テキスト系妄想メディア「ワラパッパ (WARAPAPPA )」より

こんにちは。ザ・ギース尾関です。先日公募ガイドという雑誌を目にする機会があり、世の中には非常にたくさんの賞金のかかった川柳やエッセイなどの応募があるのだと知りました。なんとかこれで賞金を稼ぎたい・・。賞金を稼いでパチンコで増やしたい・・。そんな一心で一番賞金の大きかったキッコーマンさんの「美味しい記憶」というエッセーにガチで応募して見ることにしました。本気で賞金がほしくて、お金が欲しくて自分の子供の頃の記憶をできるだけ綺麗に書きました。




「美味しいエッセーコンテスト」

尾関高文 36歳

僕がまだ小さかった頃、父は仕事の都合で一年のほとんどをイラクで過ごしていた。 そのせいだろうか幼い頃の父の記憶が僕にはほとんどない。夫がいない中、幼い僕と二人の妹の面倒を一人で見なくてはいけない母はどんなに心細かったことだろう。当時はイラン・イラク戦争真っ只中ということもあり、父の仕事の環境も決して安全とは言えなかった。それでも母はさみしさを微塵も見せず僕たち兄妹を笑顔で育ててくれた。
そんな我が家の楽しみは年に一度、一週間だけの父の帰国だった。大好きな父を囲んでの一年にたった7日の食卓。それはとても幸せな時間だった。限られた時間だからこそ父との時間を噛みしめることができたのだろう。
とても幸せそうに父にごはんを作る母の顔を今でもはっきり思い出す。
しかしその幸せな時間もすぐに終わりはやってくる。父がイラクに戻ってしまう最後の日、父の乗った新幹線を見送り涙を拭う母の姿はいつも幼心に悲しく感じたものだった。

あれは僕が小学校低学年のときだっただろうか。例年の様に父を見送り悲しむ母を見た僕はあることを計画する。
「父が旅立った翌日の朝ごはんを僕が作ってあげよう。」
当時小学校二年生だった幼い僕は、この計画を思いついた時興奮を抑えきれなかった。もちろん料理を作ったことなんか無かった。ただ母の笑顔を見たい一心だった。
父が旅立った翌日の朝、いつもより早く起きご飯とお味噌汁、そして卵焼きを見よう見まねで作る。見栄えは悪いが朝ごはんを作るというミッションを見事にやり遂げた僕は意気揚々と母を起こしに行った。
「僕が作ったんだよ」満足顔の僕に母は突然泣き出してしまった。どうしていいかわからない僕の頭を撫でて母親は一口一口美味しそうにご飯を食べた。
その時だった。

「何これ!しょっぱい!」

味噌汁を口にした母が叫び動きが止まった。
母が持ち上げたワカメをよく見るとつぶつぶの塩がついていた。そう、何も知らない僕は塩がびっしりついたままのワカメを洗うことも切ることもせずに味噌汁にいれていたのだ。そのしょっぱさは大人の人間の意識を一瞬奪うほどの衝撃だった。そのあと母はお腹を抱えて笑っていた。
だいぶしょっぱいお味噌汁に形の崩れた卵焼きだったけれど、あの時皆で笑ながら食べた朝ごはんは一生忘れることができない思い出の味だ。
もちろんもうワカメを洗わないで入れるなんてことはしない。今そんな料理を出したらいくら元気とはいえ、高血圧気味の両親は倒れてしまうだろう。
現在二児の親になった僕は、いつか自分の娘たちが僕に料理を作ってくれる日を心から待っている。娘たちがどんな料理を作ってくれるかわからないけど、ちょっとおかしな料理が出来上がっても僕は笑顔でこう言うだろう。「ありがとう。とっても美味しいよ。」と。



書いた後気づいたのですがもうすでに応募が終了していました。なんとか来年応募してみようと思います。



この記事を書いたのは…

この記事の元ブログ: キッコーマン美味しい記憶エッセーコンテストにガチで応募してみる