毎年12万人超が集う神秘の奇祭!京都・宇治「県祭り(あがたまつり)」その驚くべき風習を紐解く【前編】

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現在の日本では、年間およそ30万件もの「祭り」が開催されているといわれています。

「祭り」とは、基本的に神様や仏様に感謝の気持ちを捧げ、子孫の健やかな成長や地域の豊かな発展を祈願する行事です。

つまり、子孫繁栄・無病息災・五穀豊穣など、科学が発達した現代においても人知の及ばないような事柄に対し、真剣に神仏に祈る営みが祭りなのです。

その中でも、独特の習俗を伴う風変わりな祭りのことを「奇祭」と呼びます。

[前編]は、毎年6月5日に京都府宇治市で斎行される奇祭「県祭り(あがたまつり)」をご紹介します。

さらに、[後編]では、この祭りで50年ほど前まで行われていた、子孫繁栄にまつわる驚くべき風習についても、「神仏」や「性」の視点から、日本古来の祭りに込められた深い意味をひも解いてみましょう。

「県祭り」で行われるぶん回し。(写真:縣神社)

縁結びや子孫繁栄に御利益がある県祭り

「県祭り」は、毎年6月5日から6日未明にかけて行われる、京都府宇治市の初夏の夜を彩る風物詩です。

深夜に沿道灯火を全て消した闇の中で行われることから別名「暗夜の奇祭」とも呼ばれ、例年12万人を超える人々で賑わいます。

その起源は江戸時代に遡るとされ、当時から縁結びや子孫繁栄、商売繁盛を願う人々で賑わいました。同祭には、宇治市に鎮座する二つの神社である「宇治神社」と「縣神社」が関わっています。

応神天皇の皇子・菟道稚郎子命を祀る宇治神社。

「宇治神社」は、第15代応神天皇の皇子・菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)の宮居跡に鎮座し、命の死後、その神霊を祀ったのが始まりとされます。

一方、木花開耶姫命(このはなさくやひめ)を祭神とする「縣神社」は、ヤマト王権の直轄領である「県(あがた)」に由来するとの説があり、1052年に平等院が建立されると、その鬼門を守る鎮守社となりました。

木花開耶姫命を祭神とする縣神社。

「県祭り」のハイライトは、「梵天渡御(ぼんてんとぎょ)」と呼ばれる神事です。

ちなみに「梵天」とは、神霊の依り代とされ、奉書紙を束ねて球状にした大きな幣束のことで、簡単に言えば「神の乗り物」ということになります。

暗闇の中に浮かび上がる直径1.5mの球形に束ねられ竹の先へ挟んだ「梵天」は、子孫繁栄の御利益だけに、“男根”を象っているとか……。その「梵天」が、神輿を担いだ氏子たちによって、縦に横に暴れまわるのです。

神の依り代とされる梵天。神輿に一緒に乗る神人も梵天と呼ばれる。

この神事はかつて、「宇治神社御旅所」を出発し、宇治橋西詰を経て「縣神社」で儀式を行い、その後また「御旅所」に戻るというルートで執り行われていました。

しかし、2003年に御輿の担ぎ手である「県祭奉賛会」と「縣神社」との関係がこじれたことから、2004年以降は両社がそれぞれ独自に「梵天渡御」を行うという分裂状態が続いています。

この対立の背景には、両社における祭神観の違いがあるとされ、木花開耶姫命を祭神とする独立した神社であると主張する「縣神社」に対し、「宇治神社」は「縣神社」はあくまで自社の末社であるとする立場をとっているのです。

こうした認識の相違が、祭の主導権をめぐる争いなどに発展し、今日まで分裂開催が続く事態となってしまいました。

暗闇の中で縦に横にと大暴れする梵天

それでは、6月5日深夜に行われる「梵天渡御」の流れを「宇治神社」「縣神社」の両社から見ていきましょう。

「宇治神社御旅所」では、23時になると「県祭奉賛会」の担ぎ手たちがお祓いを受け「梵天渡御」に出発し、約1時間半ほど、独自ルートでの巡行を行います。

「県祭奉賛会」の梵天渡御が行われる宇治神社御旅所。

御旅所前では、神人を乗せた梵天御輿が前後左右に大きく振られ、倒され、JR宇治駅前、宇治橋西詰では、梵天を高速回転させる、”ぶん回し”で気勢を上げます。

646年に初めて架けられたという伝承のある宇治橋。

一方、「縣神社」の「あがた祭」は、大祭式・朝御饌ノ儀(あさみけのぎ)から始まります。この頃には、宇治橋通り・県通り・本町通りに数百店の屋台が出始め、22時頃まで大いに賑わいます。

そして17時、夕御饌ノ儀(ゆうみけのぎ)が斎行された後、23時に梵天が地元の梵天講の若者達に担がれ、動き出すのです。

23時半頃、本殿において燈火を消し、真っ暗闇の中で神移しの秘儀が斎行されます。この間は、ストロボやフラッシュを使った写真撮影は厳禁です。

神事の後、梵天を担いでご神木の周りを3周し、拝殿前に安置。そして深夜0時になると、いよいよ「渡御ノ儀」である梵天神輿が出御となります。

街中へ出発する梵天を乗せた神輿。(写真:縣神社)

境内を練り歩き鳥居から表に出た梵天は、暗闇の中、旧大幣殿前で、”ぶん回し”や”差し上げ”など勇壮に走り回わると、境内に帰り、梵天奉安所で着御の儀の後、本殿に帰着します。

街に出ると暗いとは言っても街灯の灯りがあるので、”ぶん回し”や”差し上げ”は目視することができますし、この間はフラッシュを使用した写真撮影も可能です。

大きく横に傾けられる梵天。(写真:縣神社)

そして、6日の午前1時頃に梵天が境内に戻され、電灯が消された暗闇の中で神事が斎行されます。こうして、「暗闇の奇祭」と呼ばれる「県祭り」は幕を閉じるのです。

すべての神事が終了した後、梵天の丸い御幣から奉書紙が抜き取られ、参列者に授与されます。この紙には、縁結びや子授けの御利益があるとされています。

それでは[前編]はここまで。[後編]では「県祭り」で行われていた驚くべき風習と、日本古来の祭りに込められた深い意味をひも解いていきましょう。

【後編】の記事はこちらから↓

”種貰い祭”と呼ばれた所以がコレ!神秘の奇祭「県祭り」に隠された禁断の風習とは?【後編】

※参考文献
網野善彦著 『日本の歴史を読み直す』 ちくま学芸文庫