えなりかずきのはじけっぷりが見所のひとつである「ごめんね青春!」。えなりは既に2001年につんく♂プロデュースでこんなにはじけていました。紅白にも出ているんですね。歌唱力にも安定感あります。
「おいらに惚れちゃ怪我するぜ!」東芝EMI

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「ごめんね青春!」(TBS日曜9時〜)第5話は15分延長でさらなる充実内容でした。

とんこーと三女の合併名・聖駿高校に決定!

そして駅伝に参加!

一平(えなりかずき)とドンマイ先生(坂井真紀)との不倫!

と、トピックスはいっぱい。
みしまるくん、みしまるこちゃんというゆるキャラまで登場しました。

この回、グッときた台詞はコレ。
「おれたち、ゆるくなんかないですから。必死ですから。おれたちにも面子もありますし、必死でやってますから。自分でゆるいなんて思ったこととないですから。ゆるキャラがてめえでてめえのゆるさを自覚しちゃったらおしまいですから」
カリスマスーツアクター中野(中川家剛)の台詞です。かっけー。

ビルケン(トリンドル玲奈)友の会の面々に嫉妬されてズタボロにされた古井(矢本悠馬)が、「見んじゃねーよ」と意地を張り、面子にこだわるところも“男”って感じでした。

ゆるキャラ、ひとりクローズ(古井のこと)の矜持にも似て「ごめんね青春!」もとっても骨のあるドラマだと思うのです。
基本、おもしろなんですけれど、根底には、ひたひたと「許し」への願いを感じます。それが端的にわかる仏教高校とキリスト教高校を舞台にしていますし(とんこーの学ランの紫はお坊さんの袈裟のようです)、なんといっても、主人公の平助(錦戸亮)が過去に起してしまった放火の罪を背負っています。

第5話でも「平助はまた本当のことをいうチャンスを逃しました」(菩薩のナレーション)で、自分がやったと告白したいのに言えないで、もう31歳(独身)。これが言えたらその先に進めるでしょうに、ずっと時間が止まってしまっている平助の苦しさが、錦戸亮の憂いある瞳から伝わってきます。
錦戸さんの情緒が「ごめんね青春!」のほろ苦さを絶妙に体現。平助のあだ名が「濡れ煎餅」なのも言い得て妙であります(関係ないけど、ぬれせんべいとぬ〜べ〜(地獄先生)って響きが似てますね)。

平助だけでなく、あの時、こうしていたら・・・と思っている人が5話ではふたり。シスター吉井(斉藤由貴)と、放火事件が元で失踪している祐子の父・善人(平田満)です。
吉井は、恋に悩む祐子の懺悔を突き放してしまったことを後悔していて、善人も祐子に素っ気なくしてしまったことを後悔しています。

そして、善人(この名前、なんだか意味深ですね、善人ですよ、善人)は、祐子失踪の原因となったサトシ(永山絢斗)が畑の手伝いをしようと毎日やってくるのを最初は拒んでいたものの、やがて許しちゃいます。

そこで、思い出されるのが、4話の、カバさん(生瀬勝久)の言葉です。

「青春っていうのはね一本道じゃないんだ。ふたつに分れたり、脇道も 近道も、行き止まりもある。でもどの道をいってもそれが君の青春なんだ。だから好きなだけ方向転換していい。いろんな道がある。
そのために『ごめんね』がある。車に例えたら『ごめんね』はウインカーだよね。曲がりますっていう合図だよね。出さないと事故に発展するよね」

うーむ、含蓄ありますね。
ただ、カバさんはその後、「言ってることわかる?」「すごいね、カバさん自分で言ってて全然わからない。ハハハ!」と茶化しているのですが。真面目なことへの羞恥心もほどよい感じです。

こんなふうにカバさんは斜に構えながら、ラジオ番組でみんなの「ごめんね」を聞くという現代的な懺悔室をやっています。いや、ラジオだから一昔前か。
昔ながらの懺悔といえば、シスター吉井が学校で行っています。

そして、このドラマの最大の悩める人・平助は、カバさんにも、吉井にも、とにかく誰にも言えない。言いたいけど言えない悩みを、お母さんである菩薩(森下愛子)に聞いてもらっています。
彼女は優しく受け止めるだけでなく、平助が放火の話を忘れないように、釘を差すことも忘れません。
そして、長男・一平が不倫という罪を背負った瞬間、母であり菩薩である彼女は、彼の前にも現れます。
お母さん(菩薩)は、平助や一平の良心なのかもしれないですね。

ちなみに、仏教には三毒と呼ばれる煩悩「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」が存在します。欲望(色や金)を貪ること、怒ること、真理を知らない(無知)ことだそうで。一平は貪で、失恋の憤りから放火した平助は癡でしょう。癡の毒をもった人は誰なのかな。

このドラマ、煩悩にとらわれた人たちがたくさん出てきますが、そんな彼らの話を聞いてくれて、人間の罪を相対化する存在がそこかしこに配置されているのです。なんてありがたいんでしょうか。

さらに気になるのがカバさんの台詞です。
「一方的にしゃべらないで」とすぐ怒るカバさん。彼はリスナーが自分の悩みを一方的にしゃべることをすごく嫌っています。
もしかしてそれは、モノローグがやたら多い近頃のドラマに対する批評なのかもと思ったりもしますが、それはさておき、カバさんは対話を求めているのですね。
誰かと話すことで、新たな価値観が生まれるからでしょう。

実際、とんこーと三女がお試し共学をはじめたことで、事がいろいろ動き出しました。
「聖駿高校」(平助命名)という素敵な名前もできて、吉井も「過去を捨てて古いしきたりから解放されて生まれかわったような気がしますね」と喜んでいます。
「ごめんね」とは、罪を反省することであると同時に、自己完結するのではなくて、目の前の誰かに合図するということなのでしょう。

清廉潔白に生きなくてもいい、バカなことをしてもいいけど、ちゃんと「ごめんね」をしよう。それを受け止めてくれる人が「ごめんね青春!」には描かれています。
中には、受け止めてもくれないグダグダの平太(風間杜夫)もいますが、彼はもう善悪を超えた気楽さを与えてくれるありがたい存在ですし。

「大人になって思い出すのは腑に落ちない思い出ばっかりだ。それが青春」
と平助は言います。「腑に落ちたら忘れちゃう」とも。
「ごめんね」をしながら、バカなことしていったらいい、特に10代は。
なんて、真面目に考えてしまった第5話。
というのも、締めのナレーションが「大人たちのそして子どもたちのそれぞれの思惑をかかえて第3回箱根まで駅伝の幕が切って落とされました」
「果たして聖駿高校駅伝部は名門西高を破り、優勝することができるのでしょうか」なんていうものすごく真っ当なものだったからです。
こういうことで視聴率アップにつながるとしたら腑に落ちませんなあ。そんなこと思ってないだろうけど。
駅伝と不倫はどうなるのでしょうか、第6話!(木俣冬)