山西惇「稽古通りになんでやるの?これライブやねん」というさんまさんの、毎日変わる芝居に鍛えられ
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第54回は俳優の山西惇さん。さんまさんとの共演企画が定期的に続いていて、そこで学んだことがあるそうで――。(撮影:岡本隆史)
【写真】劇団そとばこまちの舞台に出ていた頃(1994年)の山西さん
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<前編よりつづく>
観客の予想を裏切る、という教え
その後、2001年、そとばこまちを退団する。その最初の舞台がなんと明石家さんまさんとの共演で、『七人ぐらいの兵士』。題名が何か笑える。
――生瀬さんとさんまさんがドラマでご一緒してた時期があって、その打ち上げで「さんまさん、舞台やらないんですか?」「お前が書くんやったらやるよ」っていう話になった。それで我々にも相談が来たんです。
これ、戦地に「わらわし隊」という慰問団が来ることになって、そこに兵隊たちが飛び入りで参加。それがめちゃくちゃ面白かったら日本に連れて帰ってもらえるというので、みんなで一生懸命お笑いの練習をする、という話なんです。そこで死んだ兵隊が七人〈くらい〉だった、という芝居でした。
このさんまさんとの共演企画は結構続いてて、2、3年に1本ずつ、今もやらせていただいてます。その間にうちには子どもが4人生まれ、そのたびにさんまさんに抱っこしてもらっているんですよ(笑)。
自分の中でさんまさんとの出会いは相当大きいですね。稽古はちゃんとやるんだけど、本番になると「稽古通りになんでやるの?」みたいな。「その場の空気があるやろ、これライブやねん」みたいなね。
『泣き虫なまいき〜』で山西さんと共演した那須佐代子さんが、「笑いを取るのがとってもお上手で、そのコツは?」とのことでした。
――そうですか、那須さんがね。これもさんまさんから学んだことですが、観客の予想を裏切ることですね。まあ緊張と緩和ですが。「ああ、今日は何か贅沢したいなぁ。よし! うどん食おう」っていう(笑)。
ちゃんと裏切るためにはその前の――お笑いの用語でフリと言うんですが――伏線が大事。オチだけちゃんとしようとしてもダメで、そこまでをどれだけ引っ張っていけるか、お客さんがちゃんとついてきているなかで裏切らないとダメだよ、って教わりましたね。
いやぁ、さんまさんの芝居は毎日違いますから、本当にずいぶん鍛えられました。
「一字一句、違えずにお願いします」
08年、『人間合格』で初めて井上ひさし作品に登場する。この時、太宰治役だった岡本健一さんによると、「やまにいは名優ですね、頭も良いし、芸達者だし、優しいし。僕は十代の頃太宰にハマっていたので最高でした」とのこと。
――そうですか、岡本くんがね。僕と甲本雅裕さんが太宰の友達役で、井上さんが「今回はとても3人の友情が見えてよかったね」って言ってくださって、何回も一緒にご飯に誘ってくださいました。新宿の紀伊國屋サザンシアターだったので、中村屋のカレーとか、時にはふぐとかも。
それからしばらくこまつ座さんとはご縁がなくて。11年に新国立劇場で井上さんの『雨』が上演され、当時の(市川)亀治郎さんと永作(博美)さんが出られた芝居に僕、呼んでいただいて、その時初めて演出家の栗山民也さんとご一緒しました。
栗山さんから教わったことが非常に多くて、この出会いが第3の転機だと思いますね。
この時の『雨』では、江戸から主人公の拾い屋の徳を追いかけてくる釜六っていう〈おかま〉の役でしたけど、井上さんの台詞ってすごい論理的で筋が通ってるんですね。言葉の種類が豊富で、その順番にもこだわりがある。
さっきは「でも」って言ったのに、こっちは「しかし」になって、ここは「だが」になって、次は「でもしかし」とか。それで栗山さんがおっしゃるには、「ここでこの言葉を出して来るのに井上先生がどれだけ時間をかけると思う?」と。
「命削ってこの言葉一つを考えてんだよ」。すぐに、『人間合格』で井上さんとの顔合わせの時のご挨拶、「私の言いたいことはただ一つ、一字一句、違えずにお願いします」を思い出しました。

筆者の関容子さん(左)と
『大地の子』の演出も栗山さんだった。過酷な労働からようやく解放された息子を、北京駅頭に佇んで待つ山西さんの姿が、すべてを物語っていた。
――「この子は本当の息子です」って台詞があったんですけど、「本当の息子」っていう言葉にどれだけイメージが込められるか、ということですね。つまり、この子は中国人か日本人かと問い詰められた時に、「本当の息子です」って答える。
国籍とかじゃなく「ほんとうの」というたった五文字の台詞に万感を込めて言ってもらわなきゃ困る、って。なんか俳優としての覚悟みたいなことを教わった気がします。
「戦時中の人に見えなきゃダメなんだ」とか、「役の人生を背負うことの責任と覚悟を持ってやってもらわないと困る」とか、「稽古場はその役の声を探す時間なんだよ」とか、もう宝石のような言葉をいっぱいいただくんです。
あの北京駅のシーンも、登場の4、5分前くらいから舞台の袖でずっと、「ここは北京駅」って思って、あの東京駅の吹き抜けみたいな所に人がいっぱいいて、その中に息子がいないかと思ってる父親の姿を思い描くわけですがね。
それで井上芳雄くんの陸一心(ルーイーシン)と僕の陸徳志が再会を果たすんですが、もうその頃は井上くんだと思ってない。多分向こうも山西とは思ってなかったんじゃないですかね。稽古中からずっと父と息子になり切っていましたから。
そして『リア王』のグロスター伯爵。山西さんの初めてのシェイクスピアだとか。
――そとばこまちで学生の時に1回やって以来です。長塚圭史さんの演出は引き算の演出で、とにかく台詞の面白さをちゃんと聞かせることに専念してます。
吉田鋼太郎さんはもう何回もリア王を演じてますけど、長塚さんの読み込んできた解釈が僕らにも新鮮で、面白い稽古でした。
たとえば嵐の場面は効果音もあまりなくて、台詞第一の演出。合間にちょっと雷が鳴るくらいで。グロスター伯は最終的に正気を失ってしまうリア王と同じような目に遭うんだけど、そうなれずにいるという対比が面白くて、今後もシェイクスピアに挑戦してみたいし、ここまで来たらギリシャ悲劇とかもやってみたいんです。
これまでずっと芝居では会話劇をやって来たので、シェイクスピアの独白にはすごく衝撃を受けました。そうすると、芝居の原点はギリシャ悲劇であり、会話じゃなく、しゃべってるのは全部神様。これも面白そうだな、という気になってきましたね。
分け入っても分け入っても芝居、なんですね。これからの舞台に注目してまいります。

