オデュッセウスの戦いは「木馬作戦」と同じだった。ラストの木馬が意味するギリシャ文明の終焉
映画独自解説家の守鍬刈雄が、YouTubeチャンネル「守鍬 刈雄のお暇なら映画でも」にて「【#オデュッセイア】ノーラン版ラスト完全解説|オデュッセウスはなぜ国を去ったのか?(独自解説)」を公開した。動画では、映画におけるオデュッセウスが最後に国を去った理由と、ラストシーンに隠された真の意味について独自の視点で解説している。
※この記事にはネタバレが含まれています。
守鍬氏はまず、映画全編を通して「オデュッセウスの罪」が描かれていると指摘する。その原点であり最大のトラウマが「トロイアの木馬作戦」である。物語のラスト、妻ペネロペが課した弓の試練を突破したオデュッセウスは、求婚者たちと壮絶な戦いを繰り広げる。一見するとこれまでの鬱憤を晴らす爽快なアクションシーンだが、守鍬氏はこの戦闘がゼウスの誓いを破った行動であると紐解く。
乞食の老人を装って宮殿に入り込み、武器を隠して騙し討ちをする手法は、「トロイアの木馬作戦と全く同じ構造」だと分析。過去を後悔していたはずのオデュッセウスが、実は全く変わっていないことを示している。しかし、かつての英雄とは異なり、今の彼は「勝つことの代償を知っている男」として、それを「分かった上でやっている」と語る。神の教えよりも、生きている国民のためにあえて手を汚す道を選んだのだという。
また、敵対するアンティノオスとの関係性を、ユング心理学の「シャドー」に例えて解説。大義の違いはあれど、目的のために人を犠牲にする手法は似通っており、やられる側からすれば「どっちだって一緒」であるという非情な現実を浮き彫りにした。
戦いを終えたオデュッセウスは息子のテレマコスに家督を譲り、血の罪を清める「ミアスマ」の処置として流刑となる。原作とは異なり、戦死した仲間を弔う旅へ出るという結末や、ラストに映し出される木馬の映像は、ギリシャ神話とミケーネ文明の終焉を意味していると結んだ。英雄の光と影に迫る緻密な解説は、作品のテーマをより深く浮き彫りにしている。
※この記事にはネタバレが含まれています。
守鍬氏はまず、映画全編を通して「オデュッセウスの罪」が描かれていると指摘する。その原点であり最大のトラウマが「トロイアの木馬作戦」である。物語のラスト、妻ペネロペが課した弓の試練を突破したオデュッセウスは、求婚者たちと壮絶な戦いを繰り広げる。一見するとこれまでの鬱憤を晴らす爽快なアクションシーンだが、守鍬氏はこの戦闘がゼウスの誓いを破った行動であると紐解く。
乞食の老人を装って宮殿に入り込み、武器を隠して騙し討ちをする手法は、「トロイアの木馬作戦と全く同じ構造」だと分析。過去を後悔していたはずのオデュッセウスが、実は全く変わっていないことを示している。しかし、かつての英雄とは異なり、今の彼は「勝つことの代償を知っている男」として、それを「分かった上でやっている」と語る。神の教えよりも、生きている国民のためにあえて手を汚す道を選んだのだという。
また、敵対するアンティノオスとの関係性を、ユング心理学の「シャドー」に例えて解説。大義の違いはあれど、目的のために人を犠牲にする手法は似通っており、やられる側からすれば「どっちだって一緒」であるという非情な現実を浮き彫りにした。
戦いを終えたオデュッセウスは息子のテレマコスに家督を譲り、血の罪を清める「ミアスマ」の処置として流刑となる。原作とは異なり、戦死した仲間を弔う旅へ出るという結末や、ラストに映し出される木馬の映像は、ギリシャ神話とミケーネ文明の終焉を意味していると結んだ。英雄の光と影に迫る緻密な解説は、作品のテーマをより深く浮き彫りにしている。
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