サッカーではドイツ、オランダに大敗し、4位に終わったが、観衆には、さすがブラジル! と言いたくなった。そうした場面に幾度となく遭遇した。

 ブラジルは遠い。外国人が現地まで観戦に行きにくい場所だ。W杯の各会場が、対戦国のファンで埋まることはなかった。決勝トーナメントに進むと、その数はもっと減った。対戦相手と会場が決まってから、ブラジル旅行の準備を整えることは簡単ではないからだ。よって、スタンドの大部分は、地元のブラジル人によって占められることになった。

 彼らが望んでいることは何か。それは目の前の試合が面白くなることだ。弱者と強者の対戦では、弱者の健闘に期待する。試合が2−1の状況にあるなら、2-2の状況を積極的に望んだ。

 その時、リードされている側に声援を送った。そうやって試合を楽しもうとしたのだが、それがスタジアムに均衡をもたらす結果になっていた。

 60対40の関係を、なんとか50対50にしようとするこのブラジル人の観戦態度は、ピッチの戦いをも刺激した。面白い試合の観戦を最大の動機にしている僕にとって、この姿勢はありがたいものに映った。開催国の観衆としてのあるべき姿になる。

 試合の途中で、応援するチームが入れ代わることもあった。日本対ギリシャで言えば、途中までは日本贔屓だった。しかし、ギリシャが退場者を出し10人になると態度は一変。ブラジル人はギリシャ側についた。ギリシャが頑張った方が、試合は面白くなるからだ。

 前回の舞台、南アフリカも同様に、外国人が行きにくい場所だった。スタンドの大半を南アフリカの人たちが占めたわけだが、ブラジル人のような観戦術は備えていなかった。彼らはブブゼラを抑揚なく吹きまくっていた。

 日本も遠い。2002年大会の日本も、外国人が来にくかった場所だ。本場のサッカーファンは、日本にあまり多くやってこなかった。そこで日本人の観衆が、何か一役買ったわけでもなかった。率直に言ってスタンドの盛り上がりはイマイチだった。クラブワールドカップ、古くはトヨタカップのスタンド風景と同じだった。

 受け身。自ら楽しもうとする参加精神に欠けた。

 日本で最後に行われたクラブワールドカップは2012年で、決勝はコリンチャンス対チェルシーだったが、この時のスタンドは珍しく良いムードに包まれた。本国から思いのほか多く駆けつけたコリンチャンスサポーターの応援に、かなりの日本人が釣られるように乗っかったためだ。スタンドはコリンチャンスを応援するムードに包まれた。

 その数は、せいぜい1万人にも満たない数で、全体の6分の1程度に過ぎなかったが、他の日本人が静かなので、スタンド全体は、あたかもそちらに傾いたかのようになった。

 クラブワールドカップは、その時まで欧州勢が5連勝中。この試合も知名度の高い選手は、チェルシー側に集中していた。日本人の7、8割は、チェルシーに親近感を覚えていた。

 それだけに効果があった。コリンチャンスという馴染みの薄い弱者に対する声援にはインパクトがあった。欧州勢絶対優位の状況に、ブレーキを掛ける役割を果たしていた。試合に均衡をもたらす効果も発揮した。

 この時、コリンチャンスを、そのサポーターと一緒になって応援した日本人は、試合を面白がろうとする姿勢はもちろん、場の空気を読む力、平衡感覚に優れた人だと言える。

 とてもサッカー的なものに見える。サッカーの名勝負は、あらゆる娯楽の中でもトップレベルにある。サッカーほど見て面白い競技は、他にないと断言できる。贔屓チームが勝利する姿だけが、楽しいわけではない。当事者としても楽しめるが、第3者としても楽しめる。ブラジルW杯の各会場に詰めかけたブラジル人は、そのサッカーの魅力について熟知していた。