今年(2013年)は、日本と台湾の友好提携において「豊穣(ほうじょう)の年」になりつつある。鉄道路線、東京スカイツリーと台北101などと続き、台北市内では11日、愛媛県の道後温泉に設置されているものと同様の「坊ちゃんカラクリ時計」の完成を記念して、「夏目漱石のそっくりさん」も登場するパレードが行われる。明治時代の日本人をしのぶという。

 提携の実現が相次いでいるのは、2011年の東日本大震災に際しての台湾が示した大きな善意と支援を日本人が感謝し、台湾という存在を改めて見直したことが背景にあると言ってよいだろう。時間が経過して、さまざまな動きがいよいよ具体化してきた格好だ。

 日台間には外交がなく、尖閣諸島の領有権についてなどの異なる主張もあるが、台湾側は「主張は主張として引っ込めない。ただし、日本との争いがエスカレートすることは望まない。平和的な解決を目指す。領土問題を原因に、日本との関係を悪化させることはしない」との方針を貫いている。

 馬英九総統は、尖閣問題を解決ために「国際司法裁判所の判断を仰ぐことも方法のひとつ」との考えを明らかにした。

 日本としては、領土問題についての台湾側の主張を認めるわけにはいかないが、強硬な姿勢を崩さない中国大陸とは一線を画す台湾に事実上“共鳴”した格好で、尖閣諸島周辺海域における漁業の「取り決め」も結ぶことになった。

 同「取り決め」については日台双方に批判もあり、運用についても問題が出ているが、日台は軍事的衝突に結びつきかねない危険な状態からは脱却できたと考えてよいだろう。

 日台間では2013年、さまざまな提携が実現した。4月には江ノ電(江ノ島電鉄)と台湾の観光鉄道、平渓線が提携。提携に当たっては「互恵的な観光連携を構築」、「観光需要を高める」ことだけでなく、「日本と台湾との友好に役立ちたい」との趣旨も示された。

 5月には東京スカイツリーと台湾の超高層ビル「台北101」が友好関係を締結。共同キャンペーンなどを通じての「日本と台湾の観光友好促進」を始めた。観光による往来が一層盛んになれば、日台の多くの人々の相手に対する親近感が増進することは間違いない。

 さらに、JR四国の松山駅と台湾鉄路の「松山駅」が10月にも姉妹提携を締結する予定だ。台湾の「松山(しょうざん/ソンシャン)」駅の所在地は台北市内。開業は清朝時代の1891年で、日本の「松山駅」の1927年よりも30年近く古い。台湾の「松山駅」は、愛媛・松山駅のいわば兄貴分ということになる。開業当初の駅名は「錫口」だったが、1920年に周辺地域の地名にもとづき「松山駅」と改称された。

 「松山つながり」と言えば、台北市内の松山空港と日本・愛媛の松山空港を結ぶチャーター便が10月10日に就航する。さらに、道後温泉駅正面にある「坊ちゃんカラクリ時計」を模した「松山−道後温泉祈福機械鐘」が台北市内の松山慈祐宮前に設けられ、同月13日には「初演奏」が披露される予定だ。

 台湾側は同「機械鐘(カラクリ時計の意)」の完成を記念し、11日には「坊ちゃん」の登場人物に扮する仮装パレードを実施する。坊ちゃん役は一般から「夏目漱石のそっくりさん」を募集した。同パレードは「明治時代の日本人」を再現するものという。台湾では今でも日本統治時代に郷愁を感じる人が多く、改めて日本への関心が高まりそうだ。

 夏目漱石(1867−1916年)の作品は、魯迅の弟である周作人(1885−1967年)が中国語に翻訳したこともあり、中華圏ではかなり早くから知られている。しかし、漱石の処女作「吾輩は猫である」の連載が俳句雑誌「ホトトギス」で始まった1905年、台湾はすでに日本の統治下だった。

 漱石は「西洋的近代化にともなう心の問題」を追求しつづけた。台湾では発表と同時期に作品を日本語で読んだ知識人も多かったと想像できる。その意味で、漱石作品は台湾人の「近代人としての心のあり方」に直接、影響を及ぼしたと考えてよいだろう。

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◆解説◆

 日台間では「大震災における絶大な支援」、「野球チームの謙虚な姿勢」など、人々の心を明るくする話題が多い。一方で、日本と中国は「教科書問題」、「日本国内における中国人の犯罪や生活保護費の不正受け取り」、「靖国神社参拝問題」、「毒入りギョーザ」、「尖閣諸島問題」など互いに相手に対して強い反発を感じる事態が続いている。

 振り返ってみれば、日本が「中華民国」と断交して「中華人民共和国」と国交を結んだ1972年、台湾では蒋介石率いる国民党の独裁政治が続いていた。自由主義陣営に属すると言っても、実際には白色テロなどの、はなはだしい人権弾圧が続いていた時代だ。

 一方の中国でも文化大革命が終息しておらず、人権弾圧と混乱が続いていた。ただし、日本では泥沼化していたベトナム戦争などに関連した米国への批判などもあり、文化大革命についても「抑圧をはねのけようと目覚めた人民による新たな試み」と好意的に紹介されることが多かった。日本人の間では「明るい新生中国」、「暗くて旧体制が続く台湾」とのイメージが強かった。

 しかし中国ではその後、1970年代と比べれば大幅に改善されたとはいえ、「人権問題」や「言論の統括」といった問題が現在も続いている。一方の台湾は、問題はまだあるとはいえ、「普通選挙による政権交代」も実現しており、名実ともに「日本人として価値観を共有しやすい」状態になった。

 中国は“隣の大国”であり、日本も中国も「引っ越し」はできない以上、「うまい関係」を構築する以外にはない。しかし現状では「それが、なかなかできない」というもどかしさがある。

 そして中国大陸側と台湾は、このところ協調路線が続いているとはいえ、本来は対立し、対抗する関係だ。台湾が日本に対して植民地時代についての批判をことさらにはしなかったり、むしろ当時の日本人の功績を評価する動きが目立つのは、「日本への単純な好感」だけが理由ではなく、外交面で孤立する台湾にとって「自らの印象を良好に保ち、国際的な地位を維持する」ための冷徹な計算が働いていることは当然だ。

 しかし、そのような政治的な手法が成り立つだけの「日本に対する一般民衆の素朴な好感」があることも事実だ。

 一般人を対象にしたアンケートでも日中双方において、相手に対する好感度が極めて低い状態が続いている。一方で公益財団法人交流協会台北事務所が台湾で実施したアンケートでは、「最も好きな国や地域」を日本と回答した人が43%で、第2位だったシンガポール、米国、中国大陸の7%を大きく上回った。

 平和友好条約を結んでいる日中の関係が冷え込み、外交関係のない日台関係が民間ベースではあるが良好という「奇妙なねじれ状態」が続いている。中国で責任ある立場の人物がしばしば口にする「日本の右傾化」だけでは説明できない現象だ。

 仮に日本が「歴史を反省せず」、「改めて周辺地域への侵略的性格をむき出し」にしているのなら、かつて日本の植民地だった経験のある台湾の人々が、そのような日本を許さないことは明らかだ。今のところ台湾で「強烈な反日意識」が広く形成される兆候はない。(編集担当:如月隼人)