「自分の童心を呼び起こして『ウルトラQ』の一部になること」- 中井監督と田口監督の挑戦と『ネオ・ウルトラQ』への想い (1) 両監督の「特撮」との出会い

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特撮TVドラマ史上に金字塔を打ち立てた1966年『ウルトラQ』のセカンドシーズンとして、円谷プロダクション×WOWOWの共同製作により今年1月〜3月に放送された『ネオ・ウルトラQ』。本作のBlu-ray&DVDが6月21日に発売された。

『ウルトラQ』は、今年創立50周年を迎えた円谷プロが1966年に世に送り出した初制作作品であり、21世紀の今日に続く特撮TVドラマの草分け的存在となった。時代の先端をゆく洗練された世界観、特撮の神様・円谷英二が監修した画期的な特撮映像、ブラウン管を通して毎週のようにお茶の間にやってくる魅力的な怪獣たちは、たちまち日本中の子どもたちを虜にしていった。また、後の『ウルトラマン』シリーズの礎となった作品であると同時に、さまざまな怪奇現象を通して、環境破壊や人間性の喪失など、現実社会の闇に鋭く切り込んだ作品でもあった。その圧倒的な存在感は今なお輝きを放ち続け、最新の映像デジタル技術によってカラーライズされたことも記憶に新しい。

その『ウルトラQ』の”セカンドシーズン”が、最新作『ネオ・ウルトラQ』である。50年の時を越えて受け継がれた遺伝子が、まるで日常の中でふと迷い込んだかのような”少し不思議な”センスを現し、あえてCGのみにこだわらない最新の映像技術によって支えられた、新しい怪獣たちの物語として花開いた。筆者が個人的にうれしかったことのひとつとしては、宮内國郎作曲によるテーマ曲が、今回の『ネオ・ウルトラQ』でも使われていたことだった。

その物語を制作したのは、日本の映画界を牽引する4人の監督――石井岳龍、中井庸友、入江悠、田口清隆である。今回はその中から中井庸友、田口清隆の両監督に『ネオ・ウルトラQ』に込めた想いを伺い、その魅力の秘密に迫った。

――まずはじめに、お二人と特撮の出会いについてお聞かせいただければと思います。

田口監督:僕は1980年生まれですが、小学生の頃、『ウルトラマン』シリーズの他の作品よりもまず先に『ウルトラQ』『ウルトラマン』の再放送を観て、どっぷりハマりました。原体験が『ウルトラQ』でしたね。そして、84年に『ゴジラ』、小学校高学年ぐらいに『ゴジラvsビオランテ』があった。そこから先は、毎年のように(特撮)映画が公開され、途中で『ガメラ』も復活して、平成『ウルトラマン』シリーズに入っていく――という中学、高校時代でした。好きな人間にとっては一番幸せな青春時代を送ったと思います。ガチガチの特撮ファンだったので、完全に人生を決定づけられましたね。”怪獣映画の監督になるんだ”という想いで上京し、そこから十数年目にしてついに『ウルトラQ』の監督をやらせてもらえると。なんか一直線でここまで来たっていう感じですね(笑)

中井監督:僕は40代なのですが、小学生時代から特撮は全盛期、ヒーローものもいっぱいありました。もう通過せざるを得ないですよね(笑)。コマ撮りだったり、まずは技術的なところから入っていき、外国の作品だと『シンドバッド虎の目大冒険』、日本だと円谷さんのやっていた怪獣もの。『恐竜大戦争アイゼンボーグ』には、ストップモーションと怪獣が出てきてすごくハマりましたね。技術的なところで憧れるんですよ。作り物だとわかっていても、それが動いて爆発する、自分で作った模型を爆竹で壊す――それらを知り合いのカメラ店のおじちゃんに借りて8ミリフィルムで撮ったり。なんでもない粘土で作った人形をコマ撮りで動かすだけで感動があった時代です。自分たちで何かできないかなという想いはずっとあって……そこから映像の世界に入ることになります。

――そこから、どのようないきさつで『ネオ・ウルトラQ』の監督に繋がっていったのでしょう?