アジア大会準々決勝。日本が韓国に敗れる姿を見て、落胆した人はどれほどいただろうか。画面を見る限り、韓国の選手も、スタンドを埋めた観衆もかなり喜んでいる様子だった。

 スコアは0−1。その1失点も、試合終盤のPKによるもの。展開的には最も悔しがりたくなる敗戦だ。また、内容的にも良いところが少なく、満足度という点でも低調な試合だった。

 だが僕は、その割に落胆しなかった。多くの人もそうであったに違いない。

 実況アナは、日本が押し込まれる時間が長くなると、しきりに「言い訳」を口にした。日本がU−21なのに対し韓国はU−23。オーバーエイジも含まれている、と。解説者にその年齢差による影響がどれほど大きいか、確認をとるほどだった。そうした背景を聞かされれば、良くも悪くも冷静な気持ちにさせられる。目の前の試合が、絶対に負けられない戦いには見えなくなる。見どころも違ったものに映る。結果ではなく内容に目を向けたくなる。可能性を感じるのはどちらか。2018年を想像しながら観戦することになった。

 手倉森監督、大丈夫か? アギーレジャパンの将来が心配になったことも確かだ。しかし、それと同じくらい、いやそれ以上に韓国のことが心配になるのだった。言い訳の材料が遙かに多い日本に対して、押してはいるものの雑なプレイを繰り返す韓国。その姿に、むしろ哀れを感じた。PKがなければ0−0。延長PKで敗れていた可能性さえある。

 楽勝しなければならない格下(日本)に、韓国は目一杯苦戦した。これが客観的な事実だとすれば、試合後の韓国選手や観衆の姿はむしろ滑稽に見える。

 しかし「他人の振り見て我が振り直せ」ではないが、これは、日本人が陥りやすい傾向でもある。もし、韓国と日本の立場がすっぽり入れ代わったなら、日本人はどんな反応をするだろうか。オーバーエイジを含むU−23の日本が、U−21の韓国に、終了間際に得たPKで1−0で勝っていたら、実況アナと解説者は、韓国側の「言い訳」を伝えようとしただろうか。

「言い訳」の材料が相手の方に断然多い試合にもかかわらず、勝てば大喜びする癖。これは日本にもある。しょっちゅう見かけることができる。

 ホームで行われる親善試合は、ほぼすべてこれに該当する。結果を鵜呑みにしてはならない試合は全体の7〜8割に及ぶが、試合前、あるいは試合中、実況アナと解説者が、ホームの利、アウェイのハンディについて触れることは滅多にない。両者は対等な関係であるかのように伝える。日本に有利な設定で行われているにもかかわらず、勝利至上主義に走る。その結果、日本は必要以上に強いチームに見える。ザックジャパンの史上最強論は、そうしたメディア報道によって成り立っていた。

 あえて戦力を落として戦う。勝ちにくい条件に設定して臨む。100の力を80に落とし、そのうえで勝利を追求する。この考え方は、親善試合のあり方と言ってもいいほどだ。

 招集したメンバー全員に可能な限り均等にチャンスを与えたか。メンバー交替枠をフルに使ったか。交替のタイミングは遅くなかったか。ベストメンバー、固定メンバーの起用に走りすぎなかったか。新顔をテストしたか。

 代表監督にはこうした目を常に向ける必要がある。今後の可能性を追求する余裕を持ち合わせているのはどちらの監督か、チェックする必要がある。

 アウェイで対戦したら、中立地帯で対戦したら、相手がベストのメンバーで臨んできたらどうなるか。ファン、メディアには、その姿、戦いの図を想像する力が求められる。

 相手が80%ならこちらは70%。相手が70%ならこちらは60%。ホームで行われる親善試合は、こうした設定で行われるべきなのだ。でなければイーブンな関係にはならない。50試合戦えば25勝25敗になるような設定で戦わないと、実際より、強く見えてしまうことになる。