彼は高校時代と違って、大学に入ってすぐにU−18に入ったので、香川真司(ドルトムント/ドイツ)と同部屋になったんですね。代表スタッフも、その年代の出世頭が香川ですから、早く馴染ませようと思って同部屋にしてくれたんです。
 
 だけどあまりにも香川がうますぎて、「自分はこんなヘタクソで代表に選ばれていいのか」と落ち込んで帰って来たんですよ。まあ今も香川と仲はいいんですけど、自分との違いがありすぎると。だから彼が大学2年ぐらいの時に、スランプというか自信を一時的に無くしたことがあって。彼はそういう時も経験して来ているので、本当にまっすぐには伸びてはいかないですね。
 
 彼が落ち込んだ時に言ったのは、「右肩上がりに一直線で成長する人なんて、世の中どこにもいないよ」と。「次にうまくなるために必ず誰もが経験することなんだ。お前の良さはなんだ?」と。そして、スペトレを本格的にやったのは2年生の夏なんですね。彼は努力をコツコツ重ねてきたタイプじゃないので。
 
 今まで福岡大学からJに行ったやつは「努力型・コツコツ型」で、3年くらいで実を結んで4年で花を咲かすっていうパターンでした。これを「遅咲きの法則」って言っているんですけど(笑)。謙佑は「ただ者ではない」と、周囲はすでにわかっているわけなんですよ。でも本人はわかっていないし、がんじがらめに周りからヤンヤと言っても、そういうアプローチの仕方では本人も嫌がる。だから、タイミングを待っていたんです。
 
 そしてドツボに入った時に「もう一回ベースを作れ」と言って、このトレーニングを始めさせました。3カ月くらいやった後に、U−19のアジア予選に行ったら、当時は柿谷曜一朗(徳島)がエースでした。しかし予選の一試合目の前半で柿谷が怪我をして、スーパーサブだった謙佑が交代で出た。そうしたらいきなり1得点1アシストで、次の試合ではハットトリックをした。そういう、彼の持っている強運が彼を引き上げています。
 
 でもU−19の韓国とやったときは何もできなくて交代させられ、試合も0―3で負けてU−20ワールドカップに行けなかった。可能性の芽を出しながらも通用しなかった、という経験をしたのは、天狗にならなかった一つの要因でした。
 
 そして帰って来た時に、「次はW杯を目指すのか」ということをその時点で言ったんです。「お前にはできるでしょ? だからそこを目指しなさい」ということを言ったんですね。

<(5/6)へ続く>