角川マガジンズ編集『太陽の塔Walker』(KADOKAWA)
9月に発売された「太陽の塔のロボ」の解説のほか、さまざまなアーティストとのコラボ作品を収録。ヤノベケンジや青木俊直によるマンガも楽しい。

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1970年の日本万国博覧会(大阪万博)のシンボルとして画家の岡本太郎が手がけた、あの「太陽の塔」がバンダイから超合金ロボとなる――! このことは今年5月に情報が解禁されて以来話題となっていたが、ついに9月に商品として発売された。それにあわせて『太陽の塔Walker』という本も出版されている。本書のカバーのそでには「この本には、太陽の塔しか出てきません」とあるのだが、その文句に偽りはない。ページを開けば、太陽の塔ロボの解説やら、クリエイターたちが太陽の塔を語ったり描いたり、さらには万博開催当時から現在にいたるまでの太陽の塔にまつわる作品、グッズの紹介まで、まさに太陽の塔のフルコースだ。

「太陽の塔のロボ」をデザインしたのは、野中剛というバンダイ出身のクリエイターである。1966年生まれの野中いわく、太陽の塔に手足をつけたいという妄想は多くの同世代人が考えることだという。実際、岡本太郎記念館美術館の平野暁臣(1959年生まれ)も、太陽の塔に足がついていないのが不満だったと語っている。それというのも、彼らは太陽の塔に怪獣的、特撮的なものを感じたからだった。1958年生まれのみうらじゅんもまた、太陽の塔を見てまず「ウルトラマンのエレキングだ!」と思ったという。

そんなわけで、太陽の塔のロボも《特撮モノ的な印象を持たせたかったので、着ぐるみにも転化しやすい全体のフォルムを持ちつつ、今時のCGモデルでも見ごたえのあるようなハードディテールの仕上げを目指した》という。実際、写真を見ただけでも、細部にわたるまでメカニックの部分がリアルにつくられているのがわかる。手足が出てくるばかりでなく、首が二つに開き、そこから現れたフレームを自在に動かすことができる。このことで、てっぺんに乗った黄金の顔から全方向に攻撃が可能だ。……いや、実際のロボの黄金の顔から光線が発射されるわけではないようだけれども。しかしそこまでイメージをふくらませ、形にしたというのはやっぱりすごい。

野中によれば、この企画を聞きつけた関西出身のバンダイの社員たちから、熱い応援メッセージをもらったという。それを受けて、彼の地では太陽の塔は「生き神様」なのだとあらためて感じ入り、手は抜けないと身が引き締まったとか。『太陽の塔Walker』にイラストを寄せている大阪出身の美術家チアキコハラも、子供の頃に親に万博記念公園に連れて行ってもらうたびに、太陽の塔が恐ろしいくらい強烈なエネルギーを放ち、見張られている気さえしたと書いている。また、やはり大阪出身の美術家であるヤノベケンジも、太郎の絵は正直そんなに好きではないのだが、太陽の塔だけは別格で、その姿を《地面の中から神様がにょきっと出て来たような存在感》と言い表している。

今回、『太陽の塔Walker』、『フィギュア王』とともにコラボレーションした『電撃ホビーマガジン』では、太陽の塔のロボが大阪に降臨し、通天閣や大阪城と一緒に並んだイメージ写真が掲載された(『太陽の塔Walker』でも一部を紹介)。現実にはありえない光景だが、不思議と違和感はあまりない。大阪のイメージとして三者があげられることが多いからだろうか。

ロボだけでなく、最近になって太陽の塔のキャラ化が著しい。マンガ家のタナカカツキは、太陽の塔を主人公にした絵本『みんなの太陽の塔』をまもなく上梓するほか、奇譚クラブと共同開発したフィギュア「コップのフチ子」の太陽の塔バージョンも来年1月には商品化する予定で、目下製作中という。

太陽の塔は万博の会期中、会場の中心をなす「お祭り広場」にその大屋根(丹下健三の設計)を突き破る形で設置された。建築評論家の森川嘉一郎は著書『趣都の誕生』のなかで、いわゆる「建築」とは、「太陽の塔の形をした大屋根のようなものである」と書いた。わかりやすくいえば、空間を覆うシェルターとしての機能に、宗教なり国家や公共性なりマス・イメージなり何らかの観念をシンボライズする機能を加えたものこそ、かつて「建築」と呼ばれていたというのだ。だが、そういった表象機能はテレビなどの媒体に移したほうがもっと訴求力があるということで、建築から分離される。そこで建築には、シェルターとしての機能だけが残ることになった。森川は大阪万博のお祭り広場と太陽の塔に、建築におけるシェルターと表象機能の分離を見出す。同書の図では、太陽の塔のイラストに、「表象」へ「キャラクター」とルビを振ったキャプションが付されている。やはり、太陽の塔はキャラクターだったらしい。

万博閉幕後、太陽の塔は大屋根とあわせて取り壊される予定だったが、人々の希望もあり永久保存が決まった。大阪万博のパビリオンのうち閉幕後も残ったものとしてはほかに、現在は「EXPO'70パビリオン」という展示施設となっている「鉄鋼館」がある。だが、万博後も音楽ホールとして使われることがあらかじめ決まっていた鉄鋼館は、結局その役割を果たすことなく40年近く放置されてきた。

大阪万博後、バブルの時代あたりまで、地方では文化や観光振興を目的に、音楽ホールや美術館などハコモノの建設が盛んだったが、つくられたあとは無用の長物と化したものもけっして少なくない。鉄鋼館の不遇と太陽の塔のスター化はそのまま、ハコモノの失墜とご当地キャラの隆盛を予見していたといえるのではないか。

太陽の塔をめぐってはこのほか、その胎内に設置された「生命の樹」という、地球の生命の歴史を模型でたどった展示物を常時公開する計画も進められており、今後も目が離せない。
(近藤正高)