「UT」、UNDERCOVERとの「UU」プロジェクトほか、話題のデジタルプロジェクトの仕掛人、ユニクロ松沼礼氏インタビュー (第1回/全4回)

写真拡大 (全3枚)

取材・文・写真: 編集部

日本国内のみならず海外でも積極的に展開し、日本のアパレルとして初のグローバル・カンパニーを目指すUNIQLO (ユニクロ)。今年9月には、BIC CAMERA (ビックカメラ) と共同で同社がグローバル繁盛店と位置づける新業態「BICQLO (ビックロ) 」を新宿にオープンし、より一層注目を集めている。

そして今年で10周年を迎えるTシャツ・ブランド「UT (ユーティー) 」。同ブランドは2002年にUNIQLOのTシャツ・プロジェクトとして始動し、国内外のアーティストや企業とコラボレーションをした独自性の高いデザインで高い評価を得ている。このUT事業に2004年から携わり、現在同プロジェクトのチームリーダーを務める松沼礼氏に話しをうかがった。彼は話題性のあるデジタルマーケティングの企画や、UNDERCOVER (アンダーカバー) との「UU (ユー ユー) 」プロジェクトの仕掛け人でもある。


©THE FASHION POST

- まずは松沼さんのバックグラウンドについて教えてください。

高校生のときに、姉の彼氏がPied Piper (パイド・パイパー) という洋服屋さんをやっていました。当時メンズ・ファッション誌の『MEN'S NON-NO (メンズノンノ)』で大きく取り上げられるような人気店でした。渋谷の並木橋にある本当に1坪くらいの小さなお店だったのですが、知り合いということもあって、そこで働くことになったんです。それまでは、郵便局のような、いわゆる高校生がやるようなアルバイトしかやっていなかったのですが、もっと新しいコトを経験したいというのもありましたし、姉の後押しもありました。高校の終わりぐらいからそこで働きはじめて、大学4年間はずっと学校に通いながら、そこでアルバイトをしていました。結局、6年くらい働きました。Pied Piperの他にも、A NEW SHOP (ア・ニュー・ショップ) という姉妹店がありまして、そこを行ったりきたりしながら販売員として働いていましたね。カリスマ・ショップ的な位置づけで、モデル、スタイリスト、タレントの方なども来られたりしていたんです。当時のアートシーンやストリートカルチャーなどを発信しているようなお店でした。

スタイリストやファッション業界の方々の出入りがすごく多くて、当時の自分からすると背伸びをした人たちと一緒に遊べるというのが、すごくたのしかったですね。人生の遊び方を全部教えてもらったような場所でした。大学3年生ぐらいからまわりのみんなが就職活動をはじめだして、徐々に内定とかも出はじめて、「どこ決まった?」みたいな感じでみんなわいわいしているところで、僕は「いまのところがたのしいからそのままでいいかな。」と思っていました。なので卒業後もそこでずっと働きながら、若手の販売員3人で企画をして週一で「ヤング・バー」というバーをはじめたりしていました。毎週末100人近く来るようなバーで、友達とお酒を飲みながら服を売ったり、イベントを企画したりしていました。企画をするということのおもしろさを覚えはじめていったのはそのころからだったと思います。

2/2ページ: UNIQLOに入るキッカケ

それからファッションだけではなくてアートや音楽とか、デザイン関係のものとかに興味を抱くようになって、そういったことができるようなフィールドに行きたいという思いが出てきました。
以前から親しかった人がオーナーをしている小さなバーが代官山にありまして、一緒にオープニングを手伝って欲しいと頼まれて、次にそこで働くことになったんです。その年のフジロックで、本当においしいカレーを食べて、そのカレーを東京で売ったらものすごく売れると思い、カレー屋とアートギャラリーの融合をしようということで、韓国人の友達と二人でカレー屋を立ち上げました。Pied PiperやA NEW SHOPは辞めて、「ちょっとそっちの方で僕は生きていきます」と、まだまだ24歳の若気のいたりで言った記憶があります。


©THE FASHION POST


- UNIQLOに入るキッカケについて教えてください。

そのカレー屋は、すごくたのしかったのですが、お客様がぜんぜん来ませんでした。結局、2ヶ月ぐらいで店をたたむことになってしまいました。それから働いていたバーのつながりで、デザイン制作会社のアルバイトをするようになりました。ただ、ずっと時給生活というのも続けられないと思っていました。たまたま友達からUNIQLOがグラフィックやファッションがわかる人材を募集しているらしいと聞いて、UNIQLOの門を叩くことになります。
グラフィック・デザイナーとして入社したのですが、グラフィックは学校では学ばず、独学でした。友達がイベントをやるときにフライヤーを制作したりしてたくらいです。その頃は、勝手にCDジャケットを作って、それをタワー・レコードのCD売り場にさっと置いたりして。自分の作ったCDジャケットを“ジャケ買い”してくれるかどうかを観察していました。“万引き”ならぬ“万置き”と仲間うちで言ったりして。とにかく作ることが好きだったので、デザイン制作のプロジェクトに参加するような活動を個人的にやっていたところ、当時UNIQLOのデザイン室長であった方がたまたま自分の作品を見て、ほかの人との毛色の違いをおもしろいと思ってくださったみたいで、運よく入社できました。当時は文化服装学院やバンタンなどといった、いわゆるファッション系やデザイン系の学校を卒業している人しか採用していなかったとあとから知りました。

 (第2回/全4回)「UT」、UNDERCOVERとの「UU」プロジェクトほか、話題のデジタルプロジェクトの仕掛人、ユニクロ松沼礼氏インタビュー

松沼礼 (まつぬま れい)
2002年 法政大学 法学部法律学科卒業
2003年 グラフィックを独自に学び、イベントフライヤーデザインなどを手がける
2004年 ユニクロにグラフィックデザイナーとして入社
2007年 UT STORE HARAJUKU.の立ち上げプロジェクトに参画
2007年 ユニクロUTデザインチームリーダー
2008年 ユニクロUT事業チームリーダー
2010年 ユニクロデジタルマーケティングチーム リーダーを兼任
2011年〜 多数のデジタルプロジェクト / UTコンテンツを企画、発表

『UNIQLO』 HP
URL: http://www.uniqlo.com