【インタビュー】カンヌが求めた新しき才能グザヴィエ・ドラン監督 | 最注目の映画『わたしはロランス』について語る

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弱冠24歳にして、いままで制作した3作品すべてがカンヌ国際映画祭に出品され、Gus Van Sant (ガス・ヴァン・サント) を虜にした才能の持ち主、 Xavier Dolan (グザヴィエ・ドラン) と実力派俳優たちによる、心揺さぶる衝撃の最新作『わたしはロランス』が9月7日より公開される。圧倒的なビジュアルセンスとストーリーテリングで注目を集める監督、Xavier Dolan。そんなカンヌが求めていた新しき才能 Xavier Dolan に、『わたしはロランス』をつくるキッカケから、衣装・音楽のこだわり、1980年代という時代性についてまで話を聞いた。

 

 





 

- この作品を作ったキッカケは?

『マイ・マザー/青春の傷口』の撮影スタッフの過去の恋愛体験に基づいているんだ。僕は想像した。もし、友だち、親、あるいは伴侶から突然、面と向かって、晴天の霹靂をカミングアウトされ、これまで一緒に過ごした時間の全てをご破算にしないにしても、はてなマークをつけられることになったらどんな気分になるだろう、と。その話を聞いた晩、自宅に戻ってすぐに30ページを書きなぐった。その時にはもうタイトルも、ラストもわかっていたんだ。

 

 

- なぜ、監督、脚本だけでなく、衣装のコンセプト、編集も担当されているのでしょうか?

映画は第七芸術、つまり他の6つの芸術の総合芸術…。ファッションは軽視され、このグループの大いなる不在者だけどね。要するに、僕は各パートに関心を持つべきだと思っている。それでようやく全てが理解できる。とにかく、僕は最も金のかかる芸術を選んだ。だから構想自体は1人で考えても、制作は集団作業というのは当然だ。衣装と編集はそれぞれ性質の異なるパートだけど、どちらも自分で担当したいと思う、両方とも熱中するほど興味があるからだ。

 

 

 





 

 

- 音楽についてのこだわりを教えてください。

僕の考えでは、音楽は、自分のパーソナルな音楽の趣味をシェアしたがるアーティストの気まぐれであってはならない。ストーリーに10年以上の時の経過がある場合には時代や場所を示す目印として歌が必要な時もある。でも、そういった役割だけでなく、歌は僕が創造した登場人物の人生に寄り添う存在なんだ。登場人物たちに自分が何者かを思い出させ、彼らが愛した人々を喚起させる。音楽は、忘れられた人々を忘却から呼び戻し、悲しみを和らげ、罪のない嘘、打ち捨てられた野望の数々を思い起こさせるんだ。音楽には、僕ら個人の感情に働きかける力がある。監督や俳優、カメラマンもそのインパクトを自由に操ることのできない唯一の要素なんだ。音楽はシナリオの段階から、映画館まで常についてまわる。映画館ではそれぞれの観客が音楽にまつわる個人的な想い出を、映画のために無意識に活用する。音楽は映画の魂と言われる。その理由は明らかだ。音楽は観客との究極の対話なのだから。

 





 

- 今回の作品は、何に影響を受けていますか?

準備のために、絵画や写真の雑誌、アートブック、写真集を何十冊も買った。衣装のリサーチのためには、『Amazon』や『Ebay』で、関連資料を注文し、ファッション誌を取り寄せた。影響を受けた写真家の名前をあげるとしたらまずはナン・ゴールディン、あと名前は思い出せない人たちが山ほど。構図に関してはマティス、タマラ・ド・レンピッカ、シャガール、ピカソ、モネ、ボッシュ、スーラ、モンドリアン、本作の色彩コード、ブラウン時代・黄金時代・モーヴ時代といったストーリーの時代ごとの色の統一性に関してはクリムト。映画の分野では、『欲望という名の電車』のマーロン・ブランドに一瞬だけど非常に厳密な形でオマージュを捧げている。いずれにしても…、執筆中に僕が読むもの目にするもの聞くもの全てから触発されるのはよくあること。たとえ自分の趣味や好みじゃなくてもね。まず何かに感動する。その何かに影響を受けて、僕らは僕らなりの表現をめざす。想像力による伝言ゲームだね。いずれにしても、映画においては全てはすでになされている。シネアストとしてはいくつか野望はあるけれども、自分がスタイルや学説を発明したなんて言う思い上がりで時間を無駄にするつもりは一切ないよ。

 



 



 

 

- この映画の時代設定を80年代後半〜90年代にしたのは何故ですか?

この作品を僕の子供時代の80年代後半〜90年代に設定するのはごく自然なことだよ。当時、ゲイ・コミュニティーに対する偏見も薄れ始め、エイズにまつわる排他的先入観もようやくおさまり始めていた。鉄のシャッターがあがったんだ。衝撃を経て社会は自由を纏い、何もかもが許される時代となった。ロランス・アリアがこの再生の高揚感に乗じてサバイバルを思いついたのは理にかなったことだけれど、当時、トランス・セクシュアリティはおそらく、最後のタブーだったように思う。だからロランスは、崩れる寸前でなかなか崩れない壁にぶつかってしまう。今でもまだトランスセクシュアルの教師は、子供たちが反体制側によろめくのを恐れる両親らの不安と憤懣をかきたてるだろう。僕から見れば、トランスセクシュアリティは、“差異”を表す究極の表現であり、1990年代とは、12年の時の流れのなかで、社会は本当の意味でどれほど変わったのかを考察するために僕に与えられた最後の絶好の機会を提示していたんだ。この作品は、この論議を提案しつつ、まだその表層をかすめているにすぎないよ。

 

 



 

 



<映画情報>
わたしはロランス (原題: Laurence Anyways)
2012年 カンヌ国際映画祭 ある視点部門正式出品作品 最優秀女優賞 受賞
2012年 トロント国際映画祭 最優秀カナダ映画賞 受賞
監督: グザヴィエ・ドラン
出演: メルヴィル・プポー、スザンヌ・クレマン、ナタリー・バイ
2012年/カナダ=フランス/168分/スタンダード/5.1ch
配給: アップリンク
2013年秋、新宿シネマカリテ他 全国順次公開
URL: http://www.uplink.co.jp/laurence