(※写真はイメージです/PIXTA)

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「老後資金はあればあるほど安心」という考えから、国が推奨する年金の「繰下げ受給」を選択する人は少なくありません。受給開始を遅らせれば、1カ月ごとに0.7%、70歳までで42%、75歳までなら84%も受給額が増額されるからです。しかし、現役時代と同じように働き続け、受給額を最大化させた結果、思わぬ「落とし穴」に嵌まるケースがあります。ある男性の事例を見ていきましょう。

受給額「月31万円」だったが、手元に残るお金は期待以下

神奈川県在住の佐藤正雄さん(72歳・仮名)は、大手メーカーを定年退職後も、専門スキルを活かして72歳までフルタイムで働き続けてきました。独身で身軽だったこともあり、「働けるうちは働き、年金は限界まで増やそう」と考えたのです。

「65歳時点での年金見込み額は月20万円ほどでした。十分な額ですが、72歳まで受給を遅らせれば1.5倍の30万円になる。さらに、厚生年金に加入して働き続けたことで、最終的な受給額は月31万円(額面)を超えました」

日本の年金受給者のうち、月額30万円を超える層はわずか0.1%未満。何の不安もない老後を迎えるはずでした。しかし、受給開始と同時に佐藤さんを襲ったのは、想定外の「持病の悪化」と「重い社会保障負担」でした。

「現役並みに稼いでいたせいで、介護保険料や国民健康保険料が跳ね上がりました。さらに、長年の無理がたたって糖尿病を悪化させ、心疾患まで見つかった。いざ通院を始めると、『3割負担』は重くて……」

本来、70歳から74歳の医療費負担は原則2割ですが、現役並みの所得(単身世帯で年収約383万円以上)がある佐藤さんは3割負担が適用されます。

「せっかく繰下げて年金を月11万円も増やしたのに、増えた分の多くが税金、保険料、そして高額な医療費に消えていきます。周りの友人は多くが2割負担。1割の差が恨めしいです」

仕事を辞めたら、もっと好きなことができる。少しは贅沢をしても余裕だろう――思い描いていた老後は、実現しませんでした。

「年を取れば、誰もが病気になるでしょう。それまで短い間かもしれないけれど、仕事を頑張ってきた分、ぱーっと楽しもうと思っていたんですが……。年金が増えても、何も得した気分になれません」

制度の落とし穴…「社会保障負担」と「可処分所得」の現実

厚生労働省『令和6年度 厚生年金保険・国民年金事業の概況』によると、厚生年金受給者の平均月額は15万289円。佐藤さんのように繰下げによって受取額を増やすことはできますが、すべてが良いこと、というわけではありません。

【厚生年金受給者・年金受取額の分布】

〜10万円未満:25.8%

10万〜12万円未満:12.7%

12万〜14万円未満:11.5%

14万〜16万円未満:12.2%

16万〜18万円未満:12.8%

18万〜20万円未満:11.3%

20万〜22万円未満:7.6%

22万〜24万円未満:3.6%

24万〜26万円未満:1.5%

26万〜28万円未満:0.5%

28万〜30万円未満:0.2%

30万円〜:0.1%

特に注意すべきは、以下の3点です。

1.医療費の3割負担

70歳以上でも、現役並みの所得があると判定されれば窓口負担は3割となります。繰下げによって年金額を増やしたことが、この判定ラインを超える原因になるケースは多いといえます。

2.介護保険料の段階的引き上げ

介護保険料は市区町村ごとに設定された所得段階に応じて決まります。年金額が増えれば、当然、納付額も高所得の区分に近づきます。

3.税制上の不利

公的年金等控除には上限があり、年金額が多いほど所得税・住民税の負担率も高まります。厚生労働省『国民生活基礎調査』によると、高齢者世帯の所得に占める公的年金の割合は依然として大きいものの、額面が増えることで逆に「受けられる給付」や「軽減措置」が消失するリスクについては、十分に周知されているとは言えません。

結局のところ、年金受給において重要なのは「額面の最大化」ではなく、税・保険料・医療費を差し引いた「実質的な可処分所得」をどう設計するかです。

佐藤さんのように、健康を損なったタイミングで所得が高い状態にあると、増えたはずの年金がそのまま「負担増」にスライドしてしまう――何とも残念な結果になってしまいます。