「イラストでもあまちゃん」その5(木俣冬)

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朝ドラ「あまちゃん」最終週「おらたち、熱いよね!」はもう毎日が感動回、朝から涙涙なのでございます。
毎週月曜日アップのおさらいレビューですが、ついつい週半ばでアップすることにしました。

伏線が生きていることが「あまちゃん」の面白さのひとつであったわけですが、最終週も伏線が鮮やか過ぎるほどに回収されまくりました。今回はそのへんを中心に振り返ります。

月曜151回は、「あまちゃん」に込められた意外な意味がわかります。番組開始当時、「あまちゃん」は、海女だけでなく「人生の甘えん坊」(甘ちゃん)でもあると説明されていたのですが、もうひとつあったのです。それは、アマチュアリズムの重要性を説くことでした。
海女カフェを見た太巻(古田新太)は「雑なのに愛がある」「上野で劇場つくるときに目指したのがコレだ」と目を見張り、「プロでもない素人でもないアマチュアの成せる技 まさに海女カフェだ」と賛辞を送ります。
つまり、あまちゃん=アマチュアン。
いやあ、なるほどそうかー!と、半年間「あまちゃん」を見ながら打ち続けた膝をまたポンと。なんかもう打ち過ぎて皿が割れそうです。

火曜152回は、大吉(杉本哲太)が安部ちゃん(片桐はいり)と再婚することを決意し、
アキ(能年玲奈)と吉田(荒川良々)がプロポーズ大作戦を決行。北鉄の車両のサイドにプロポーズの言葉を書いて、それを安部ちゃんに目撃させます。
アキが自分の手に絵の具がついていることを安部ちゃんに気付かれないように隠します(あくまで大吉が描いたことにしたいからでしょう)が、これと似たことが51回にもありました。種市(福士蒼汰)がヒロシ(小池徹平)と一緒に看板を作ったときに絵の具を手につけたまま握手したシーンです。誰かのために懸命に行動することの麗しさの現れですね。
そうか、ヒロシの絵の才能はそのとき既に発揮されていたのでした。

プロポーズ列車が北三陸を走り抜けていく画面は多幸感に満ちあふれていましたし、安部ちゃんが列車に描かれた文字を見て感動しているところに、アキがクラッカーを鳴らし、隠れていた北三陸の愉快な仲間たちもクラッカーを鳴らしながら飛び出してくるところも爽快。ライブ空間のクライマックスで、何かが弾け飛ぶときのステージと客席の一体感と同じものを画面の中と視聴者との間に見事に作り上げました。

水曜153回は、いよいよ鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)のリサイタル当日。さんざん彼女の絶対無理音感を煽り、春子を影武者として北三陸にやって来させ、さあ、どうなる? と思わせておいて、鈴鹿の優しく清らかな歌声でとどめを指す!
しかも歌詞が「三途の川のマーメイド」ではなく「三代前からマーメイド」になっているというサプライズには、じぇじぇがいくらあっても足りません。号泣につぐ号泣でした。

この歌詞に到達する前に、「三度の飯より」「三段腹の」「三枝のアイラブクリニック」などと言い合う様は、34回の「ねばられ」「ねじられ」・・・を思い出させました。
そして、鈴鹿が「気持ちをつくる」ために北三陸の海や84年部屋を見つめていたことの意味も判ります。
演技もそうですが、腑に落ちてないと歌えないものなんですよね。53回でアキが「潮騒のメモリー」をお座敷列車で歌ったとき、「好きよ」の感情が実感となって響いていたときと同じく、鈴鹿ひろ美はついに「潮騒のメモリー」の心に触れることができたからこそ、歌もちゃんと歌えたのだと思います。

既に131回で鈴鹿と影武者・春子の関係は一旦決着を見せてはいましたが、鈴鹿自身は自分で歌っていないという事実がまだ解決していないことを悩んでいました。「アイムソーリー」の歌詞のところで、春子の表情が映り、ここで本当に鈴鹿ひろ美と春子の確執が解決した気がします。

そしてヤング春子の生霊もついに成仏するのです。
111回には、「それはまるでアイドルになれなかったかつての少女・天野春子の復讐劇を見ているようでした」なんていうナレーションもありましたし、そんなヤング春子役の有村架純の清らかな涙と相まって、見ているほうも、何か心が洗われるような思いがしました。
この場面は、単に、スターの影武者として夢を諦めざるを得なくなった少女の傷を癒す話であるだけではなく、世の中の志半ばで消えていったたくさんの魂の鎮魂になっています。
演劇や祭りとは鎮魂の役目をするものでもあると言われていますから、まさに、ですね。
この儀式の場所が、津波で一度崩壊した海女カフェだったことも、必然です。

木曜153回は、鈴鹿と太巻、大吉と安部ちゃん、春子と正宗(尾美としのり)の合同結婚式を海女カフェで。それを「バージンロードを歩く6人の中年」と言ってちょっと茶化すところが宮藤官九郎らしい気もします。
ちなみに、本編終了後、いろんな仕事をしている若者を紹介するコーナー「まだまだあまちゃんですが」では結婚衣裳を作る仕事をしている方が登場していました。
152回では、アキのナレーションが復活し、153回では夏になり、これもまた「三代続いた」感を出しています。

かつ枝(木野花)がリサイタルのとき、「あのやろ、さては最初から決めてたな」と鈴鹿に対してつぶやきますが、宮藤官九郎自身が全部「最初から決めてた」感じがしてきます。やるなー。膝を打ち過ぎて割れて血まみれになりながらも、嬉しくて笑ってしまう、そんな気分です。
プロ中のプロですね、クドカン先生。
同じくプロ中のプロ鈴鹿ひろ美ですが、絶対無理音感は「わざとだったりして」と春子はハッとします。俳優志望だったが、当時駆け出しのアイドルだったから、歌うことが断れないので仕方なくわざとヘタにしていたのでは? と想像してギョッとなる春子と太巻。
128回、前髪クネ男(勝地涼)のインパクトに心が惹きつけられた回で、鈴鹿は自分の人生感を語っていました。「正直に生きることをやめたの」「私にとって嘘か本当かなんかどっちでもいい」「そのかわり嘘は上手につかないとバレちゃうからね」・・・思えば、意味深なセリフです。

東北出身の寺山修司が書いたお芝居「毛皮のマリー」の中に、こんなセリフがありまして。
「人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの。芝居の装置は世の中全部。テーマはたとえ、祖国だろうと革命だろうとそんなことは知っちゃあいないの。役者はただ、じぶんの役柄に化けるだけ。これはお化け。化けて化けてとことんまで化けぬいて、お墓の中で一人で拍手喝采をきくんだ」
鈴鹿ひろ美、まさにこんな気持ちなんではないでしょうか。

「なわけないよね やだやだ知りたくない 考えたくない」
鈴鹿の隠された本音について、春子は思います。解決したようで、春子の人生、鈴鹿の欲望で左右されちゃったのかもと思うと、確かにこわいです。
でも、人生、いいことも悪いことも、寄せたり返したりし続けるものなのかもしれません。
残り、2回、いったいどんなことが起こるでしょうか! 泣き過ぎ笑い過ぎ膝を打ち過ぎで、毎日朝からステーキ食べてるみたいな濃厚な一週間です。
(木俣 冬)

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