ガーナ戦にあった活躍の必然…香川真司、クラブでの巻き返しへ

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 活躍の予兆はあった。

 10日に行われたガーナ代表戦で、香川真司は50分に左サイドから中央に切れ込み、右足で強烈なシュートを叩き込んだ。逆転の足がかりとなる同点弾の他にも、前線に何度となく好パスを供給してチャンスを演出。チームの課題となっていた守備にも、献身的に走り回った。

 日本代表を3−1の勝利に導く活躍を見せた3日前、3−0で快勝したグアテマラ戦の翌日に、練習を終えて引き上げる香川真司をミックスゾーンで呼び止める。香川は歩を緩めながらも、鋭く言葉を発した。

 自身の心境とプロフェッショナルとしての義務感の妥結によって絞り出された言葉からは、取材陣への牽制を容易に感じ取れた。極力、取材対応を避けたいことを窺わせる発言だったが、実のところ過去にも1度、全く同じシチュエーションに遭遇していた。

 6月にブラジルの地で行われたコンフェデレーションズカップ。イタリア代表戦の前日練習後のことだった。

 日本はグループリーグ初戦となった開催国のブラジル代表戦に完敗して、イタリアとの2戦目に敗れれば、早くも敗退が決まる崖っぷちに追いやられていた。時折、豪雨が降り注いだ中で行われた練習を終え、選手達が続々とミックスゾーンに現れた。選手達が過ぎ行く中、香川を見つけて声をかける。目線は遠くの一点を見据え、集中をかき乱すものを遮断するように口を開いた。

 「短めでお願いします」

 他を圧する程に大一番に向けて集中を高める姿は、翌日での活躍を予感させた。果たして、香川は名手ジャンルイジ・ブッフォンを破る左足ボレーをはじめ、3−4で敗れながらも試合のマン・オブ・ザ・マッチに輝く圧巻のパフォーマンスを披露した。

 グアテマラ戦の翌日もイタリア戦前日同様の発言が聞かれたことだけで、活躍を予感したというオカルト的な話ではない。イタリア戦に向けて集中を高めていく中で発せられた言葉も、今回で言えば苛立ちのニュアンスを多少なりとも含んでいた。

 それでも前出の言葉とともに、試合の疲労が「ちょっとだけある」と語りながら立ち止まってくれた香川は、グアテマラ戦で感じたコンディションを問われると迷いなく答えた。

「特に、そんなに苦しさは感じなかった」

 所属するマンチェスター・Uでは、長年指揮を執ったアレックス・ファーガソン監督の退任に伴い、今シーズンからデイヴィッド・モイーズ監督を迎えた。ところが、香川はワールドカップ予選やコンフェデに出場したことにより、チームから休養を命じられて合流が遅れた。新指揮官の下、横一線での競争が繰り広げられる中での自身の不在は、結果的に致命的となった。リーグが開幕してからも出場機会は与えられず、代表合流前に行われたリヴァプール戦では、ベンチ外の憂き目も見ている。

 クラブでの立場が悪化する状態で帰国すると、待ち構えていたのはネガティブな報道だった。9日間に及んだ合宿では、試合をこなしていないことを不安視される向きが多く、報道陣に試合勘を問われた際には、珍しく不快感を露わにしたという。一方で、周囲の声を遮ってプレー自体を見ると、質の低下は感じさせるものではなかった。

 グアテマラ戦でも、トップ下でスタートした序盤は窮屈さを感じさせたが、「今は左サイドでやることが多い分、スムーズに入っている感じはする」と語った通り、ポジションを移した後半からは本田圭佑や柿谷曜一朗との連携で多くの好機を作り、69分には右サイド深くから折り返し、工藤壮人の得点をアシストしている。苦しさを感じなかったと間髪入れずに発した言葉には、連日の報道で意固地になっていた部分もあるかと思うが、実際には言葉通りのプレーを見せていた。

 セレッソ大阪からドルトムントに移籍してすぐさまセンセーショナルなパフォーマンスを披露し、代表でもイタリア戦に代表されるように、世界トップクラスを相手に回してもプレーで圧倒してきた。マイケル・エッシェンやケヴィン・プリンス・ボアテングを欠いたガーナは来日メンバー17選手の平均年齢が23.1歳の若いチームである。キャリアや実績で相手を上回り、コンディションも周囲が思うよりも悪くはない。

 だからこそ、ガーナ戦での活躍は必然というべきものだった。悲観的な見方にさらされ続けながらも、最後は自身のプレーにより、雑音はすべて封じ込めた。

「スペースが空いていたので、中に行った時、ディフェンスがいなくて、もう1つ持ち込んでシュートというイメージができていたから、それがよかったのかなと思う」

 同点ゴールを振り返る言葉からも、頭と体がしっかりとリンクしていたことを窺わせる。

「気持ち的にゴールというのは常に自信をもたらしてくれるし、クラブと代表と場所は違うけど、いい形で帰れると思っているので、これをクラブで継続してチャンスが来た時に結果を残せるように頑張りたい」


 合宿初日に「帰ってから弾みがつくように、この2試合はいい形で終われれば」と語っていたことは、ほぼ達成した。それでも、所属クラブでの立場は不安定なままである。マンチェスター・Uで出場機会を得られるかは今後も不透明だと思われている。

 確かに、シーズンの入りで出遅れたことは否定できない。モイーズ監督が昨シーズンまで指揮したエヴァートンから、愛弟子であるベルギー代表MFマルアン・フェライニが移籍してきたことも不安を増大させる要素となっている。監督の戦術自体も前線にロングボールを送り込むような速い展開を好み、縦へ突破力のある選手が起用される傾向は強い。ステレオタイプのイングランドサッカーとも言えるスタイルには、狭いスペースでも高いテクニックを駆使する香川には、そもそも合わないという見方も根強い。

 一方で、確信を持って言えることもある。現状のように一時的には出場機会は減少し、代表のエースがプレーできない期間が続くほど周囲は気を揉むだろうが、チャンスは必ずやって来る。

 マンチェスター・Uは、イングランド国内でプレミアリーグやFAカップ、キャピタル・ワン・カップを戦う他に、ヨーロッパ各地でチャンピオンズリーグの試合もこなす。ウインターブレイクを挟まないことから、過密日程を消化するに必然的に選手の起用をローテーションで回すことになる。でなければ、チームは立ち行かない。

 ただ、チャンスが巡ってくる確証は、そんな物理的な要素からは生まれてこない。純粋に香川のクオリティに起因する。

 昨シーズン、ファーガソン監督がドルトムントから香川を連れてきた理由は、ヨーロッパで勝つためであった。イングランド的なキックアンドラッシュに見切りをつけた名将は、バルセロナをはじめとする大陸側のチームへの対抗手段として、ドイツで旋風を巻き起こした香川を選択した。

 結果的に昨シーズンでファーガソン監督が指揮を執ることは最後となり、ヨーロッパでの栄冠にも届かなかった。ただ、サッカー史に名前を残す程の監督の前にも立ちふさがった壁である。ビッグクラブを初めて指揮するモイーズ監督がぶつからないという方が、どう考えても不自然である。いずれ直面するであろう難局で、モイーズ監督は香川の存在に活路を見出す可能性は少なくない。

 もちろん、それはプレミアリーグでも変わらない。香川本人は昨シーズンを振り返ったときに、「自分のシーズンではなかったというか。思っていた以上に結果が出なかったので、そこは悔しい」と更なる高みを目指していたが、エリック・カントナですらマンチェスター・Uでは未達成のハットトリックを加入1年目で成し遂げている。プレミアリーグのレベルにも、しっかりと順応していたことに間違いないはずだ。

「今は試合に出ていないかもしれないけれど、チャンピオンズリーグが始まったり、チームもこの間は負けているから、チャンスというのは絶対に出てくると思っている」

 香川自身も語るように、己の力を発揮する舞台は遅かれ早かれやってくる。今は来たるべき出番に備えて、牙を研ぐ時間なのだろう。

「サッカー選手として試合に出られないことはキツイと思いますけど。今に始まったことではないですからね、そういう競争は。もちろんプレミアでやっていれば、チーム自体もお金もあるし色んな選手を取ってこられる中で競争意識は宿命づけられること。本人達が一番わかっていることだと思う」

 サウサンプトンに所属する吉田麻也も、香川同様に開幕からプレミアリーグで出番がない。日本代表でチームメートである内田篤人は、イングランドでもがく2人について思いを巡らせて、「頑張ってやってくださいとしか言えない」と続けながらも、最後に一言付け加えた。

「大丈夫です、あいつらなら」

 日本代表で主将を務める長谷部誠も、内田と同様に香川の浮上を確証しているようだ。

「始まって3試合ぐらいですか、これからでしょう。もちろん、何か聞かれたらアドバイスしますし、これを切り開いていくのは彼自身。そこは、彼が自分で乗り越えるでしょう」

 そして、香川をマンチェスター・Uに連れてきた張本人であるファーガソン監督も同意見である。昨シーズンに監督最後の指揮を終えると、一対一で対面する場を設けて「本当に来てくれてありがとう」と加入への感謝を語るとともに、力強い言葉を送っている。

「君は来シーズン絶対よくなる、確信している」

 内田はけがの影響もあり、自身も2012年はじめに所属するシャルケで出場機会を失ったことがある。長谷部も5年半に渡って所属したヴォルフスブルクでは、毎シーズン厳しいポジション争いにさらされたが、その都度、最後には定位置を勝ち取ってきた。日本代表では仲間として、ドルトムント時代には敵としてプレーしてきた2人は、香川と同様の苦難を味わい乗り越えてきた経験を持つ。

 ファーガソン監督は言うまでもなく、サッカー界に名を残す名伯楽である。デイヴィッド・ベッカムやクリスティアーノ・ロナウド、今なお現役を続けるライアン・ギグスら、多くの才能を開花させてきた。

 同じ舞台に立つ選手達の言葉や偉大な指揮官のメッセージは、苦しむ香川の背中を押してくれる何よりもの力になるのではないか。

 振り返れば、日本は香川が生み出してきた恩恵を数多く受けてきた。ドルトムントで旋風を巻き起こして日本人のドイツ移籍の潮流を作り出し、ブンデスリーガ連覇やプレミアリーグでハットトリックという活躍を目の当たりにして、歓喜に酔いしれてきた。ところが、今回はクラブで苦境に陥るという、前例のなかったような代表合流だった。

 香川はグアテマラ戦後、日本代表とマンチェスター・Uでの違いを問われ、「代表の方がより求められるものはあるので、すごく責任感じるし、楽しさももちろんある。(求められるものは)やっぱりゴールに繋がるプレーだったり、結果を残さなきゃいけない」と答えた。

 今回ばかりは、求められていることが、重荷になっていた可能性もある。ただ、結果を残すことで、自ら苦境を脱する足がかりを作り出した。

 だからこそ、願ってしまう。クラブでの活躍を日本に恩恵としてもたらしてきた今までとは異なり、代表での活躍がクラブでの弾みにしっかりと繋がることを。

 幸いプレミアリーグのメディア規制の厳しさはサッカー界でも随一である。香川は昨シーズン後、「ファンの方に自分の声を通してなかなかメッセージを伝える機会がなかったのは確か」と残念がる一方で、「サッカーの結果を残すための環境という意味では素晴らしいところ」というメリットも語った。

 日本代表戦で結果を残したとは言え、イングランドに戻ってからは体調不良を訴えたことも伝えられ、クラブでの立場が劇的に向上したわけではない。

 しかし、苦境も底を打った感はある。

 香川には、世界トップクラブにいる程の実力がある。成し遂げてきた実績や日本代表の同僚やかつての指揮官からの力強い言葉がある。周囲に惑わせられない環境もある。

 予兆などといった感覚値ではなく、チャンスは必ずやって来る。そして、やるべきことに迷いはない。

「ゴールは常に求めていますし、それは毎試合チャレンジすることに変わりはない。クラブでも代表でも。それは自分にとっては常に変わらないこと」

 昨シーズンは負傷で約2カ月間、試合を離れた。今シーズンはまだ、3試合目。巻き返すには十分である。

文●小谷紘友