スポニチ

写真拡大

 スポニチでは、ドラフト1位で中日が交渉権を獲得した関大・金丸夢斗投手(4年)の足跡を振り返る特別連載をスタートさせる。初回は、アマチュア野球の審判員を務める父・雄一さんと二人三脚で目指した夢に迫る。

 ◇ ◇ ◇

 中学1年の頃、夢斗の書いた作文が兵庫県・神戸市立教育研究会の入選作品として表彰された。題名は「僕のお父さん」。「僕のお父さんは、高校野球の審判をしています」との書き出しで始まる父・雄一さんとの物語である。

 雄一さんは、アマチュア野球の審判員を務めていた。幼少期、土日になると父が審判を務める球場に出かけた。当時を思い返し「最初は嫌々野球を見せられていたんですけどね…」と苦笑いする。観戦だけでなく父とキャッチボールができるようになると、野球に興味がわいた。そして小学1年から広陵少年野球部に所属し、夢斗の野球人生が始まった。

 父には高校野球の審判員を志した理由があった。それは、高校球児として甲子園に立てなかったから。聖地に立つ夢を諦めきれず、高校野球の監督か審判員になるかの2択で悩み、後者を選んだ。審判歴10年目で初めて甲子園大会を任された。作文は、その父への思いへと続いていく。

 「僕はここまでやれるお父さんはすごいなと思いました。今でも甲子園での一試合一試合に全力を尽くし、いつもへとへとになっています。試合後に注意される反省会や観客のヤジにも耐えながら、一生懸命頑張っているお父さんを誇りに思います。

 次のお父さんの夢は、僕が高校まで野球を続けて、あきらめず甲子園を目指すことだそうです。そのために今、僕は毎日中学野球を全力でがんばっています。(中略)そして、僕もお父さんのように夢を実現できる選手に成長できたらいいなと思います。将来、そんな僕の姿をお父さんに見てほしいです」

 夢斗は父と二人三脚で甲子園出場を目指した。小学1年から中学卒業まで、平日は毎日午前6時に起床し、父と練習してから学校に向かった。父は「金足農の吉田輝星は球速以上に伸びを感じたぞ」と主審として目のあたりにした好投手の印象なども教えてくれた。

 しかし集大成となるはずだった高3の20年、新型コロナウイルス感染拡大により、春夏ともに甲子園大会が中止になった。それでも、野球への情熱は消えなかった。「お父さんが僕に甲子園という夢を与えてくれた。でも、まだ恩返しができていない。だから野球を続けようと思いました」。そして無名だった高校時代を経て、秘めていた才能を大学で開花させることになる。

 父・雄一さんは、今夏を最後に甲子園大会の審判員を引退した。理由は2つ。「自分のジャッジで夢斗に迷惑をかけないようにしたい」。もう一つは「プロで投げる姿をしっかり見たいから」。父と目指した甲子園のマウンドに、ドラフト1位左腕として立つことになる。(河合 洋介)