――以前に鹿児島の方に行かれて、ライブをされたそうですが。

熊木:「Dr.コトー」のモデルの先生がいらっしゃる島なんですけど、鹿児島の甑島(こしきじま)という所に行って。ドキュメンタリー番組のエンディングテーマを作るということになって、最初に訪れた時は1人で特に何もなく、島の人と触れ合って帰って来たんですよ。それで、この間2度目に行った時は、曲をすごく気に入ってくれて呼んでもらって、ライブをやらせてもらいました。その時は自分のためにではなく、先生のこと、島の景色を曲に書いたので、島の人達に分かってもらえなかったら意味のない歌だし、先生が何か思ってくれなかったら私としては意味の無いことだから、すごく「伝えよう!」という気持ちがあったんですよ。自分以外の何かからすごくパワーをもらった感じがしたし、それから歌うということが自分の中で変わりました。

――それ以前は、あまり「誰かのために!」という感じで作ってきたわけではなく。

熊木:そうではなかったと思うんですよね。島に行って、ちゃんと人と触れ合って。1人で行ったので、「家においでよー」みたいな感じで色んな人が話し掛けてきてくれて。そういう触れ合いがすごく嬉しかったし、あまり素直じゃないんですけど、すごくジーンとしちゃって。歌う時にそういう気持ちが蘇ります。

――人とか、東京とはまた違う空気でした?

熊木:違いますね!みんな挨拶してきますもんね、知らない人なのに。

――元々、自然が好きですか?

熊木:長野県生まれなので、景色的にすごく好きな所ですね。ただ、そっちに行ってしまうと、すごく癒されてしまうというか…。

――居心地が良すぎて、ずっとい続けるのは危険かもしれないですね。

熊木:そうだと思いますね、今は。

――地元意識の様なものはありますか?

熊木:ありますよ。私は今も長野県人です!母親の実家があって、頻繁に帰っているので。

――長野と東京を比べると、どこが違いますか?

熊木:私にとって東京は仮の住まい、仮の姿みたいな感じです。今、私が生きる場所だと思うんですけど、自分の中のすごく大切な物は長野にいた頃に出来上がって、全部長野にある。大事な場所だと思っています。

――甑島の先生や島の人など、自分の作った曲が聴く人の生活に浸透していって、ある意味、その人の体の一部になる様な感覚はありますか?

熊木:その感覚が、今まですごく薄かったんだと思います。だからすごくそれを自分で感じる様にもなったし。だから、より一層分かって欲しいというか、ライブだったら更に「伝えたい」という想いがすごくあるし、結局そうなんだろうなと。色々あると思うんですけど、すごく個人的なことを訴え掛ける歌でもいいと思うんですよ。私が歌うべきことに意味があるのだったら。ただ、聴いてくれる人がいるという、見えない何かを今まで感じなさすぎた所があったので。感覚的にあればいいんじゃないかと思うんですけどね。