『ANORA アノーラ』©2024 Focus Features LLC. All Rights Reserved. ©Universal Pictures

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 映画『ANORA アノーラ』のどんな煌びやかな場面より、エンドロールの後ろで静かになっている車のワイパーの音が忘れられない。降りしきる雪を払い続けるその音は、“アニー”ことアノーラ(マイキー・マディソン)が「あんたらしい車」と言ったように、イゴール(ユーリー・ボリソフ)に似ていた。そしてそれは、前日の夜の、積雪の予報を聞きながら話す2人の会話を、さらには彼が「首元が冷えると風邪を引く」と言って少し前まで彼女の口を塞ぐ猿ぐつわ代わりにしていたスカーフを差し出すことで彼女に怒られる姿を、そして彼女に自分の上着を着せる彼の姿まで連想させて、あまりにも無骨な優しさとなって観客の心に降り注ぐのである。

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 アカデミー賞作品賞含む最多5部門を受賞した映画『ANORA アノーラ』は、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』のショーン・ベイカーが手掛けた8作目の長編映画である。ロシア系アメリカ人のストリップダンサー・アノーラを主人公に、「身分違いの恋」という古典的なシンデレラストーリーのその先を描くという触れ込みの本作は、実際職場のクラブで出会ったロシア人の御曹司イヴァン(マーク・エイデルシュテイン)に見初められ、延長に延長を重ねた末にラスベガスの教会で衝動的に結婚するまでは典型的なシンデレラストーリーだ。

 だが、シンデレラストーリーは瞬く間に終わりを迎える。突然の結婚騒ぎに怒り心頭のイヴァンの両親が乗り込んできて、結婚を無効にすることを迫るからだ。しかし、イヴァンとその仲間たちという、本来なら彼女の人生に決して交わることのなかった若者たちと肩を並べ海辺ではしゃぐ、絵に描いたような青春の光景より、イヴァンの両親が差し向けた手下の男たち3人とともにイヴァンを捜索する場面の方が奇妙なほど画になっているように、むしろ彼女の人生の物語は、そこから始まるのだった。

 ショーン・ベイカーがアノーラ役のマイキー・マディソンに対し役作りの参考として『女囚701号さそり』を勧めたというエピソードがあるが、まさに梶芽衣子演じる『女囚701号さそり』の主人公・松島ナミのように射抜くような眼差しで、アノーラは、彼女の周りに次々と現れる、彼女が手に入れるはずだった幸せを阻む人たちと対峙する。幸せを阻む人たちとは、イヴァンの両親と、両親が差し向けた屈強な男たちのことだ。彼女との結婚を「楽しいアメリカ旅行」の最後のイベントとしか思っていなかった男性・イヴァン(ひょっとすると親に決められた人生から抗いたいと思う彼の一時の感情の現れだったのかもしれないとも思わせるが)もまた含まれる。彼ら彼女らに対し、全身全霊で怒り、叫び、噛みつく彼女を前に、ほろ苦い現実は逃げてくれないが、彼女の心は決して屈することはない。

 そんな彼女の強さを、真正面から見つめている人がいる。『コンパートメントNo.6』のリョーハ役の好演も記憶に新しい、ユーリー・ボリソフ演じる、イヴァンの両親が差し向けた手下の1人・イゴールである。アノーラが飛行場でイヴァンの母親(ダリア・エカマソワ)と言葉を交わす場面において、カメラは2人と、目の前にいるアノーラを真っ直ぐに見つめているイゴールを映す。彼は、気づいたらいつも彼女の傍に佇んでいる。彼女の名前が持つ意味そのままに、自分の立っている闇さえ明るく照らす光のようなアノーラに対して、イゴールは、彼女の影そのものだ。

 イゴールは、アノーラにとって、初めて手に入れた本当の意味で「対等」な存在なのではないか。最初こそ力で彼女を抑えつけようとしたイゴールは、後にそうなってしまった理由の1つとして互いに「クレイジーすぎるから」だと言った。煙草を分け合い、「参った」と笑い合う2人。解釈の分かれるラストシーンを、私はかつて彼女がイヴァンとともにいた時に弾けた、彼女の噛んだガムの膨らみと対比できるものとして考える。

 アノーラが、イヴァンと初めて会った日、ストリップダンサーである彼女のサービスによって盛り上がっているイヴァンに対し、彼女は戯れにガムを膨らましていた。その風船がパチンと弾ける様子は、そこが刹那的な快楽を消費する空間であることを示すだけでなく、彼女は彼と正面から向き合わないことで、サービスを受ける側と与える側の間に生じてしまう対等でなさを自ら是正していると思った。ちなみに、彼女は「出張サービス」として彼の家に訪ねる時もガムを噛んでいた。

 一方、ラストシーンにおいて、別れ際にイゴールから思わぬプレゼントを受け取ったアノーラは、感謝の気持ちを同様のサービスで返そうとする。でもそこにあるのは、パチンと弾けて消えるガムの風船の儚さではなく、人と人の身体が重なり合うことで生じる物理的な重みなのだ。その重みがもたらす感情は、わざわざ言葉にしなくても、観客の心の中に、愛の記憶として残っているものを各々引っ張り出せばいい。果たしてそれが真実の愛かどうかは分からないが、そう錯覚させるだけの何かはあって、その錯覚は、人を前に進ませる原動力にはなる。とはいえ、イゴールの存在が彼女にとって、イヴァンとの結婚に代わるおとぎ話のハッピーエンドかと言うとそうではないと思う。むしろ、「これから始まる」予感に終わるということが、現代を生きる私たちにとって最高のハッピーエンドなのだ。

(文=藤原奈緒)