中国電力社員時に人事でツライ目に遭った…青学・原監督が一見非情な「2軍落ち」ルールを貫く深い理由
※本稿は、原晋『決定版!青学流「絶対王者の鉄則」』(祥伝社)の一部を再編集したものです。

■「実力主義」は「公平さ」とセットで、初めて意味を成す
青学大には「第2寮」があります。
その名の通り、2軍の選手が過ごす寮で、町田にある一棟建ての寮の他に、3LDKのマンションの部屋を3つ、部として借りています。
ケガをしたり、成績が振るわなかったりすると、町田の寮から「2寮」に行くことになるのですが、そもそも1軍寮の収容人数がキャパをオーバーしているため、10名前後はそこで過ごさざるを得ないのです。
これまでは、前期後期に分けて選手を振り分けてきました。ですが、今は選手の入れ替わりが激しく、4カ月に一度のタイミングで振り分けをしています。
選手には「頑張れよ、これで終わりじゃないぞ」と声をかけますが、実際に2寮のほうがじっくりと練習する分には環境がいいところもあるのです。
まず、場所が大学の相模原キャンパスの近くにあるので、通学に時間がかかりません。学生食堂で食事が出ますし、トレーニングマシンが置かれたフィットネスジムもキャンパス内にあるので便利です。
一番の違いは、1軍寮には私やコーチが常にいるけれど、2寮には指導者がいないこと。その代わり、学生のマネージャーが各部屋にひとりずつつき、彼らが1軍に戻そうと一生懸命世話を焼いてくれるのです。

■「2寮」から這い上がる学生の共通点
こうした学生自治のよいところは、自分たちのペースで故障や体調不良を治せることです。町田寮に住む選手は練習場がある相模原キャンパスまで約5kmを走って行くのですが、2寮の選手にはその必要がありません。1軍争いというバチバチした空間からちょっと距離を置けるので、気持ちもリラックスできます。
ただし、いくらでも甘えられる環境であるため、自分を律することが不可欠です。2寮から出るには、5000mの部内タイムトライアルで上位のタイムを出す必要がありますから、ここが学生たちの踏ん張りどころであるのは間違いありません。
こうした環境で、自分に何が足りていないかを考えてほしい。不調を脱するきっかけをつかんでほしい。そんな狙いがあるのです。
実際に、2寮を経験して、そこから這い上がって箱根駅伝に出場した選手は何人もいます。初優勝時のキャプテンだった藤川拓也(2015年卒)、かつてエースだった久保田和真(2016年卒)、渡邉利典(同年卒)や池田生成(2017年卒)といった、叩き上げから箱根で活躍した選手もいるのです。
ときにはこうした選手の名前を挙げて、2寮へ行く選手たちに奮起を促すこともあります。「ここで頑張れば力がつくぞ。箱根で活躍した先輩たちのように頑張れ」と選手を送り出すのです。
公平を期すために、たとえ主力の選手でも、調子が悪ければ2寮に行かせます。主力を行かせることで、チームに危機意識を植えつけることもできるわけです。
■中国電力時代の人事でツライ目に遭ったから
逆に、監督批判をしたから2寮に行かせるとか、好き嫌いで1軍に上げないとか、そんな理不尽なことをすれば部は崩壊してしまいます。公平であることは組織ルールの基本ですから、なぜ2寮に行くのかよくわかっていない学生には、なるべく本人にその理由を説明するようにもしています。
頑張った者が報われる。それが青学大でのルールです。

なぜ、私がそれほどまでに公平性にこだわるのかというと、かつて中国電力にいた頃、人事でツライ目に遭ったからです。実業団の陸上部をクビになり、同期入社の社員から5年遅れでいちサラリーマンとなった私は、その遅れを取り戻すために必死で営業を頑張りました。その結果、社内表彰を受けるまでに成長しました。
ですが、私が社内で出世をしたかといえばそうではありません。あくまでも本社とは別の出向先で評価を受けただけで、本社の人事考課とは別物だったのです。そのときに味わったむなしさや悔しさ、それが今も私の根っこにあります。
「2寮に行っても終わりじゃない。頑張って、這い上がってこいよ」
まさにウソ偽りのない本音で、この言葉は心からのエールなのです。
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原 晋(はら・すすむ)
青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督、同地球社会共生学部教授、一般社団法人アスリートキャリアセンター会長
1967年、広島県三原市生まれ。青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督、同地球社会共生学部教授、一般社団法人アスリートキャリアセンター会長。広島県立世羅高校で全国高校駅伝準優勝。中京大学卒業後、中国電力陸上競技部1期生として入部するも、故障に悩み5年で引退。同社でサラリーマンとして再スタートし、新商品を全社で最も売り上げ、「伝説の営業マン」と呼ばれる。2004年から現職に就任。09年、33年ぶりに箱根駅伝出場を果たし、15年に箱根駅伝初優勝に導くと、17年、大学駅伝3冠を達成。翌18年に箱根駅伝4連覇、20年、22年に続いて24年、25年と箱根駅伝2連覇8度目の総合優勝を果たし、箱根駅伝最多勝利監督となる。『逆転のメソッド』『勝ち続ける理由』(ともに祥伝社)など著書多数。
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(青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督、同地球社会共生学部教授、一般社団法人アスリートキャリアセンター会長 原 晋)
