殺人をも辞さないロシア人ギャングを敵に回すことになってしまうのである。さっさと逃げ出せばいいのに、死ぬほど金が欲しいという事情からそれができない。窮地の彼がとった一手は、偶然会ったかつての親友、井之原を巻き込むことだった。

こんな具合に序盤の話は進んでいく。最初の数十ページを読んだだけで判るのは、この小説に半端ではない前への推進力があるということだ。キャラクターの設定自体に前へ前へ進まなければいけない(金が必要だから)条件が含まれており、しかも相葉と井之原の性格が異なるために、2人が相手の欠陥を補い合う形で前に進むことが可能になっている。途中からポンセと呼ばれるカーリーコーテッド・レトリーバーが参加するのだが、この犬のおかげでコンビの突進にはさらに加速がつく。そこに、序章にも登場している桃沢瞳という女性(キーワードは『ガイノイド細胞に注意しろ!』)が加わるとさらにさらに速度が上がって、稲妻の如き勢いで物語は結末へと向けて飛んでいくことになる。エンターテインメントの読み味に「速度」を求める人は、文句なしに「買い」である。

そして「謎」の要素もある。初期の『インディビジュアル・プロジェクション』や代表作『シンセミア』がそうであったように、阿部和重は表層と深部に分け入ったときに見えるものの差異に着目することが多い作家だ。その結果作品の中に現出するのは普段は見えないもう一つの世界、隠蔽された密かな歴史の記述である。そういった陰謀論的世界が、『キャプテンサンダーボルト』の中でも展開されていく。
『シンセミア』に見られた、怪しい切片を散布し、それを回収していくことによって読者を虚構の中へと誘っていく手法は、謎を撒き餌にして牽引するミステリーの作法とほぼ重なる。そして伊坂もまた、その撒き餌の作法で注目された作家なのだ。細分化された全体をパズルのように再構成するという美しい構造を持っていた『重力ピエロ』が伊坂のミステリー作家としての出世作になったが、『キャプテンサンダーボルト』も「はめ絵」の伊坂の魅力が横溢している。主人公が逃げに逃げまくる展開は『ゴールデンスランバー』を思わせるが、そこに「敵の正体は何か」という謎解きの要素が加わるのである。

ばら撒かれる要素はいちいち説明せず羅列だけしておく。「第二次世界大戦末期に蔵王に墜落したという3機のB29」「謎の病原体村上レンサ球菌」「幻に終わった映画版『鳴神戦隊サンダーボルト』」という3つが三題噺の柱となり、あとはそこに細かな要素が付帯し、あるものは補強の役目を、またあるものは読者の気をそらす牽制球の役割を、はたまた他のものはダンジョンにおける隠し扉のような迂回路の機能を、それぞれ果たすことになるのである。些細な固有名詞にもきちんとそこに配置されている意味があり、細部に至るまで無駄のない小説だ。親の小言と茄子の花は千に一つの無駄もない、と言うけど本当だねかあさん!

そんなわけで抜群におもしろく読んだ次第。500ページ超を一気読みです。
しかも1回読み終わった後もまだ楽しみが残っている。この小説がどのようにして書かれたか、という興味がそこにあるからだ。すでに明かされている情報として『キャプテンサンダーボルト』は、「著者2人が、あらかじめ書かれた設計図に基づき1章ずつ交替で書いている」「完成後、相手の文章にまで手を入れる形で修正作業が行われている」の2点が判っている。つまり、小説のどこからどこまでが阿部和重で、どこが伊坂幸太郎かということが容易に判らないほど、両者の文章が混在しているということなのだ。それでも文章から、原型や修正の手つきなどを読み取ることは可能だろう。2人の作家がキャッキャウフフとこれを書いたか、それとも「友情パワー消滅!」などと喧嘩をしながら作業をしたか、などと推理を巡らせることも本書の楽しみの1つなのだ。
さっと読み飛ばすなんてもったいない。読み込もう、ボロボロになるまで!
(杉江松恋)