「夫のために…」幼い息子と移り住んだ国だったが、いまは苦い思い出が残るのみ

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 海外赴任する人とその家族を支えるメンタルカウンセラーとして活動する、臨床心理士で公認心理師の前川由未子さん。自身も幼少期には父の、結婚後は夫の海外赴任に帯同した経験から、一見華やかで優雅なイメージのある「駐在妻」たちが抱える苦悩や葛藤へも深い理解を寄せる――。前川さんへの取材を基に、駐在生活にまつわるさまざまなトラブルや実態について紹介する。

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 地方都市の自動車メーカーに勤める高橋聡さん(38歳・仮名、以下同)が中国への駐在を命じられたのは約3年前のことだ。妻の美咲さん(35歳)は当時、学生時代の夢を叶えて美容メーカーで正社員として働いていた。しかも、辞令が下りたとき、美咲さんのお腹には新しい命が宿っていたのである。待ちに待った赤ちゃんとの生活に向け、仕事の引き継ぎや準備で慌ただしく過ごしていた、まさにそんな矢先の出来事だった。

「夫のために…」幼い息子と移り住んだ国だったが、いまは苦い思い出が残るのみ

「子どものこともあるので仕事は辞めて、自分のキャリアは諦めました。夫の会社に海外転勤があるのは知っていましたし、彼の出世を望むなら避けられない道だとは理解していました。でも、よりによって初めての妊娠・出産という、人生の大事なタイミングで……。正直、ショックを隠せませんでした」

 当時をそう振り返る美咲さん。もともと彼女も海外暮らしへの憧れはあった。だが、初めての出産を言葉も通じない異国の地で迎えるのは、あまりに不安が大きすぎたのだ。そこで、まずは夫の聡さんに先に現地へ行ってもらい、産後の生活が落ち着いてから追いかけることに決めた。

「単身赴任という選択もありましたが、『子どものためには、やっぱり家族みんなで過ごすのが一番だよ』という周りのアドバイスもあって、最終的に私も中国へ行く決心をしました」(美咲さん、以下同)

 その後、無事に日本で長男を出産。聡さんが中国へ渡ってから半年後、美咲さんは生後間もない息子を抱えて、ついに夫の待つ中国へと旅立った。

再会の喜びも束の間…

 聡さんは、初対面の生まれたばかりの息子と、ようやく合流できた美咲さんを見て、言葉にならないほど喜んだ。

「幸せそうな夫の顔を見て、やっぱり付いてきてよかった、と胸が熱くなりました」

 ただ、少し痩せた夫の姿を見て、先に一人で頑張っていた大変さも感じたという。

「これからは私がそばで支えてあげられる。家族がそろっていれば、わが子の成長も一緒に見守れるし、どんなことだって乗り越えられるはず。そのときの私は、そう信じて疑いませんでした」

 だが、現実は理想とはかけ離れたものだった。

「現地の支店で数少ない日本人戦力だった夫は、営業から現地スタッフの指導、さらには雑用まで、あらゆる仕事を一手に引き受けていたのです

 平日は深夜まで残業するのが当たり前。ようやく訪れた週末も、接待ゴルフでほとんど家にはいませんでした。家族でゆっくり過ごす時間は、ほとんど作れない状態で……」

 最初は育児に協力的だった聡さんも、あまりの激務に心身が削られていった。追い打ちをかけるように、赤ちゃんの夜泣きで睡眠不足が続き、家では会話もできないほど疲れ果てていった。

逃げ場ない孤独

 片や美咲さんも、慣れない土地での暮らしに、どんどん追い詰められていった。産後のマタニティーブルーに加えて、治安や衛生面への不安……。「この子を守らなきゃ」というプレッシャーから、美咲さんは外出を避け、家の中に引きこもるような毎日になっていったという。

 誰とも話せないまま、異国で繰り返される過酷な「ワンオペ育児」。美咲さんにとって、夜遅くに帰ってくる夫だけが唯一の心の拠り所だった。だが、仕事でボロボロになって帰ってくる聡さんにとって、自分を待ち構え、隙あらば依存しようとする妻の存在はいつしか「重荷」に変わってしまったのだ――。

 合流して3か月が過ぎたころ。聡さんの口から出たのは労いの言葉ではなく、あまりにも残酷なひと言だった。

「もう、日本に帰ってくれないか」

 美咲さんや息子さんの存在そのものが、聡さんには耐えられない負担となっていた。思いもしなかった言葉に、美咲さんは「頭が真っ白になった」と振り返る。

 追い詰められた状況で帰国し、前川さんのもとに相談にきた美咲さん。詳細を聞くと、ある背景が見えてきた。それは、「美咲さんの依存心だけが問題なのではなく、聡さん自身も過労によって心身が限界に達し、まともな判断ができなくなっている可能性がある」こと。

 そこで、前川さんは「聡さん自身が会社に対して仕事の負担軽減を相談できないか」と提案した。だが、彼の答えは「ノー」だった。

 これも「駐在員あるある」なのだが、「現地で弱音を吐くことはキャリアに響く」と恐れるあまりに、自分の限界を超えても頑張りすぎてしまうケースがあるのだ。任期という「見えるゴール」があるからこそ、「今さえ乗り越えれば」と無理を重ねてしまう。

 それどころか聡さんは、その提案すらも「妻が自分のキャリアの足を引っ張ろうとしている」と否定的に捉えるようになっていったそうだ。

「一方で私は、美咲さんが夫に依存しすぎないように、現地のコミュニティに加わることや、家事・育児の手を適度に抜くことなどをアドバイスしました。彼女もそれに応えようと、自分を変える努力を重ねたのです。すべては“夫を支え、家族3人で生きていくため”でした」(前川さん)

 しかし、その思いは聡さんに届かなかった。極限まで追い詰められた彼は、もう美咲さんの歩み寄りを受け入れられる心理状態ではなかったそうだ。

「俺の仕事の邪魔をするな!」「ついて来いなんて言ってない」「頼むから帰ってくれ」……。

 投げかけられるのは、思いやりのかけらもない言葉ばかり。話し合おうとするほど溝は深まり、美咲さんの心もついに限界を迎えた――。

 家族が合流してからわずか半年後、二人は離婚することになった。美咲さんは幼い息子を連れ、逃げるように日本へ帰国。そして、美咲さんらを追い返してまで守ろうとした仕事はというと……結局、聡さんはほどなくして心身を壊し、休職に追い込まれることとなったそうだ。現在は養育費の支払いも滞っている状態であるという。

帰国後の離職率50%

「これは美咲さん一家に限った特殊なケースではありません。その背景には、個人の努力だけではどうにもならない仕組みの問題が隠れているのです」

 と、前川さんは語る。

 今回のケースでいえば、まずは会社側の労働体制に大きな無理があった。実は海外拠点では、日本の労働ルール(労働基準法)が守られないことが多く、過酷な環境で心身のバランスを崩してしまう駐在員は決して珍しくないという。

「実際、ある調査によると、9割以上の企業で、任期の途中で耐えきれずに帰国してしまう“途中帰任”が起きています。さらに、帰国してから2年以内に会社を辞めてしまう人は、なんと50%にものぼるという衝撃的なデータもあります。せっかくのグローバル人材を、海外赴任をきっかけに失うことは、会社としても大きな痛手のはず。

 企業は、日本にいるときと同じように、社員が健康に働けるサポートを徹底しなければなりません。現地での大きなストレスを考えれば、外部の専門家に相談できるメンタルヘルスケアの仕組みを整えることは、もはや企業の責務といえるでしょう」(前川さん、以下同)

 また同時に、「一緒に現地に行く妻や家族へのケア」も決して欠かせないもの……と前川さん。

「慣れない異国の地で孤立しがちな家族の不安をキャッチし、いつでも相談できる場所を準備しておくことが急がれます」

「家族がバラバラになるために海外へ行ったのではない」――。そんな悲劇を繰り返さないためにも、働く人とその家族が、心と体の健康を何よりも大切にできる環境づくりが、今まさに求められている。

※本記事で紹介した事例は、実際にあった出来事を基に、個別事案が特定されないようプライバシーに配慮し、登場人物や具体的な状況に一部変更を加えて再構成したものです。

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前川由未子さん
金城学院大学国際情報学部 専任講師。臨床心理士、公認心理師。産業組織領域を専門に、これまで5000人以上の支援に携わる。2025年、海外居住者のメンタルヘルスケアを提供する(株)Taznaを設立。

取材・文/荒木睦美

デイリー新潮編集部